vol.3
取材では、TSUGI(合同会社ツギ)の代表である新山直広さんが、福井県鯖江市で活動を行っている経緯や取り組み、そして地域に大切なものについて語って頂きました
TSUGIは、福井県鯖江市を拠点に活動するローカルクリエイティブカンパニーです。TSUGIという名前は“次”の時代に向けて、その土地の文化や技術を “継ぎ”、新たな関係性を “接ぐ”という思いが込められており、2013年に移住者たちのサークル活動として結成し、2015年に法人化。以降「福井を創造的な地域にする」をビジョンに掲げ、“支える・作る・売る・醸す”をキーワードに、主に地域や地場産業のブランディングを行っています。また通常のデザインワークだけではなく、眼鏡素材を転用したアクセサリーブランド「Sur」、福井の産品を扱う行商型ショップ「SAVA!STORE」、産業観光イベント「RENEW」の運営など、地域に何が大切で何が必要かという問いに対して、リサーチと実践を繰り返しながら、これからの時代に向けた創造的な産地づくりを実践しています。
新山さんの記事を拝見したとき、鯖江というモノ作りが盛んな地域で色々な技術を持った人たちと、実際に遭われて繋がりを持って活動していることを知りました。その中で新山さんから見たときの、新山さんなりのテリトーリオとはみたいなものが聞けたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
僕の出身は大阪でこっちに移り住んで、街にかなりコミットしてるデザイナーだと思っているのでそういった意味では言えることはいろいろあるんじゃないかなと思っております。
鯖江市に来たきっかけ、
デザイナーとして住むまで
鯖江市に来たきっかけが学生時代の経験から興味持ったという話をお聞きしたのですが、大阪から縁もゆかりもない土地に飛び込んでいくきっかけであったり、地域の人と関わっていく上で大変だったところはなんですか。
大学4年生の時、河和田アートキャンプをきっかけに初めてこの町にきました。河和田アートキャンプは芸術活動がいかに地域貢献できるかみたいなそういうテーマで、例えば農業とか伝統工芸×アートみたいな感じで、そのアート作品がいかにこう地域として良いものになるかみたいなことを1ヶ月間泊まり込みながら制作したり、地元と交流したりするみたいな、そういうプログラムでした。
その体験が結構良くて。やっぱ衝撃的だったのは地域コミュニティが大爆発みたいな感じで、もうなんか家に勝手に人が入ってくる。でもそれがデフォルトで、だからコミュニティの強さだとか、ものをつくる尊さというか、やっぱ漆器作るのもポーンって出てくると思ったら、そんなこと絶対なくて、生地師さんがいて、漆師さんがいて、すごい工程を経てできてるとかっていうのが、この町ですごい僕の中でいい経験でした。
建築家を目指してたんだけど、僕が大学1年生の時にリーマンショックがあったり、日本の人口がピークにさしかかった時代だったり、あと戦後初めて住宅の着工数が減った年、なんでなんか潮目やと思った。その時にもうイケイケドンドンの時代から、どっちかっていうとこれから社会が縮退して行く中で、建築をゴリゴリ建てるんじゃなくて、例えば新建築とかに載ってる建築とか見に行ったりするけど、「建物いいけど、人いねーじゃん」みたいな感じが結構あって、なんかあんまりイケてないと思って。建物って使ってなんぼやみたいなそういうのをそのアートキャンプの場合だったら、別に学生が作るアート作品なんてたかが知れてるけど、なんか地元だから使ってもらったりとか楽しんでもらったりとか、そっちの方がなんか生き生きとした空間っていうか、なんかそういうことをすごい感じた時に、まさにその社会情勢とか考えたら建てる時代じゃなくて、そのソフトの部分をどう設計するかっていう方が、建てる人がいっぱいいるんだったら、ソフトのデザイナーになったらこれ面白いんじゃないかって思ったのが4年生のときです。
僕のその当時の頭の中っていうのは、人口減少とか地域活性とかコミュニティデザインとか街づくりとか、なんかこういうのがこれから時代として大事なんじゃないかって思ったわけ。で、卒業と同時にこの町に移住した。片木さんっていう先生が設計事務所だったんだけど、別に街づくりの会社を作ってて、それの立ち上げスタッフみたい
な感じで卒業と同時に鯖江に来た。
その仕事がすごく良くて、あの越前漆器の調査研究のリサーチャーみたいな仕事を市役所から頂いて、職人さんとか問屋さん100件ぐらい回ったんだけど、それが結構衝撃的で、作ってるものは結構良いなと思ったんだけど、「全然売れてない」「オワコンだよ」「息子に継がせたら恨まれるよ」みたいなことを、まあ8割そういう感じの意見で結構ショックでした。2年目以降は東京とか大阪の百貨店とかセレクトショップもあって、漆器がどう置かれているかって調査をしてたんだけど置いてないんだよね、これが現実かと。
