ドイツの都市発展には「俯瞰的な把握」「軸と全体最適」「価値と更新」という3つの原理がある
2023年1月20日/執筆:高松平藏(ドイツ・エアランゲン市在住)
歩くのが楽しいバイエルン州アンスバッハの市街地(筆者撮影)
はじめに:都市とは集積性のある永遠のベータ版である
都市を厳密に定義しようとすると意外に難しい。その理由は時代、歴史、風土、権力構造、技術などの要素によって変わってくるからだ。だが、次の2つの共通点が見出せる。
・集積性 ・永遠のベータ版
都市には、建築物などのハードから都市社会学のリチャード・フロリダの言う「才能」に至るさまざまなもの、すなわちヒト・モノ・カネ・情報・知識などが集まる。これらが相互に作用し、時には都市の外からやってくる刺激(技術・才能・価値観など)にも反応し続けることで、永遠のベータ版として発展し続ける可能性がある。
また発展の方向性をみることで、どういう「都市の質」の追求がなされているのかが、ある程度わかる。ここで言う“質の高い・低い”というのは、ある価値観に基づいたものが、どの程度実現できているか、洗練化されているかということを指す。とりわけ昨今の多くの都市が求める質とは「持続可能性」ということになるだろう。
このように、都市の質の追求と集積性の相互作用を「都市の原理」と呼ぶのであれば、その原理には国や地域によって固有のものが見出せる。本稿ではヨーロッパ、とりわけドイツの都市の原理とは何かを検討していく。
1.
固有の「都市の原理」とは?
本論に入る前に「都市の原理」に焦点を当てた筆者の背景を紹介しておこう。
私はジャーナリストである。この職業が扱う範囲は一般に文化、環境、経済、政治など広く、御多分にもれず、私も比較的広い分野を取材してきた。ただ私は自分が住んでいるところを取材する地域報道をやりたいと考えていた。たまたま私的な理由でドイツ・エアランゲン市(バイエルン州、人口約11万人)に引っ越すことになり、それこそ散歩する範囲で見つけたギャラリーや、たまたま町で知り合った人に話を聞くことから始めた。
そのうち、行政や企業、非営利組織など取材範囲も広がっていき、それぞれの関係性や、その関係をつくっている各組織の人物たちがどこで、どんなふうに交流しているのかがわかってくる。
一方、地方の都市が抱えているのは環境問題、交通政策、育児環境、経済振興、社会福祉など、日本の地方でも議論されている課題である。ところが、それらの課題への取り組みかたを見ていると、日本とは異なるアプローチが見られる。そのアプローチというのは、具体的なやり方が異なるということもあるが、物事を考えていく前提が異なっているのだ。
その前提とは、ドイツの法律や自治体制度、歴史、価値観などを指すが、本稿に引きつけて言えば、都市のイメージ、都市への期待が日本と異なるのである。そのため、都市の質をどのように追求していくのか、集積しているものがどのような相互作用をおこしているのかという「都市の原理」が異なる。
以上のような取材・調査・観察を経て、筆者が考えるドイツの「都市の原理」は次の3つにまとめることができるだろう。
1. 俯瞰的な把握 :全体を俯瞰するような都市への視点があり、都市の全体像を把握しようとする傾向が強い。 2. 軸と全体最適 :歴史を背景にした「中心(市街地)」があり、ここが自治体全体の「軸」として多くの機能と象徴性が集中している。中心市街地を軸として、いかに全体の最適性を実現するかに注力される。 3. 価値と更新 :都市を発展させていくための根拠になるのが価値観である。今日では持続可能性という言葉で表現されるが、そこには自由や平等、連帯、公平といった欧州的な価値観がつながっている。それらの価値観がいかに都市の中で実現していくか、更新していくかがカギになる。そしてその手法はデモクラシーである。
以降、この3つの「都市の原理」について、順を追って見ていく。
図. ドイツの「都市の原理」
2. 都市には俯瞰装置がある
2.1. 市壁からはじまった、俯瞰する視点
