ところが、新設されたメディアチームは、結果が伴わず、1年で解散となった。「ここが外資のドライなところ」(伊藤さん)だが、上司とマーケティング部のトップが会社を去ることになった。伊藤さんには、従来のアシスタント業務に戻るか、マーケッターとしてブランドを担当するかの2つの選択肢が提示された。
また元のアシスタント業務に戻るのは本意ではないし、マーケティング経験ゼロの自分がブランドを担当するのは大変そう。どちらも興味が持てなかった伊藤さんは、会社を辞めるつもりだった。しかし、上司から「会社を辞めることはいつでもできる。ブランド担当のほうがキャリア的にはいい」とアドバイスされ、アシスタントブランドマネジャーに就くことにした。
「これは自分で望んだというより、第三者から与えられた機会でしたが、結果としてその経験が今でも生きているので、私のキャリアでは一番大きな転機だったと思います」
とはいえ、仕事は想像以上に大変だった。それまでは職場で英語を使う場面はなかったが、このとき外国人の上司のもとで英語を使う必要に迫られたことも追い打ちをかけた。
「ブランドマネジャーは皆、そうそうたる大学を出て、そうそうたるキャリアを積んで、帰国子女が多いから英語もペラペラ。私はカナダに1年間いたとはいえ、旅行で使う英語と仕事で使う英語は違います。最初の2、3年は英語と仕事内容に追いつくのに精一杯でした」
やがて、コミュニケーションやプレゼンのスキルが上達するにつれ、結果も伴うようになり、次第に仕事が好きになっていった。年に2回の人事レビューを通して、「自分はどうありたいのか、そのために何をするのか」を考える習慣を叩き込まれ、仕事に対する姿勢も前向きに変わった。また、「日本の企業とは違い、ロジック重視で理不尽なことはあまりないし、年齢、性別、国籍に関係なくフラットに評価してもらえる環境」は伊藤さんにとって居心地がよかったようだ。
その会社には42歳まで11年間在籍した。「大きなプロジェクトを担当して、会社でやりたいことをやりきった感があったことと、常に忙しかったのと、想像を絶するプレッシャーがあったから」というのが辞めた理由だ。
「感覚としては、水の入った狭いアクリルボックスに足のつかない状態で入れられて、バタバタと水面から顔を出して、息が吸えるようになったと思ったら、また上から水を足される。そんなことの連続です。出来るようになる喜びは感じられるけれど、長くは続けられないなと思っていました」