2年目ぐらいになったらやっぱりだんだん地域に溶け込んでいって、僕らの周りは職人さんがほとんどなんで、彼等にすごく育ててもらったっていう、なんかすごい愛情もだんだんできてきて、その時に感じたのが僕は街づくりがしたくてきたわけでもおかしくないと思うんだけど、結局この鯖江っていう街はものづくりの街、漆器もそうだし、あとメガネの街だったり、あと繊維の街とかでもあったり、なのでものづくりが元気にならないと街の元気にならないなって思ったんですよね。
じゃあものづくりを元気にするために自分は何をすべきかっていうのをウダウダ考えた結果、絶対デザインだと思った。当時はそういう職人さんとかも実際に商品作り出したんだけど、技術は凄いけどいやダサいやんとか、どうしてこうなったみたいなパッケージだとか、あとホームページが載っている会社もほとんどなかったりとかして、ここ手伝えるとすごくいいんじゃないかなって思って、デザイナーになろうと思った。
それを職人さんたちに、移住して2年目の冬の忘年会で「僕、この街でデザイナーになる!!」って宣言をしたんですよ。で、みんな「わーっ」てなると思いきや、「ふざけんな」ってめっちゃ怒る、「うるさい」だか「大キライ」だって言われてしまったんですよね。どういうことみたいな感じで聞くと、昔からデザイナーは来てたんだけど、好き勝手ものを作って全然売れなかったみたいなものがあるから、「あいつらは詐欺師だと俺は思ってる」みたいなのがあって、そっかみたいなまあそりゃそうやな、そん時にデザインだけするんじゃなくて、流通とかそういう販路までちゃんと案内することが、地域にちゃんとコミットしたデザイナーになるんじゃないかなって思ったというのが、移住して2年目の冬っていうのが経緯ですね。
生産地ならではのデザインとは
消費地ではなくて生産地ならではのデザインの仕方の中でこれが一番大変だったものは何ですか。
やっぱり、デザインっていうものが地域に大事だってちゃんと思ってもらえるような、土壌づくり。みんなデザイナーのことが嫌いって言ってる、でも絶対デザイン大事だって思ってたから、それを理解してもらうために自分の実力・結果を出さないといけない。そういうのがすごい時間がかかる。それまで結局、移住してから5年間は下積み
をして、7年目に会社を作ったので、その6年間でやっぱり信頼関係を作ったりだとかがあったし、ときには職人さんと衝突もしたりとか、そこが一番大変だったのが一つ。
もう一つはやっぱりその地域デザインをする時に何て言うかな、そもそも稼げるのみたいな感じ、まあ仕事あるんかなとか、なんかそういうのはすごい不安で、会社作って20日ぐらいで資金がショートして、知り合いになんかしてくださいと言って、そっから馬車馬のように働いたんですけどでも、やっぱりそういう事業をちゃんとして行くっていうことの大変さだとかで、基本スタンスとしてこれ結構本質なんだけど、地域で仕事してて一番大事なのは、自分がこれがやりたいっていうよりか地域が必要なことをちょっとずつ作業していってるので、だから究極なんか自分がやりたいことってあんまりないというか、まあそもそもデザイナーになったのも、デザインできるわけじゃなくてこの街に何が必要か考えた時にデザインだと思ったから、デザインがあって、その後お店を作るとか頼まれてもないけど必要やと思ったり、RENEWっていう工場見学がやったのも、この街で多分必要なことはこれだ、最近別の会社も作ったんだけどそれも同じ考え。なので事業が複合化されるわけですよ。そうなったときにひとりでできるわけないので、スタッフの雇用であったり、仕事づくりであったり、それぞれやっぱチームビルディングだとかは、いわゆる経営者としては大変だとかっていうのはそれなりにはあるかな。
地域と信頼関係を築く
道のりの大変さ
ちなみにその地域の人と信頼関係を築くうえで、これを大事にしたから今があるんだなみたいなものはありますか。
ずばり、太鼓持ち芸人になることです。なんか変に建築とか学ぶとちょっとややこしくてさ、なまじ頭よくなっちゃってるやんか、なんか「都市とは」とかねえ、「テリトーリオみたいな」になるわけですよ、もちろん僕も同じような学科卒だから、そういう考えの思想のもとやったんだけど、何の役にも立たないことはないよ、それはないけ
ど、そんな言葉使ってもディスコミュニケーションになるから、そうではなくてやっぱりいかにそういう何ていうかな、根本の頭の中に大事なものっていうのを忘れずに、地域に合わせていく作業いうのはすごく大事だと思ってます。
なんだったらそのいかに可愛がられるかの方が大事だなと思ってて、飲み会とか「わっー」て時にもう僕はずっと太鼓持ちで、僕はもう酒注ぎますとか、お祭りの時あったら真っ先に走って、シャッター上げて梯子から何かこういろんなものとか取り出してとかっていうのをずっとやってた。そうするとやっぱなんか地元の人からしたら、「新山はアホやけど悪いやつじゃないよな」みたいな「あいつ応援してやろうぜ」みたいな感じがあったと思って、まあ僕もそこまでそんなに戦略的じゃないんで、そういう性格っていうのもあるんだけど。結果的にそういうなんか懐に入るっていうのはすごく大事だなって思った。