中世につくられた都市の特徴として、都市をぐるりと取り囲む市壁がある。例えばネルトリンゲン(バイエルン州、人口約2万人)の市壁などは近年知られるようになった。漫画・アニメ作品「進撃の巨人」の舞台になる街のモデルになったからだ。また市壁は観光資源のひとつでもある。クリスマスの飾りなどで知られるローテンブルク(バイエルン州、人口約1万1000人)などはその市壁で囲まれた旧市街地は観光地として有名だ。「中世の佇まいを残した……」などという具合に観光案内の案内として説明される。
規模の大きいものになると市壁というより城壁だ。ニュルンベルク(バイエルン州、人口約52万人)などはその代表格で、観光地としてもよく知られるところである。
ヘルスブルック(バイエルン州、人口約1万人)の市壁(筆者撮影)
ニュルンベルクの城壁。観光資源でもある(筆者撮影)
ここで考えてみたいのが、物理的な壁で囲んでしまうという行為についてである。実はローマ時代の古代都市も壁で囲まれた形のものが見られたが、中世都市は明らかに異なった発展を遂げた。すなわち、経済、政治と行政、宗教、軍事、それから知識や教育といった「知」、それに手工業生産、消費、交換市場という面で、地域の中心地でありえたのだ[1]。
[1] 河原温(2009)『都市の創造力』, 岩波書店 p32-38
また都市のアイデンティティを表し[2]、市壁の内と外がはっきりしていたことが一致和合の感情が住民のあいだで生じ[3]、「市民意識」の形成につながった[4]。このことから、人々は市壁の中は人工空間として、あるいは壁で囲まれた「内側」として強く意識したと思われる。
市壁は外敵から守るための防御壁ではあるのだが、最初から「この範囲が都市である」と決めた人工空間ということでもある。この時点で市壁内の全体を見渡す眼差しがあったと考えられる。
シュワバッハ(バイエルン州、人口約4万1000人)の中心市街地の地図。「市壁通り」という通り名が見られる(筆者撮影)
19世紀に工業化の時代に入ると撤去されたり、文化財として残されたりするようになる。またハンブルクやデュッセルドルフ、ケルンをはじめ、市壁を撤去して環状道路にしたところも少なくない。都市計画の分野ではウィーンの環状道路などはよく知られるところだ。小さな都市でも「市壁通り」という名前が残っている自治体も少なくない。それにしても今日でも「都市」のイメージは残り、小学校などの授業でも「市壁のある都市」について触れられる。ここが旧市街地や中心市街地と呼ばれ、後述するように、絶対的「軸」としての存在感があるのである。いわば「自治体のヘソ」のような場所である。
日常の中で「都市へ行く」といえば中心市街地へ行くことを指すことが多いし、市壁がある鍋のような空間に飛び込むかのようなイメージを持った言い方がなされる。
[2] 同上 p4 [3] ルイス・マンフォード (著)勉 (翻訳)生田. (1974). 都市の文化. 鹿島出版会. P52 [4] 阿部謹也(2010)『中世の星の下で』,筑摩書房 (Kindle の位置No.1211-1219) では、市壁の外の世界とギルト・ツンフトに入れなかった下層民がいた。これらが否定的な媒介となり、ギルト・ツンフト内の秩序を形成。これらが市民意識につながり、18、9世紀の国民意識へ昇華することが指摘されている。
2.2. 郷土保護と都市アーカイブ
文化財のように残った市壁・城壁は、観光資源になっているほか、カフェなども経営され人々の憩いの場所になっているケースもある。これらは都市の歴史と特徴を示すものであるが、それは市壁のみならず、市街中心地にある建築物などもそうである。
このように都市の歴史を大切なものとする考え方は「郷土(ハイマート)保護」という言葉で言い表せる。この概念は19世紀後半に「ハイマート運動(Heimatbewegung)」に展開される。象徴的な例が1904年に設立された「ドイツ郷土保護連盟(Bund Heimatschutz)」[5]である。「郷土保護」とは自然や景観を保護するということを指し、同連盟はそれに関わる団体の上部組織の役割を果たした。現代でも多くの都市に郷土保護協会や歴史協会の類があるが、この時代に端を発するものが多い。筆者が住むエアランゲンでも1919年に設立された同様の協会があり、会員数は約500人を数える。
修復中の歴史建造物でイベントを行う郷土歴史協会(エアランゲン、2019年)(筆者撮影)
