音楽と建築による都市再生

ハンブルクのハーフェンシティ

2022年9月2日/執筆:山下めぐみ Megumi Yamashita(ロンドン在住)

ハンブルクの港湾再開発地区、ハーフェンシティのシンボル〈エルプフィルハーモニー〉通称エルフィは、
スイスの建築設計事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で2017年にオープンした ©Maxim Schulz

第二回目のアルルからのリポートでは「アートと建築による都市再生」について書いたが、今回は「音楽と建築による都市再生」の成功例としてドイツのハンブルクを取り上げたい。

中世よりハンザ同盟の中心として栄え、第二次世界大戦では大爆撃を受けて大破したハンブルク。そんな北海沿岸の港町が、いまやドイツのなかで「一番住みたい街」に再建されている。その飛躍の理由はどこにあるのか?

リベラルな気風の港町

まずは、ハンブルクの歴史から見ていきたい。ドイツ北部、北海に至るエルベ川の河口にあるハンブルクは、その立地から貿易の拠点として発展した港町だ。中世には王侯貴族の支配を受けないハンザ同盟の中心地として発展を遂げた。古くから東西南北から多様な人々が往来し、特権や自治を認められた「自由都市」という地位を保ちながら培ったリベラルな気質。概してお堅いドイツのこと、これが暮らしやすさのベースにあるようだ。現在もハンブルクは連邦州(ラント)を構成する特別市であり、正式な名称は「自由ハンザ都市ハンブルク」となっている。人口も経済もドイツで第二位。オランダのロッテルダムに次いで、ヨーロッパでは第二の貿易港で、ドイツ国内では最大の物流の拠点となっている。

そんなハンブルクだが、歴史を振り返れば大火事や黒死病やコレラなど、幾多の災害や疫病による試練を受けてきた。近いところでは第二次世界大戦。潜水艦基地が置かれていたこともあり「ドイツのヒロシマ」と言われるほど連合軍からの大空襲を受け、市街地の大部分は破壊されている。

そんな中でも焼け残り、現在では世界遺産指定になっているのが、エルベ川の中洲に19世紀末に建てられた赤煉瓦の倉庫街、シュパイヒャーシュタットだ。市の中心地と旧港湾地区の境界にあり、当時カカオ豆、コーヒー、絨毯の取引は世界最大だったということで、非関税の自由港として繁栄した時代の面影をいまに伝えている。

第二次世界大戦で焼け残った赤煉瓦の倉庫街、シュパイヒャーシュタット。
コンテナ時代の到来でこのエリアの役割も変わった

旧港湾地区の再開発 : ハーフェンシティ

第二次世界大戦後も貿易の拠点として徐々に復興を果たすなか、1960年台後半のコンテナ時代の到来で、ハンブルクは大きな局面を迎える。コンテナ船が通過できないなどの理由から、航路の変更を余儀なくされ、それに伴いシュパイヒャーシュタットの南に隣接する一帯は、貨物倉庫などに姿を変えていく。旧港湾地区となった一帯を次世代型のウォーターフロントエリア「ハーフェンシティ」として再開発しようという動きが始まったのは、1990後半のことである。2000年には「ハーフェンシティ開発計画」として市会議で正式承認され、ヨーロッパ最大規模になる再開発プロジェクトが始まる。

コンサートホール「エルフィ」の建設へ

その後、何度か変更しながら、市街地の40%拡大を目指して開発が進行中のハーフェンシティだが、そのシンボルであり、市民のプライドとなるのが、2017年に開館したコンサートホール〈エルプフィルハーモニー〉、通称エルフィである。現在では、ハーフェンシティだけでなくハンブルクのシンボルとして定着しているが、特筆すべきは、この巨大プロジェクトは当初のマスタープランに組み込まれていたものではなく、個人の構想に始まったものという点である。それは、建築家でディベロッパーのアレキサンダー・ジェラルドと美術史家ヤナ・マルコの二人が描いた「夢」が、粘り強いキャンペーンによって市を動かしたという、”ボトムアップ”なプロジェクトなのである。

立地はハーフェンシティの西端。三方が水に面した景観のいい場所には1960年台に建てられたレンガ造りの倉庫があった。それをコンサートホールなどに再開発しようという当初の案は、2001年10月に市議会では否決されている。が、二人はここで諦めなかった。ジェラルドはスイスの建築設計事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンのジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンと、スイス工科大学でともに建築を学んだ仲。否決された後に彼らと話し合うなか、ヘルツォークは倉庫の上に波打つようなガラスの建築を乗せたスケッチを描いた。

ジャック・ヘルツォークが描いたスケッチ。
エルフィのデザインがここから始まった ©Herzog & de Meuron

その前年、ヘルツォーク&ド・ムーロンは、ロンドンの旧発電所を増改築した〈テートモダン〉の完成で、一躍、建築界の第一線に踊り出た。既存の建物を新しい用途のためにリノベーションしてエリアを再生させるということでは、このプロジェクトもテートモダンと共通するものがある。派手な建築による町興し「ビルバオ効果」が求められた時期、このヘルツォークが描いたスケッチを元に、新たなキャンペーンが始まったのである。