懐に入ることが大事だと感じても、容易ではないですよね。特に地域の人には地域の人の考え方とかに、違いや難しさを感じたりしたこともあったのでは。
最初はそれがありましたね。何段階かあるんだけど、それに3年経って「新山、新山」みたいな感じで可愛がってくれるようになった時に、次は僕がそのなんか彼らと呑んでる時にめちゃくちゃつまらんと思うようになってきてて。彼ら、今までの当たり前みたいなものをずっとなぞっていく、なんかちょっと言葉悪いけど未来はないってすご
い感じて、これまで今までこうやってきたからみたいな、でもそれで今仕事ないんですよねとか、ていうこともだんだん成長してきて分かっていく中で、「そっすねー」とか言いながら、僕一人じゃもうこれは無理だと思っていたら、徐々に移住者が増えてきて、彼らと付き合うように、それがまあ今のTSUGIっていうチームにつながるんだけど。
その時に何が起きたかっていったら、あんだけ可愛がってくれたおっちゃんたちが、「にいやまが付き合いが悪くなった」、「なんか勝手にしてるぞ」みたいなことを言われるようになり、移住して5年目ぐらいの飲み会で、「最近なんか調子乗ってるらしいな」みたいなこと言われ、僕もカチンときてなんかね、「だから越前漆器はだめなんだよ」みたいなパンドラの箱を開けてしまったんですよ。その後1年ぐらい、みんなから超嫌われた時期がめちゃくちゃつらかった。それを言わんかってよかったと思います。でも、言わんと街変わらんしなみたいな、ただ自分には逃げれるところ、友人とか仲間とかもできたし、あるなみたいなところでギリギリの精神をたもって、ちなみに移住して7年目にRENEWという工場見学のイベントをして、それでみんなで和解した。
本当に、ある意味高度なコミュニケーション能力が必要で、みんななんか今の学生とかもあると思うんだけど、なんか、昔僕らの世代以上にやっぱり地域とかにすごいこう目を向けてくれる若い人、すごいいるなと思って本当にありがたいなと思うし、僕のある意味ライフワークなので、とってもいいなと思うんだけど、でもやっぱりこうなんつうかな地域のルールが多少あって、それを分かった上で、だから守破離みたいな感じだよね。まず守る、破っては嫌われるけど、ちゃんと仲直りして、そっからこう足場に登る、ちゃんとこっちとして地域に、経済としてまあもたらすかみたいな、なんかそういうのが結構重要かなっていうふうには自分自身はそう思ってます。
地域で活動していく原動力
ぶっちゃけそういう地域に嫌われるって汚れ役じゃないですか、そこまでして地域で活動する理由って何ですか。
正義感もあったと思う。やっぱりまずその移住者第一号って結構汚れ役とセットなんですよ。やっぱり開拓者とかcultivate的な、すごく必要なのは耕す作業なんですよね。それは最初の人の役割なんだと思っていて、大変だけどリターン大きいよねやっぱり。
そう今この町130人が移住者いるんだけど、やっぱ何があっても、「まあ最初は新山君だよね」って言ってくれて、まあ苦労したかいあったなみたいな、まあそういう汚れ役っていうのはなんかそういうリターンがあるから、まだ頑張れるっていうのも勿論あるんだけど、もっと本質的な何て言うか、なんでこんなに頑張れるかって言うと、結構悔しさみたいな怒りみたいなものが、行動の源泉みたいな感じになってるなと思ってます。その悔しさとか怒りって何だろうっていうのは、さっき言った職人さんが呑んでても愚痴と悪口と噂話のオンパレードで全然こう生産性がない、なんか要は多分みんな誇りがどんどん下がっていく、ほんとは技術があってもこれじゃダメだみたいな感じの目で、ダウナーな感じだっていうことに対して、なんか怒りみたいなところと、自分のパーソナルな部分、多分大学の同級生とか仲間たちが東京で活躍して、なんか担当物件でこれやって、なんか本に載りましたとかで、僕何やってるんだろうみたいな、そういう焦りというか、何も成し遂げてない不甲斐なさとか、そういうのとさっき言った漆器の調査で漆器が売れてないっていう現実っていうのが、結構源泉になってて、だからよく思うんですよ、なんで頑張れるんですかみたいなやつって、いろんな種類がある。使命感とか正義感とかもあると思うんだけど、意外と怒りモチベーションって、あの突き動かされるから、怒りって結構エンジンになるようで、よく学生に言ってる。まあそういう感じです。
ちなみに2020年ぐらいにふと、怒ってたことに気づいて、なんかみんなすごいポジティブになってるし、みんなめっちゃ頑張ってて、それこそなんか飲み会したら次何しかけようかっていう会話になってる。めっちゃ嬉しい、でも全然怒ってないので、あれ僕のモチベーションどこにいったみたいな時に、自分で無理やりモチベーションを作ったんだけど、まあその頃、移住者がどんどん増えていって、それこそなんか「新山さんがきっかけで…」とかっていう人たちが結構ゴロゴロいるんですよ。彼ら頑張っている姿を見てると、彼らを応援する立場として頑張ることが次のモチベーションだなというふうに思って、今に至る感じですね。
これからの目標と未来像
これからの目標、将来の未来像とかはありますか?