一方、ハーマート(郷土)については時代に応じて意味合いに変化はある[6]。ナチス時代、民族と祖国に焦点をあてた「血と土のイデオロギー(Blut-und-Boden-Ideologie)」のなかで使われたほか、近年でも極右過激派運動で頻出する。その点でどういう文脈で使われているか注意して見なければならない言葉だ。しかし郷土保護のもと、都市の過去を全て記録し、現代でもどこに何が残り、どのような歴史であったかを把握しているといえる。これがもうひとつの都自全体を「俯瞰」する眼差しである。
「ハイマート」とも関連が深いのが都市アーカイブである。アーカイブの設置・運営は自治体の権利と同時に義務だ。自治体アーカイブ連邦会議によると、アーカイブはコミュニティの文化的外観を決定し、住民がその外観を自分たちのものにする基礎をつくる。そして、地域社会と日常の現実を包括的に描写していき、その出来事や現象、構造の大小に関わらず文書化を行う。これによって政治的、経済的、社会的、文化的出来事に対して公平性という正義を与えることが任務だ[7]。具体的には古くからの行政文書、レコードやテープなどのメディア、絵図、パンフレット、出版物、といったものが収蔵されている。
エアランゲンにも市営アーカイブがあるが、先述の郷土歴史協会と緊密な関係がある。蛇足ながら筆者の著書『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』(学芸出版社) なども収蔵されている。拙著はドイツの地方都市の発展をテーマにしたものだが、エアランゲンを中心に周辺都市のことを「事例」として触れているからだ。そのため「外国語で書かれたエアランゲンの書籍」と位置付けられている。アーカイブには1,000年以上前の文書も収蔵されているが、今後、爆撃や火災などでアーカイブが消失しない限り1,000年先にも拙著が保管されると考えると、気が遠くなりそうだ。
ともあれ、アーカイブは都市の歴史を証明する全ての「証拠品」を収集・整理・活用する機関であり、これもまた都市を「俯瞰」する装置である。
[5] Bund Heimat und Umwelt e.V.のホームページ(https://www.bhu.de/ )の歴史に関する記述より(2014年1月30日閲覧) [6] Küster, T. (2016). Krise oder »Renaissance«? Die regionalen Heimatbünde und Landesvereine für Heimatpflege. Badische Heimat , 387.を参照 [7] Bundeskonferenz der Kommunalarchive beim Deutschen Städtetag. (26. 4 2004). Positionspapier Das historische Erbe sichern! Was ist aus kommunaler Sicht Überlieferungsbildung?
2.3. 統計と立地要因という俯瞰手法
「俯瞰装置」として、自治体の統計も挙げられるだろう。ドイツ都市統計家協会は1998年に地方自治体の統計についての指針を発表しているが、地方自治に統計は不可欠なものとしている[8]。法的(基本法28条)にも地方自治体が独自に計画をたてる権限の枠内で統計の実施ができる。そのため多くの地方都市には統計局を設置している。
言うまでもなく、統計は自治体の人口、政治、経済、土地利用、社会的な状態などを包括的に数字で示す。このエビデンスベースの手法が本格的に導入されるのは17世紀後半の国状論というかたちで現れる。財政学などの基礎になった官房学の[9]流れのなかにある。
自治体レベルで見ると、1861年にブレーメン州統計局につながる組織がつくられている。基礎自治体となると1897年にシャルロッテンブルクで初めて統計局がつくられた[10]。
エアランゲン市も「統計・都市調査局」という部署を置き、自治体内の人口統計や選挙結果、土地利用などをはじめ、教育や治安、中心市街地の利用状況やニーズ、健康など頻繁に統計資料を作成している。これらは議員の政策立案の大きな手がかりになることもある。職員も専門知識を持ったスタッフが継続的に取り組んでいる。もっともこれはドイツの行政マン全般にいえることだが、基本的に他部署への人事異動はなく、各部署に必要な専門教育を受けた人物が働いている。
