パリ五輪では、フランス全土に35の会場が設けられ、選手と数百万人の観客を迎えた(図1)。市内の最大面積であるコンコルド広場は全面的に改装され、スケートボード、ブレイク、3×3バスケットボール等のイベントが開催された。エッフェル塔の足元にあるトロカデロではウォーキングとロード・サイクリングのイベントが、フェンシングはグランドパレスで、弓技は廃兵院(アンバリッド)で開催された。パリで最もゴージャスな橋の一つであるアレキサンダー3世大王橋は、自転車競技やマラソンスイムの舞台にもなった(原典・ Les sites des Jeux olympiques et paralympiques de Paris 2024 ・ L’institut Paris Région)。
一方2018年3月にパリ市議会に代わってイプソス研究所(Ipsos)が実施した調査によると、55%のパリ市民がセーヌ川右岸道路の歩行専用空間への転用に賛成と答えた。パリ市役所はセーヌ河畔道路の再配分に関する審査を、「交通や公害を減少する環境保全」という観点からではなく、ユネスコ歴史遺産地区に登録されている「パリ中心部における歴史・文化遺産の保存」という観点に変えて、再び公開審査を構成した。最終的には2019年の6月に行政控訴裁判所の判決により、セーヌ河畔道路の歩行者天国化が決定的に批准された。行政裁判所は、「河畔付近には自動車通行の代替ルートが存在するので、このセーヌ河畔道路への車両侵入禁止はパリ市における東西横断通行を不可能にするわけではなく、ただその旅程時間が長くなるだけである」として、車輛進入禁止の政令に反対する団体や個人の「取り消しの訴え」を却下した(原典・『le Monde』誌 21 juin 2019)。
合意形成については、住民からの意見徴収の仕組みが工夫されている。公道が対象となり私有地没収の必要がない空間整備プロセスでは、住民集会と合意形成に必要な期間は4から6か月で、工事期間は12から18ヶ月というスピードである。計画の初期段階で、パリ市では現在、インターネット上でダウンロードしたメモ(図6)を手に、市役所スタッフが企画する街歩きを行ない、地域の細かな提案意見を市役所に連絡する仕組みが整っている。日常生活を送る住民からの具体的な問題点の指摘や、その解決に対する諸提案を広く汲み取ることを意図している。実際にはCAEU(パリ市から活動資金の75%を得る非営利団体)という建築家・景観デザイナーを中心とする外郭団体が、このような街歩きや、また学校前のテーブルに対象区域のマップを置き、道路利用の新しい案を市民に紹介し、協議する合意形成活動(Map on the tableと名付けられたワークショップ)などを担っている。必ずしも住民集会などに出席しない住民層も対象として、できるだけ多様なプロフィールを持つ人々の参加を意図している。
五輪期間中の公共交通に関しては料金対策が注目された。メトロ運賃が大会中は2倍になると報道されたが、日常的に公共交通を利用しているパリ首都圏・イルドフランス州(Île de France州の人口約1,230万人。その内Paris市は約210万人)の住民は、交通カードNAVIGOを利用している。勤務先が通勤定期券を供給しないフランスでは、就労者がNAVIGOを購入すれば(現在約500万人が所有している)、自動車通勤からの転用の場合はその運賃の半額を雇用者が負担することが法律で制定されている(原典・労働法Code de travail l’article L. 3261-2)。また、公共交通を管轄・運営するのは地方公共団体であるイルドフランス州政府であり、NAVIGOの料金設定は低額に設定してある。1か月86.40ユーロでパリ市内からシャルルドゴール空港までの距離のすべての公共交通(メトロ、バス、LRT、地下高速鉄道RER)乗り放題であり、18歳以下は無料、62歳以上は半額である。基本的な社会サービスとして自治体が運営する公共交通の背景を知ることなく、「パリ五輪の間の運賃2倍」(実際には観光客が対象)だけが大きくクローズアップされたのは残念でもあった(ただし、イルドフランス州の住民でも定期券を持たずに、7月20日から2024年9月8日までの間にチケットを購入すると、運賃値上げの影響を受け、1時間有効の切符が2.15ユーロから4ユーロになった。これを避けるための方法も、交通事業者(イルドフランスモビリティ)のサイトでは詳しく説明していた)。
パリ首都圏地下鉄延伸計画