正直めっちゃあってさ、ありすぎてどっからしゃべろうかなと思うんだけど。
TSUGIっていう会社と、SOEという会社をやってるんだけど二者どっちもそれぞれ役割があるなと思っていて、でちょっとホームページから更新してて今、福井を創造的な地域にするっていうビジョンを掲げております。
えっとまあ思考停止になるんじゃなくて、あの自分たちがより良い未来に対して、まあ政治家みたいなこと言うんだけど、県民自ら自分ごとで行動して、無いなら作るみたいな、なんかそもそもものを作る人がたくさんいるわけなんで、そういうなんか創造性を持って面白い地域を作っていくっていうことが僕はすごいやりたいと思っているんですよね。
なのでまあなんかイメージとしては、なんかこうまあ移住者もどんどん増えてって、地元の人たちも触発されてめっちゃ変化してって、中の人と外の人の潮流が生まれて、なんかこうbarとか作りたいよね。これなんだろうなって、欲しいよねみたいになったら、じゃあ作ろうかみたいな、作れちゃうんだよねこの街、本当に普通に、そういうのがどんどんなってパン屋さんができたり、本屋さんができたり、でそこでええ会社さんとかも、どんどん売り上げが上がっていって、雇用が生まれみたいな、そうなると、なんか東京とは全然違う軸のいい感じの街ができると思うんですよ。それは僕めっちゃやりたいっていうのが目標としてあります。
そのためにいろんなことをやってるのがTSUGIと、もう一つはSOEという会社をやっていて、このエリアを日本一の産業観光地域にするっていう、ちょっと野望を持っています。できると思っていて、半径10キロの中に7つの地場産業が集積しているっていう、世界でも類を見ない地場産業集積地であるっていうので、真似されるわけではない
ので、超強強っていう話と、新幹線が通るとかもあるし、みんなにビジネスとマインドが変わったと思っていて、ビジネス的な話だけど2010年までB to Bって言われる、なんか事業者同士の技術ビジネスとして商売とかで、リーマンショックがあって、これやばいってなってB to Cっていう、まああの自社で商品を作って売るみたいなメーカーさん増えました。
今僕らが何考えてるかっていうと、それプラスE to Cって言って、エクスペリエンスエデュケイション、どういうことかっていうと、今までの僕らの商流っていうのは百貨店とかにおいてやってたんだけど、そもそも伝統工芸って置いてるだけじゃ全然価値伝わんねーじゃんみたいに思って、最強の売り方は街に来てもらって買ってもらうことだと思っていて、職人さんと話をしたり、物作りの背景だとか、工房の匂いだとか音とかで買う購入体験って、結構な愛着性が生まれると思っているのね。産地の総売り上げが大体まあ580億ぐらいなんだけど、それの10%、58億取れたとしたら、新しい稼ぎ口としてこれは本当の産業革命が起きるんだろうって思ってます。
産地の売り上げを作る時にやっぱ一個だけの軸じゃ危ないと思ってて、景気に左右されやすすぎるB to Bだけじゃもうやばいからね。本当に戦争だとかあの資材問題だとかいろんなものに左右されまくるから、僕はやっぱ産地だからいくつか稼ぎ口を作っておこうというのをみんなと話してて、こういうE to Cを作るっていうのが、まあある意味その生存戦略としてのやり方として産業観光をすることが大事だっていうことになるんだけど、その中で今SOEという会社を作って、産業観光について持続可能な地域を作るっていうことをやっていて、でまた別会社で若い子たちとかを職人さんとかと会社を作って今えっと宿を作る計画だとか、いつ来てもツアーだとか体験ができたりとか、メディアを作ったり、RENEWやったり、あと鯖江市ふるさと納税とかしたりとか、まあそんなことをやっています。
このTSUGIとSOEは2社が連携し合ってて、TSUGI がデザインと流通をしてます。SOEが観光と街づくりをやってる。会社を2つ同時にRUNをさせていて、こういうのをぐるぐる回ることで、創造的かつ持続可能な地域っていうものの、まあ日本のモデルを作るっていうことをすごいやりたいなあっていうのが地域として僕の目標です。
個人の話でいいですか、インタウンデザイナーという言葉を2018年ぐらいから言葉として言っていて、インタウンデザイナーが何かというとですね、定義としてはある特定の地域で活動して、狭義のデザインの領域を超えて、その土地の地域資源を複合させて編集してみたいなことが新たな価値を生んで、かつ地域はこうだという未来を導くデ
ザイナーっていう。これ何かっていうとあのよくインハウスデザイナーという言葉聞いたことないかな。あの企業に属するデザイナーのことをインハウスデザイナー、それの街版としてインタウンデザイナーをほとんど2018年ぐらいから提唱してます。