ともあれ、統計が自治体全体を俯瞰する手法になっていることがうかがえるが、もうひとつ立地要因という概念[11]について触れておきたい。
立地要因とは1909年にアルフレート・ヴェーバーが工場に立地として輸送費・人件費・集積の3つの要因から説明した。現在でも経済分野で使われることが多いが、企業の事業展開の拠点地としての都市の条件を問う概念として使われている。概ねエネルギーや道路といった全体のインフラから行政制度、都市のイメージ、生活の質まで、ハードからソフトにまで及ぶ。もちろんこれらの条件は時代によって変わる。インターネットのない時代ならば、ネットの情報インフラは考える必要もなかったが、現代では光ケーブルが敷設されているか否かということは重要なインフラになってくるからだ。
人口11万人のフュルト(バイエルン州)の市営演劇場。約120年以上の歴史がある(筆者撮影)
それにしても筆者の体験で言えば、都市の計画やデザインなどのフォーラムなどで、「立地要因としての文化」「立地要因としての環境問題」などというような使い方を時々耳にする。それぞれ「企業が喜んでくるような都市の条件として文化の充実具合はどうか」「環境対策はどうか」といったような意味である。経営者の視点に立つと、犯罪率の高い場所で好んで事業を展開したいと考えることはまずないであろう。それよりも、基本的なインフラが揃った上で、文化的に充実した都市ならば、「都市の雰囲気」も良い。また拠点地の地元雇用を念頭に置くと、「文化を享受するような市民が多い都市」には優れた人材も多いと判断できるだろう。
立地要因は工業化の文脈の概念ではあるものの、ここでも都市全体を俯瞰し、全体の状態を検討する視点が見出せる。
[8] Der Verband Deutscher Städtestatistiker https://www.staedtestatistik.de/ueber-uns/vdst (2022年10月25日閲覧) [9] 官房学について<「帝国」を構成しているこれら諸領邦において、近世はじめ以来展開されてきた政治、行政、経済、経営の諸政策にかんする体系的総括の学問>と説明されている。(池田浩太郎(1981年7月)『ゼッケンドルフ「ドイツ王侯国家」─前期官房学の財政思想(一)』,成城大學經濟研究74, 39p [10] Lohauß, P. (1/2 2012). 150 Jahre amtliche Statistik in Berlin. Zeitschrift für amtliche Statistik Berlin Brandenburg , 4. [11] Hayessen, T. (2015). Standortwettbewerb und Wettbewerbsfähigkeit von Städten und Regionen. GRIN Verlag.第2章を参照した
3.強靭な軸と、全体最適がセットになっている
3.1.旧市街地という自治体の絶対中心
さて、旧市街地(中心市街地)は自治体の絶対中心地、自治体のヘソともいえる場所である。特徴を記していくと、古くからの建築物が残り、ツーリストの中には「メルヘンの世界のよう」と形容する人もいる。通りにはカフェやレストラン、小売店、広場には露天商が並ぶ。教会がそびえたち、街路樹が充実している。所々にベンチも置かれ、パブリックアートもある。しかもこういうエリアを歩行者ゾーンにしているところも多い。その点、細長い公園のようであり「ドイツらしい街の風景」がある。
人で賑わう歩行者ゾーン(エアランゲン)(筆者撮影)
コミック関係の文化フェスティバルでは有名なロボットも闊歩(エアランゲン、2022年)(筆者撮影)
しかし、言うまでもなく、「来場者(ツーリスト)」のためだけの空間ではない。「地域資源」としての中心市街地を観光経済に全て転用してしまえば、それは「テーマパーク」だ。公共空間とは「社会の居間」である[12]。あくまでも市民の日常生活の一部であり、住居もある。ではどのような方針で、「自治体のヘソ」はつくられているのだろうか?