パリ首都圏やパリ市内の公共交通ネットワークはすでに大変充実している。全長212㎞、307駅の地下鉄や、全長130.98㎞のLRTが走り、その227駅のうち51駅はパリ市内である。パリ首都圏には2,425㎞にも及ぶバス路線と4,778の停留所があり、パリ市内だけでも627㎞のバス路線と1,391の停留所がある。パリ市内とパリ首都圏を結ぶRERと呼ばれる地下高速郊外列車の全長は587㎞で、249駅がある。現在パリ首都圏の公共交通ネットワークをさらに充実化させるために、国家事業であるグレーターパリエクスプレス計画(Grand Paris Express)が進行中で、地下鉄を204㎞延線して68駅を追加する(図7)。2030年に完成すれば、パリ郊外住民の95%に自宅から2㎞以内に何らかの公共交通の駅拠点ができる。また地下鉄沿線に、自転車専用道路の整備を並行して進めていることも特徴である。五輪の最大競技場の一つStade de France (写真10参照)があるSaint-Denis Pleyel駅までの14号線延長部分が五輪直前に開通し、その駅舎のデザインは隈研吾氏である。
五輪期間中は利用者増強に従い公共交通負担も増える(夏のバカンス中の出勤を要請される就労者たちが、様々な要求を掲げてストを行ったのもフランスらしい)が、政府は増加分は宿泊税値上げでまかなう思い切った対処法を編み上げた(図8)。2024年度の財政法(La loi de finances pour 2024)で、国はイルドフランス州の交通局であるイルドフランスモビリテの財源確保のために、宿泊税に新たな加算税を導入することを認めた。これは観光税の200%に相当し、パリおよびイルドフランス州に適用され、3つ星ホテルで宿泊税が1.6ユーロ(一人一泊)から5.2ユーロになった(単純に掛け算ができないのは、宿泊税には、自治体(日本の市町村にあたるコミューン)や県の徴収分もあり、200%が適用されるのは州税のみであるため)。
五輪後のビレッジには約2,800戸の新しい住宅が整備され、約6,000人の住民が住む予定である。 2,800戸のうち最大25%が社会住宅であり、バランスの取れた地域社会に不可欠な社会的混合性を約束する。社会住宅とは、家賃に上限があり一定の収入以下の所帯だけが入居可能な住宅や、国の援助で低金利ローンで購入できる住宅等を指す。2000年に策定された「都市再生・連帯法」で、「3,500人以上の自治体では、年間に自治体が建設許可を与える新規供給住宅のうち、少なくとも社会住宅を20%供給する」とされている。20%という数字は2013年に25%に引き上げられた。ビレッジの建設にあたったソリデオ社(Société de livraison des ouvrages olympiques)は約1年で、解体すべきものを解体し、キッチンなどを設置し、選手たちの部屋を、家族やオフィスが入居できる本物のアパートに変える。
このような不動産開発を可能にするのは、公的な使命を帯びた機構がビレッジの建設及び住宅への転用計画の政策主体となっているからである。ビレッジを軌道に乗せ、そしてその跡地の住宅転用建設を進めるのは、2017年に設立されたソリデオ社である。同社が、プロジェクトの「資金調達者、開発者、監督者」であり、その役割は、国、パリ市、イル・ド・フランス州、近隣の県などからの公的資金をオリンピック建設予算としてプールすることであった。ソリデオ社は、EPIC(établissements publics industriels et commerciaux・商工業的公施設法人・資本金の半分以上が公的部門に属する、公的な商業分野や工業分野の役務に特化した法人)であり、公会計省、エコロジー移行・地域結束省、スポーツ・オリンピック・パラリンピック競技省(省名称は2024年7月時点)の共同監督下に置かれている。理事会の理事長はパリ市長で、理事の半数19名は、ソリデオ社の主な共同出資者である国を代表する各省から、12名は地域の自治体の代表で占められている。
フランスでは都市利用や交通計画の策定については、公共団体が政策主体となる。事業許可権(建築許可・permis de conduire)発行を通じて、民間が開発するプロジェクトに対しても大きな権限を発揮し、また都市計画マスタープランそのものにも拘束力があることを、すでに拙稿で紹介した。社会課題の解決(社会全体の最適)と、安全で快適な人の暮らし(個人の最適化)との両立を考えた場合、何を最適化するのか?という社会の課題が都市計画では生じる。たとえば個人としては車の移動が便利だが、環境保全を考えれば社会全体としては車利用を控えることが望ましい。政策の決定において、多数の賛同自体が「その正しさ」を保証しないことを考慮しなければ、パリ市のような思い切った空間再編成の政策は実行できない。五輪レガシーとしての跡地利用も、経済論理だけを優先すれば、25%も公営住宅を含む開発事業にはならない。もちろん何が「社会課題の正しい解決」であるかを見極め、政策を決定することは困難であるが、フランスの都市政策を調査して、土木政策への社会の受容性ということについて、常に考えさせられる。