ちょうど地元の日華化学さんの仕事をしてた時ぐらいなんだけど、そもそもデザイナーって日本に20万人ぐらいいる、建築系はそれに含まれているかはわかってないんだけれど、20万人のうち6割ぐらいが東京大阪に集積してます、まあいわゆる消費地。消費地としてのデザインの役割があって、20万人中7割ぐらいが企業に属するデザイナーなんですよ。ということを考えると都道府県で独立系デザインがあっても、ほぼ天然記念物みたいな感じになっちゃうんですよ。
東京とか大阪の場合はやっぱりデザインっていうのはすごいちゃんとこう分業化されていて、例えば建築でいうと組織設計事務所的な感じになるわけです。デザインも一緒で、ある意味その方が効率も良いし、クオリティ爆上がりできるんだけども、なんて言うかな、一方でなんか独立しにくい。小堀さんも組織出身やんか、だから小堀さんのところに来る人もやっぱり結構組織設計出身だから、小堀さんのとこ行くとなんか違う球技をしてるみたいになって、結構リハビリが大変みたいなこと言って、それと近い感じなんだけど、やっぱりその地域でデザインするともうなんでもやんないといけないんだ。予算もないし、自分で写真も撮らないといけない、文章を書かないといけない、もうありとあらゆること全部自分でやるんだけど、ただなんかすごい平均の能力値が爆上がりするわけですよ。うちにくるデザイナーとかも、すぐ独立できるようなっていくというのはそういうやり方をしてる。
一番いいと思っているのは、なんというかな、デザインっていうのは本来計画と設計であるってことは思っていて、よくデザインと言ったらそれはいわゆるスタイリング的なデザイン意匠の話になりがちなんだけど、本来的には計画であり設計するっていうところがある。地域デザインしてる時にすごく大事なのはまさにその計画と設計である
のは、お客さんがチラシ作って欲しいんですって言われて、いろいろ話を聞いていくと、チラシじゃないことなんてたくさんあるわけなんですよね。本当の本質どこにあんねんというところを根っこから掘っていく必要がある。かつそれをちゃんと伴走することがえっと本質的にデザインであるっていうことを僕は思っているし、そういうなんか根っこから伴走できるデザイナーが地域に増えることが、結果的になんか国力があがるんじゃねみたいに思っている。
消費地のデザインも大事だけど、ものを作ってる生産地だからこそ、その作り手に寄り添って根っこから課題解決して行くということがやりたいですね。でその雇用をライフワークとしてワーワー言ってたら、国が動き出してですね、経産省が「インタウンデザイナー活用ガイド」を発行、確かに相談あったけど気づけばできてたみたいな感じで、言ってみるもんやなみたいな感じなんだけど、今日本においてデザインってすごい価値が高まっている。今までみたいなスタイリングっていうか、それこそデザイン経営みたいな言葉ができたりだとか、デザイン思考だとかまあそういうなんつうのかな、いろんなこう複雑な課題がある中でなんかこう、デザインというフィルターを通すことで可視化ができてクリアになるっていうことは、往々にしてあるから、国全体としてデザインっていうのをちゃんとやっていくことが、まあある意味国策でもあるっていうような話のある意味地方版みたいな感じなんですけど。なので僕はいろんな学生と話して、めっちゃ多いと思わせて、移住させて、最終的に自分の地元で頑張れってリリースをするというヤバい人なんです。
地方における建築や
インフラの役割
僕たちも地域については建築学科として、考えることがあるのですが、もし今後、鯖江市の活動をしていて、何か建築的に解決できる話があるとしたら、どのようなものがあるとお考えですか。例えば街の人が会議するときはこういう空間がいいとかあったりしますか。
結構あると思うよ。僕は公民館とかってめっちゃ面白いなと思っててね。公民館ってちゃんと詳しくないけど、世の中にすごい数あるんですよ。それで、昔の使われ方がすごい良かったんですよ。地域の集会場になっていて、もっと結婚式場っぽい場所とかあったりとか、本当に冠婚葬祭とかそういう色々なイベントとかもできたり、カルチャ
ースクールでもあったりだとか。だから、公民館はね、すごいもっとありようがあるというか。やっぱり「公民館ってこういうものだよね」みたいなものって、なんとなく固定観念があるとは思うんだけど、そういう考え方のもとにやっちゃうとある特定の人しか参加しなくなってしまう。
そこに何かちょっと工夫するだけで、地元の高校生や小中学生とかが勉強部屋として使いやすい場所になったりだとか、何だったらコーヒーマシンを一個置くだけで変わるかもしれない。何かそういうソフトのデザインとかアクティビティのデザインみたいなことは何かの装置を置くだけでも解決できる可能性は十分あったりもしてて、そういうのはすごく面白いなって思っています。
地方に必要なのは『空飛ぶ車』?