[12] Maria, S. (15. 11 2019). Wem gehört die Stadt? Erlanger Nachrichten . 北バイエルン新聞社主催の都市に関するフォーラムのレポート記事でパネリストの発言として紹介している。
教科書的に言えば、「中心市街地」に求められるものとして次の3つがよく挙がる。
(1)中心地へのアクセスの良さ (2)中心地で享受・利用できるものの多さ (3)中心地での滞在の質
こういったことが自治体のヘソたる場所として、発展の方向性を決めていると理解できるだろう。特に「滞在の質」という言い方は、筆者が購読している地方紙でも、市街地にまつわる記事でもよく使われる。
市街地の広場に砂を敷き詰めて「ビーチ」に。さらにパブリックビューイングを設置(エアランゲン)(筆者撮影)
多くの都市の中心市街地をさらに見ていくと、市役所などの官庁があり、オフィス、銀行、それに劇場や図書館、ミュージアムなどの文化施設も集積している。いわば多機能空間になっており、たくさんの人々が出歩いている。
人口11万人のエアランゲン市の市街地も同様で、都市計画やまちづくりに関心のある人が筆者を訪ねてくださると、「本当に11万人の町ですか?」と感想を述べられる方が少なくない。やや乱暴な言い方だが、こういう光景は1万人、3万人、5万人といった規模の都市でも見られるし、逆に50万人、100万人の大きな都市でも基本的な構造は同じだ。
歩くのが楽しい市街地(アンスバッハ、バイエルン州、人口約4万2000人)(筆者撮影)
この集積性を象徴する空間は人々の中に「都市」のイメージを強くつくる。そのため感覚的に言えば隣の自治体までクルマで走ると、「都市と都市の間の空間」があるように感じられる。もちろん中心市街地の外側にも住居や商業施設、経済エリア、畑、森などがあり「何もない」わけではないのだが、それだけ中心市街地がはっきりした「都市イメージ」をつくっているということだ。
逆にドイツの人々が日本へ行くと、国道沿いなどに「町らしき空間」が続くため、「どこからどこまで『都市』なのかわからない」と感じるケースも少なからずあるようだ。
市街中心地にはそのモデルが設置されることが多い。人口185万人のハンブルク(筆者撮影)
こちらは人口4万2000人のアンスバッハ(筆者撮影)
「自治体のヘソ」としての意識は、コロナ禍の影響からもうかがえる。外出制限のために多くの自治体の中心市街地の小売店が廃業するケースが各地で相次いだ。そのため小売店の誘致をはじめ、中心地での「滞在の質」を高めるための対策を次々と打ち立てるなど、多くの自治体で喫緊の課題になっている。
市街地でダンス。ドイツで社交ダンスはポピュラーな娯楽。地域のダンススクールと自治体による中心市街地活性化の取り組み(エアランゲン、2022年)(筆者撮影)
3.2. 自治体全体の最適化を目指す
「中心市街地(=旧市街地)」が自治体の軸として機能している一方、自治体の全体最適化を考える発想も見て取れる。
例えば「中心地へのアクセスの良さ」という点に引きつけると、自治体全体の地域交通政策の課題になってくる。この時、「市内の公共交通は?」「市街中心地周辺の駐車場は?」「どこからでも市街中心地にアクセスできる自転車道は整備されているか?」などといった課題が出てくるわけだが、現実を把握するために、例えば先ほどの統計局の統計資料などが重要な役割を果たす。
またエアランゲン市の行政や市民団体の動きを見ていると、自治体の中心市街地以外の区域で「運動・余暇のための場所は十分にあるか?」「住民が集まれる場所はきちんと機能しているか?」といった意見や議論が出てくる。建物などの「ハード」と、市民参加などの「ソフト」の総合的な充実化を図ろうとする発想といえるだろう。
際立ったのが、同市内の西側にある区域「ローテルハイムパーク」だ[13]。戦後アメリカ軍が駐留していたが、撤退に伴い、市は1997年に約101haの土地を取得し、開発した。それは教育、運動、余暇空間、交通、モビリティ、社会的交流といったハードからソフトまでを視野に入れたもので、そのプロセスで市民参加のワークショップも何度も行われている。その結果、自転車道・歩道がきちんととられた道路がつくられ、オフィス、小売店、人々がくつろげる広大な緑地帯や公園、地域の交流センターまで揃っている。この地区の開発を通して、「どこまで揃えると全体的に最適な都市がつくれるか」という考え方が透けて見える。また都市の立地条件とも重なる。
ローテルハイムパークの一部。ハードからソフトまで視野にいれた開発で「ドイツの都市において、全体最適とは何を指すのか」という洞察を与えてくれる(筆者撮影)
[13] 歴史については次の冊子を参考にした。Stadt Erlangen, Projektgruppe Röthelheimpark. (2011). DER RÖTHELHEIMPARK Vom Militärgelände zum Vorzeigestadtteil – Eine Erfolgsgeschichte. Stadt Erlangen.
4.アップデートには価値観と手法がいる
4.1. 近未来の都市は中世の建築物でロボットが働く
筆者は日本に一時帰国するたびに、日本で使われる言葉の変化に驚くことがあるが、そのひとつがリノベーションを略した「リノベ」という言い方が広がったことだ。個人的に初めて耳にしたのが2016年で、日本の「スクラップ&ビルド」からの脱却という課題に呼応しているように思われた。
それに対してドイツはというと「スクラップ&ビルド」というよりも「アップデート」という表現が妥当であろう。中心市街地の中世に造られた建物は修復され、外観を保っているが、中身は現代に応じた使い方や、最新のテクノロジーを入れるという手法である。この背景には歴史的記念物の保護と管理に関する法律があるという事情もある(例えば、バイエルン州記念物保護法)。
石造りの建築物の中身はファストフード店であったり、ATMなど今日のスタンダード技術が使われている銀行であったりする。
中心市街地に建つ伝統的な木組みの建築物を保全しているが、中身はレストラン、銀行、小売店など現代の価値に応じた使い方がされている(バート・メルゲントハイム、バーデン・ヴュルテンベルク州、人口約2万5000人)(筆者撮影)
「歴史的価値」と「今日の価値」という組み合わせのアップデートを理解するに至った個人的な体験をいうと、20年あまり前にさかのぼる。筆者が住むエアランゲンで「マルチメディアセンターをつくる」という情報を得て、最新の建築物の中に最新のテクノロジーを導入する様子を想像した。センターの住所を見ると市街中心地で、行ってみると18世紀の建物の中に当時の最新機器が入っていたのだったのだ。この手の例は枚挙にいとまがない。
一方、歴史的価値と最新テクノロジーが衝突することもある。太陽発電のパネルがその代表格だ。2000年代半ば、ドイツで太陽発電の普及が進んだが、その頃、太陽発電を進める非営利組織の代表から歴史的建築物へのパネル設置が難しいと、グチのように聞かされたことがある。2020年代に入ってもその議論は続いているが[14]、条件が揃えば設置を許可するようになってきている[15]。
[14] 例えばMöckl, V. (30. 11 2021). Das Denkmal und sein Sonnendach. Von Merkur.de: https://www.merkur.de/bayern/das-denkmal-und-sein-sonnendach-91147984.html [15] 例えばバーデンヴュルテンベルク州の例(報道資料)Baden−Würdenberg. (4. 7 2022). Land erleichtert Installation von Solaranlagen auf Kulturdenkmalen. Von Baden−Würdenberg: https://www.baden-wuerttemberg.de/de/service/presse/pressemitteilung/pid/land-erleichtert-installation-von-solaranlagen-auf-kulturdenkmalen/
いずれにせよ、歴史的な価値を保ちながらアップデートしていく方法が続くならば、近未来の都市とは中世の石造りの建物の中で最新鋭のロボットが働くような状態になるのではないか。その兆候は昨今散見される。例えば人口2,000人ほどの自治体ドルミッツ(バイエルン州)のあるレストランは15世紀の建築物を使ったもので、2021年12月に配膳ロボットを配置。この大きな背景には、コロナ禍に伴う外食産業の人手不足があるが、近未来のドイツの都市を想像させる風景がそこにある。
19世紀後半に創業した醸造所のレストランで使用されている配膳ロボット(アウフセス バイエルン州 人口約1,300人)(筆者撮影)
また、古い工場などをリノベーションによって、文化施設などにするケースが日本でも散見されるようになったが、筆者が知るいくつかのケースをみると1980年代からドイツでそういったブームがあったように思われ、自治体内の文化シーンの重要な位置付けになっているケースも多い。
例えば、ニュルンベルク(バイエルン州、人口約52万人)のタッフェルハレ は1900年代初頭につくられたねじ工場で、1987年から劇場になっている。フュルト(バイエルン州、人口約11万人)のコッファーファブリック は19世紀半ばに建てられた鞄工場で1994年から文化センターとして使われている。シュワバッハ(バイエルン州、人口約4万1,000人)のアルテ・カッフェルオーフェンファブリック は19世紀半ばに建てられたストーブ工場が1992年から文化センターになっている。4万人規模の自治体であっても、こうした動きがある。