あとはちょっと、SFみたいな話だけど、インフラはいつも困るんですよ、地方の場合。例えばここから鯖江駅まで歩いたら2時間かかるわけですよね。車で15分ぐらいですけど、交通弱者に対して今はコミュニティーバスとかを税金ぶっぱなしてやってるんだけど、もう一つのモビリティ。建物を作るんじゃなくて、モビリティの計画とかはむ
ちゃくちゃ意味のあることだと思うし、何でSFかっていうと、それこそもう空飛ぶ車を本気で、ショーじゃなくて実装させようぜとかね。ここにヘリポートを置くんじゃみたいなのを計画するだけでもめちゃくちゃ面白くなる。それはひいては観光地にも繋がるし。
面白いです。
何か一休さんみたいな感覚です。車がダメなら飛ばせばいいみたいな。そういうインフラのところとかがスケール余地があって面白そうだなって。
調べていく中で、そのインフラっていうのにも結構課題があって、歩いて楽しい街を作りたいみたいなのをみたんですけど、何かその観点でTSUGIさんとかが意識してることとかありますか。
ウォーカブル的な部分で意識しているところ?
会社としてはないかもだけど、職場はど田舎なんだけど、みんな住んでいるのはわりと福井駅近くで、僕も福井駅から10分くらいのところに住んでて、休日は積極的に歩いている。歩ける暮らしって結構贅沢だなと思ってて、東京って歩くのデフォルトじゃん。福井の場合は
めちゃくちゃ高速移動になっちゃう、車だから。やっぱり歩いて気付くこととかってたくさんあって、そういうのがどうしても福井で車生活だと歩くのは厳しいから、何か生活が豊かでなくなってしまう。何かと点と点を高速移動しているような話になるから、何か暮らしっていうものがあんまり見えなくなるなって思っていて。
そんな時、誰かが福井駅前に住み出してそしたらめっちゃみんないいやんってなって、そしたら何か大移動が始まって、結構みんな福井駅前に住んでたりとか、ちょっと質問の意図とは違うかもしれないけど、そういう生活レベルの変化はウォーカブル的な部分ではあるかもしれない。
福井駅の近くに住んだ方がいいってことなんですか。
飲みに行っても『代行』ってあるんですけど、知らないよね。飲みに車で行くわけ。そしたらどうするかっていうと、代行してもらう人に電話すると、そしてたら軽の車に二人で乗って来て、一人が飲んでいた人を乗せて自分の車を運転する。で、一人が追いかけるという代行運転っていうのが地方あるあるであるんですよね。
それで、これ結構深い話でうちの会社は14人中12人が女性で、結構未婚の人も多いから、うちに働いている限り出会いがないわけですよ。でも、仕事終わってから飲みに行ったら出会いがあるかもしんない。代行のことも考えず、歩いて帰れた方が出会い確率は上がるよね。東京やったら出会い系アプリを後腐れなくできるかもしれないけど、地方の場合はお友達のお友達になるわけです。だから、みんな慎重にしてないとあかんとなると、そんなアプリなど使っては怖いから、歩いて飲みに行って出会いを作るというリアルな話。
鯖江市民の寛容さと誇り
「鯖江でなくても良かった」っておっしゃったんですけど、いざ来てみて「鯖江で良かったな」って。他の街と比べられないから難しいと思うんですけど、成功したなって思うところとか。
良かったってことしかないんです。
最初は鯖江じゃなくても良かったと確かに思っていたんだけど、今はもう鯖江じゃないと無理やったって思っていて。今でこそワーワー頑張れてるんだけど、これって僕が優秀でできたわけでは全然ないんですよね。地元の、それこそおっちゃんだとか、あと役所の人たち
だとか、いろいろな人たちが僕を育て上げたみたいなことを言う。だから僕には鯖江市内に、あいつは俺が育てたって言ってくれる人が10人くらいおる、マジの話で。でも本当にそうで、僕も鯖江の父だなと思う人が5 人いて、母が2 人いるんだよね。
で、何が良かったかっていうと、やっぱりもちろん物づくりの町っていうのはすごい仕事上を取っても、自分の生かせるスキルがたくさんある環境であるとは言えるのは事実なんだけど、それ以外にいうと鯖江という町が他の地域に比べて、移住者に対してすごい寛容なんですよ。これめちゃくちゃよくて、今130人移住者来て、みんな言っているんですよ。これ、何でかっていうと、結構宗教の影響もあって、何か永平寺があるから曹洞宗のイメージがあるとは思うんですが、実は完全に浄土真宗なんですよ。