1700年代の建築物が保全され、そして会議や講演などに今でも使い続けられている。写真はコミック関係のフェスティバルでトークライブを行う漫画家・エルド吉水さん(エアランゲン、2022年)(筆者撮影)
4.2. 都市の更新システムとしてのデモクラシー
歴史的建造物の価値を維持しつつ、使い方をアップデートするというのは、外観と中身に大きなコントラストがあり、目を引く。だが、もっと重要なのが自治体の中でどのように「都市の更新」を決定していくかという点である。
結論を急ぐとそれはデモクラシーである。
言うまでもなく、ドイツはデモクラシーの国であり、憲法にあたる基本法でも重要な事項として記述されている(第28条、第1項)。それは州レベルでも触れられていて、例えばバイエルン州憲法では自治体の自治は州の下からのデモクラシーに寄与するものとして明言されている(第11条、第2項および第4項)。
デモクラシーとは期間限定の統治者を選挙で決める制度(代議制民主主義)だが、もう少し普遍的な言い方をすれば、共存のひとつの方法である。そのための鍵になるのが、「参加」だ。特に下からのデモクラシーで、「参加」はよりリアリティがある。なぜなら、人々は自分が生活する自治体の問題や課題に対して、意見を自由に述べあい、議論を重ねていくことができるからだ。そして、より多くの人々と一緒に考えるために公論化していくことが政治化するカギになる[16]。こういう個人の行為の総体がデモクラシーを生きたものにする。デモクラシーとは投票することも大切だが、投票率のみならず、こうした行為が伴ってはじめて成り立つものなのである。
選挙運動は市街中心地で。誠実な対話の積み重ねがある(エアランゲン、2005年)(筆者撮影)
[16] 高松平藏. (2017年10月22日). ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由. 参照先: 東洋経済ONLINE: https://toyokeizai.net/articles/-/193857
さて、公論化のためにはどうするか?今日ではSNSや市民運動を支援する署名を募るネットサービスなどの利用が考えられるが、伝統的には地方新聞の読者投稿欄への投稿だ。いささかクラッシックなドイツの日常風景を語れば、朝のコーヒーを飲みながら読むのは地方紙である。
人口1万人程度の自治体にも町の名前がついた新聞が発行されていることもある。ジャーナリストが日々自治体の出来事を第3者として記録・意味付け・問題提起をしているが、そういった記述にも呼応して読者が反対意見なども述べる。このようにして公論化がおこるといえるだろう。新聞社は昨今、経営に腐心し、廃刊するところも増えているが、デモクラシーの観点からは大きな問題だ。
新聞以外では、デモや社会運動なども公論化の手段である。ここで再び見るべきは市街中心地だ。というのもデモや社会運動といったアクティビティがよく行われる場所だからだ。エアランゲン市の場合、同市の公共秩序局によると、デモや集会が年間200程度行われており、日常的な風景のひとつといえよう。
デモや社会運動は、街ゆく人々に政治的な意見や批判、主張を示す。人によっては、アクティビティに参加している人に話しかけて、活動の趣旨をさらに詳しく知ろうという人もいるだろう。そういう方向性がもっと如実に現れるのが選挙運動だ。市街中心地で候補者や政党のスタッフがブースを出し、そこで道行く人にフライヤーを手渡したり、立ち話をするかのように意見交換なども行う。住民投票になった場合も同様だ。 中心市街地は「自治体のへそ」として、商業のみならず、多機能空間であることを示したが、さらに政治的・社会的な言論メディア、あるいは公共の言論空間になっているのがわかる。
確かに市街中心地は小売店も多いことから、ショッピングモールの消費機能もある。しかし資本の論理でつくられたショッピングモールでは政治・社会の言論空間にはなりにくい。ここが中心市街地とショッピングモールの大きな違いのひとつである。
選挙前の政党による集会。会場は80年代にリノベーションで蘇った元発電所の「文化センター」(エアランゲン、2020年)(筆者撮影)
ともあれ、こういった数々の行為が自治体の課題や問題を常に浮かび上がらせ、デモや社会運動が地方政治につながり、そこで新たなルール、新たな市政方針、問題の解決などが生まれてくる。
さらに教育や文化政策には、人々が現状を知る機会や言論の活発化などデモクラシーを生きたものにする意図が組み込まれている。日本の文化政策にはほぼ見られない要素である。また自治体の全体最適を図る時、地区レベルで市民交流のセンターがあるかどうか、実際に交流が活発かということを見る。これは単純に人々の「つながり」を強調するものではなく、デモクラシーと紐づいている。交流センターは地域の社交のホットスポットのような場所だからこそ、デモクラシーを生きたものにするきっかけになり、そればかりか、公論化や社会運動、住民運動の現場になり得るからである。
こうして見ていくと、ドイツの地方都市はあくまでも自己決定で参加する「デモクラシークラブ」の現場で、参加を促す装置がたくさんあるという見方もできるだろう。そして、デモクラシーが都市をアップデートさせる装置になっているのがまた見いだせるのである。
5.さいごに:価値体系としてのドイツ都市
自治体を「デモクラシークラブ」の現場として考えると、気なるのがデモクラシーを成り立たせている「価値」とは何か、ということだ。ドイツは個人主義の国だが、それを支える根底には「自由」がある。自由があるからこそ、誰もが自由に自己決定をし、自分の意見を形成し、自分の意見を表明することができる。自由という価値がなければ、ナチス時代のようにデモクラシーそのものが機能しなくなる。
ただ、この自由という価値は案外難しく、多くの議論がある。ここでは哲学者でありシュレーダー内閣の文化大臣でもあった、ユリアン・ニーダ・リューメリン氏の論考[17]などを参照しながら進める。
デモクラシーは自由と平等が基本的な規範になっている。自由とは自律性であるが、すなわち他者の自由を阻んではならないということでもある。これには判断と実際の行動を要するわけで、言いかえれば理性的であることが前提だ。そして、社会的地位や出自、経済力などとは別に、理性的な存在として人々は平等ということになる。
また自律性に焦点を合わせると、他者の自律性とは他者を認めることである。自分の自律性もまた、他者から認められる必要がある。これを言いかえると、他者をモノのように扱うのではなく、相互に敬意を払うこと「人間の尊厳」ということになる。これには時には寛容がなければ実現できない。
したがって、もし経済的に、あるいは健康問題などで自己決定する自由が阻まれる人がいれば、皆で助けて、出来得る限り自己決定ができるようにしようという考え方が「連帯」のひとつの姿だ。連帯がなければ自由な社会は成立しないのだ。
このように見ていくと、複数の「価値」によってデモクラシーは成り立っているのがわかる。言い換えれば、デモクラシーがベースなっている都市には複数の「価値」が埋め込まれているということになる。ドイツの都市は価値体系で造形されているのだ。そして、それを常に評価する目があるのが都市の「常識」と考えることができるだろう。
だから数々の政策にはたいてい、これらの価値にたどり着く。例えば、交通政策であっても移動の「自由」が背景としてあるといった具合である。現代の「都市の質」は持続可能性であるが、これも人間の尊厳を核にした価値が展開されたものと説明できる。その点、余談めくがSDGsは欧州的価値体系をさらに洗練化(再帰的近代化)したものと見ることができると思う。実際、前文に「人間の尊厳」という言葉が並んでいる。
人間の尊厳を中心に、自由、平等、連帯など複数の価値が相互に関連しあった価値体系がデモクラシーを成り立たせている
ひるがえって、ニーダ・リューメリン氏の言葉を借りると、市民活動、家族などの私的なつながり、社交、スポーツ、文化、科学といった個人の諸活動といった市場経済の外にあるものと、市場経済(理屈でいえば個人と個人の私的契約)のダイナミズムのバランスがとれている社会が「良い社会」なのだ。この「良い社会」はいうまでもなく、「デモクラシークラブ」としての理想であり、ドイツの都市発展が目指すところである。そしてデモクラシーを成り立たせている複数の価値が相互に関連づいた体系(価値体系)に基づいて、更新し続けるのだ。
[17] Nida-Rümelin, J. (2007). Freiheit und Gleichheit. Online-Akademie . Von https://library.fes.de/pdf-files/akademie/online/06077.pdf
高松平藏 (たかまつへいぞう) ジャーナリスト。ドイツ・エアランゲン市(バイエルン州)在住。京都の地域経済紙を経て、90 年代後半から日独を行き来し、エアランゲン市での取材をはじめる。2002年から同市に拠点を移す。両国の生活習慣や社会システムの比較をベースに環境問題や文化、経済、スポーツなどを取材。「都市の発展」をテーマに執筆。講演活動のほか、エアランゲンで研修プログラムを主宰。昨今は都市社会の発展から見たスポーツ分野の執筆や講演も多い。 著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』(2016年/学芸出版社)、『ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方』(2020年/学芸出版社)など。 高松平藏のウェブサイト「インターローカルジャーナル」https://www.interlocal.org/
企画・構成:紫牟田伸子(Future Research Institute)