で全然ちょっと関係ないかもしんないけど、もうすぐ本を発売するんですけども、この町のものづくり観光の本。最後の方に移住者特集とかがあって。移住者たちのインタビューみたいな。鯖江の人たちは本当にすごく寛容で、みんなそれを面白がって、どんどん僕らみたいな人たちが来て、地域が変わっていくみたいな。で、僕らが何かやろうと思ったら、それいいじゃんやろうよみたいな。例えば「住んでいいですか?」「いいよ!」とかね。極めて寛容だなっていう、新しいことにチャレンジとかに。
これって、やりたいことの背中を押してくれる寛容さだと思うんですけど、それはやっぱり新山さんを育てたから周りの方がそうなったんじゃなくて、もともとそうなんですか。先程、宗教的って話もされていましたが。
そうだね。それもあると思うんだけど、いろんな要素がマイルストーン的にあります。
例えば、1995年に世界体操選手権っていうのが鯖江であって、こういう体操の世界選手権って、大きい都市でやるのが普通なんだけど、めっちゃちっちゃい町で開催した。その時にみんな頑張ったんです
よ。ボランティアとかの受け入れとかしていた背景があることもあるのかな。
あとは、漆器だとかめがねとか、もともと商売の町なので、昔からやっぱり物も情報もたくさん入ってくる。僕がすごい好きな話で言うと、漆器職人さんの話なんだけど、江戸時代後期から昭和初期まで、田植えを終わったら、500人ぐらいの集団で、包丁とか和紙とか当然漆器とかを肩に担いで、岩手県の浄法寺ってとこまでずっと歩いて行商をしてたのね。岩手県に何しにいったかというと、漆のための樹液をとりに行ってたの。それで帰ってきた時に、村人たちに他の町のこととかを伝えてた。昔からそういう情報が入ってきたから、今もそのスピリットみたいなものが新しいことも入ってくることに、めちゃくちゃ寛容。
行政もそうで、前の市長とかすごかった。俺が責任とるから「若いやつは何でもせい」みたいな。俺が責任を取るからやれって言ってんだろうみたいな感じで逆に怒られるみたいな。そんなこと言える市長すごいななんて思っていたりして、そういう人たちがいるっていうのが大きな違いで、いるんですよ。他の町で僕が成功できたかっていったら全然想像できない。うまくいく地域の条件は寛容さとか、あとは心理的安全性の高い街。心理的安全性ってすごい今はビジネス用語でよく出てきているけど、何かグーグルとかアマゾンとかが経営の中でもすごい重要視してる考え方らしくて、要は社内の空気感みたいな感じで、例えば話しやすいかどうかとか、挑戦することをOKとするかとか、何か変なこと言っても許容できるかとか、そういうのがすごく大事だっていうのがあって、鯖江はまさにそういう話しやすさとか挑戦するとか助け合いとかそういうものが元々備わっているので、すごく心理的安全性の高い街じゃないかなって思ってます。
北陸の人々はすごいものを持ちながら、見せびらかさないという話をお聞きしたことがあるのですが、そういう人柄みたいなのがあるんですね。
そうね、あると思う。
僕、「福井なんかに移住したのか」ってめっちゃ聞かれるんですけど、「めっちゃ福井いいじゃないですか」とか言ったら、「まあな」って言う。「いやいや、好きなんでしょう」みたいな。
これ、僕らがやってる独断と偏見で作ったCraft Invitationというwebサイトなんだけど。これは県民歌を解説したやつと、福井県民の暮らしランキング。中学校の女子バレーボール部員数1位。朝食摂取率2位。地域行事参加率3位。宿題チェック率6位、中途半端でしょ。25 歳以上パチンコ人口4位なのにボランティア人口5位とか、この感じがめっちゃ面白くて、めっちゃパチンコ行くけどちゃんとボランティアするっていう謎の県民性。
あとは、社長輩出率。でもこれは結構大事で、みんな社長だから自分で作っていくしかねえから、やっぱりそれにフロンティアスピリットがあるのも向いているんですね。でも、みんないい人だね。嫌な人がいない。
こういう寛容さみたいなのが福井県ではあったという話を聞いて、じゃあもう寛容さのない町とかってやるってなった時に逆に難しいのかなって思いました。
寛容さがないまちでは難しいと思う。
僕の場合、デザインの仕事とかでいろんな会社さんとの仕事を年間60社ぐらいのお手伝いするんだけど、明らかにもうガチガチの家族経営の封建的なところもあるわけで、そういう地域もあるとは思うけど。
でも、そういう人たちとコミュニケーションを取るときに大事にしているのは、基本的に裏表を何か出さないようにして、騙すようなことをするくらいやったら騙された方がいいわと玉砕覚悟で丸腰で、ストレートにコミュニケーションを取っていく。
そうしていると、それこそ移住した時と一緒なんだけど、「TSUGIさんの社長って何かバカっぽいけど悪い人ではないよね」みたいな感じで、ちょっとずつ心を開いてくれたりとかして、一回心を開くとめっちゃしゃべってくれたりとかするんだよね。そういうのはやっぱり15年住んで、人心掌握術というのがあるのかな。
僕、バケモンコミュニケーションモンスターなので。そうなっちゃったんですね。生きていく術として。
もともとそういう性格ではなかったんですか。
元々そういう性格なんだけど。(笑)
でもうちのスタッフたちもどっちかっていうと穏やかな優しい子達が多いけど、やっぱめちゃくちゃ仕事としてのコミュニケーション力が長けている。デザインはコミュニケーションでしかないので、そこはみんな訓練はしていると思う。
相手のことを極力愛するようにしている、クライアントさんとか。例えば全然興味のない街に行った時も「この街、僕はめっちゃ好き」って自己洗脳みたいな感じで、いいとこばっか探す。
という一方で、めちゃくちゃ何かこうその人たちが言っていることとか、ヒアリングしながら「そうですね、うーん」とか言いながら全然ちゃうこと考えてて。そうじゃないかもしれないみたいな。愛しつつも疑ってるっていうか、本質はそこじゃないかもしれないみたいなことの二面性を持ってコミュニケーションを取っている。
あまり太鼓持ちになり過ぎるといいように使われちゃうから。いいように使われたら、やっぱり良くないし。でも否定ばっかで「これはダメだと思います」とか、みんなのテンションが下がってくるから。そこの上手なバランスを取ってみんなとこういう雰囲気でやってる時に、「本質これですよね」とかいうとね、「そやそや!」ってなったりするね。
今日もロゴマークのやつとかも20分で決定したりとかね。最初はできなかったよ。23歳なんてちんちくりんですよ。
新山さんの話を聞いているだけで、すこし福井に住みたくなります。
これからの活動について
いいね、ちょっと面白い企画があるので、ぜひ見て欲しいんやけど、今度やるイベントです。就職移住促進イベント「産地のくらしごと」をやります。
2つのプログラムをSOEっていうもう一個の会社でやっているんだけど、まず4日間、職人さんや作り手としての『就職版トライアルステ
イ』みたいなやつをやっていて。で、職人さんのところに弟子入りするみたいな。今まで50人ぐらい参加して、8人就職してるんだけど。
新しくやるやつ、これが面白そうで。
『支えて版トライアルステイ』っていうのをやろうとしていて、職人にはなりたくないんだけども、モノ作りに関わりたい。副業的に関わりたいとか、街づくりをしたいみたいな。例えばマーケティングECジェネラリストとかも含めて。そういうのを企業に行って何かそのこの街に例えば企業の業務改善だとか何か広報政策とか。そういうのを考えて上手くいったら就職みたいな、試しでやっていったりするんだけど。
毎年人気で、美術系の大学からめっちゃきて倍率も高くて、面接してるんだけど、これはいいんすよ。
こういうのに来る人というのは、どういった人たちがいらっしゃいますか。
そうだね、美大が圧倒的に多いなっていう感じなんだけど。今まで「産地の合説」って名前でやっていて。
美大のほうが、そういった情報がくるのでしょうか。
そうね、美大のほうがチラシも配っているかも。
でも、最近はもう全然違う子とかも結構来てて。
今、3ヶ月間インターンを来ている子は環境系の施設でインターンしてるんだけど、サーキュラーエコノミーだとか脱炭素とかの研究をして、今、グリーンイノベータープログラムみたいなやつで、鯖江に滞
在して事業政策を考えたりだとか、立教大学の3年生が半年間うちに休学してインターンに来てたりとか。
だから今、鯖江はそういう何か勘のいい大学生とかが、ごりごり見つけ出してくれてる。
大体デザイナー、職人系、地域まちづくり系、環境系かな。この辺のクラスター的な人が来る。なんで鯖江かっていうのは、さっき言った寛容さ。「鯖江ならなんかできんじゃね」みたいな。
【インタビュー取材終了】