「音楽」をアイデンティティにする

では、なぜ「コンサートホール」なのか。ハンブルクは実は音楽と縁が深い。教会音楽に始まり、メンデルスゾーンやブラームスなど、クラシック音楽家の巨匠の生誕の地で、スタインウェイズのピアノ工場がある。また1960年代には下積み時代のビートルズが出稼ぎに来ていたことでも知られ、80〜90年代には「ハンブルク・スクール」とも称されるインディーロックの発信地になるなど、層の厚い音楽の文化が根付いている。既存のコンサートホーの老朽化もあり、市民の誇りとなり、世界中から人が集まるようなワールドクラスのコンサートホールは、再開発が計画されているハーフェンシティのシンボルとして、まさに「はまり役」と言っていい。

クラシックからロックまで、多彩なミュージックシーンがあるところがハンブルクの魅力

具体的な構想は1960年代に建てられた倉庫はあえてそのまま残し、その上にガラス張りの建物を増築するというもの。コンサートホールのほか、素晴らしい景観を望むパブリックスペースを設けるなど、市民のために開かれた施設という提案である。またホテルやレストランと分譲アパートメントも併設し、建設コストの大半はこれらによって賄われるという案を改めて市に提出する。前案よりぐっと魅力的になった新案は市民の75%にも支持され、市議会でも承認。2008年の完成予定ということで、建設にゴーが出た。

予算オーバーで1,000億円を市が負担

こうして大きな期待を背負って始まったプロジェクトだが、実際には予定から大きく遅れ、建設費も当初予定の約10倍に膨れ上がり、完成に至る道のりは決して平坦ではなかった。何度も修正しながら、音響や細部のディテール、外観に至るまで妥協なきデザインだったこともあるが、既存の倉庫を保存してその上に増築するということで、結果的に新築するより時間もコストが掛かることになってしまったのだ。

こうした建設の遅れと建設コストの倍増に対して、市は業者を提訴。建設工事は途中で一時ストップし、一時は完成さえも危ぶまれた。最終的な総工費は868百万ユーロ、うち789百万ユーロ(1,000億円超)は市の予算から支払われることになる。納税者からは不満の声が上がったのも当然だろう。

そんなイバラの道を経て、〈エルプフィルハーモニー〉は2017年に公式オープンを迎える。が、いざ蓋を開けてみると、懐疑的だったハンブルク市民も瞬く間に「高い買い物」の価値を認めることに。その「建築の力」に圧倒されたということだろう。コンサートのチケットはすぐに売り切れ、素晴らしい展望を望むパブリックスペースにはいつも市民が集まり、国際的にも大いに注目を集める。これでシビックプライドはぐっと上がり、ハーフェンシティの開発にも弾みが付くことになる。

一時は完成が危ぶまれたエルフィも、完成後はシビックプライドの象徴になった ©Maxim Schulz

圧倒的な建築で市民も納得

今年の1月にはオープン5周年の記念コンサートやイベントが行なわれ、私も足を運んでハンブルク市民にその感想を聞き込んだ。「長い目で見れば決して高くない」「世界に誇れるコンサートホール」「ハンブルクを訪問する友人や親戚には必ず案内する」「ハーフェンシティの人気もこれで上がった」など、ポジティブな意見ばかり。建築による町おこしを意味する「ビルバオ効果」は、通常、観光客を呼び込む経済効果を意味するが、このエルフィの場合、観光の目玉というより、シビックプライドを上げ、進行中の再開発への誘致の旗印といった印象を受ける。

5周年記念で披露されたオランダのアーティストデュオ
DRIFTによるドローンを使ったインスタレーション。
ピアノコンチェルトに合わせて、光が波打つようにダンスする ©Florian Holzherr

では、実際のエルフィの様子を少しお伝えしたい。 屋根が波打つガラス張りの特徴ある外観は、遠くからもランドマークとしてよく目立つ。入口は元倉庫の建物にあり、駅のような自動開発機でチケットをスキャンして入る方式だ。11時から24時まで開いているパブリックプラザへのアクセスは無料だが、発券機でゲットしたチケットをスキャンして通過する必要がある。その先には、全長84メートルという長いエスカレーターがあり、これに乗って洞窟の中のようなトンネルを6フロアを突き抜けて徐々に上へと登っていくというドラマチックな演出だ。

緩やかなスロープをエスカレーターで6フロアまで
上がるところから、建築体験が始まる ©Michael Zapf

エスカレーターは2段階になっており、一度降りて、次のエスカレーターに乗り換えると、やがて4,000平米あるパブリックプラザに到着する。この部分はレンガ倉庫の屋上にあたり、ガラス張りの増築部との間の部分になる。360度の景観が望めるプラザは、波打つガラスに囲まれた部分とバルコニーの部分あり、旧市街から開発が続くハーフェンシティまで、ぐるりと見渡すことができる。カフェやショップがあり、ここに来るだけでも、かなり感動的な体験だ。

赤煉瓦の倉庫の上に増築した構造。中央のメインホールのほか、小ホールが左手に。
ガラス張りの左の部分はアパートメント、右側はホテルになっている
©Herzog & de Meuron

旧倉庫部は教育施設やオフィス、立体駐車場などになっており、ガラス張りの増築された部分には、大小2つのコンサートホールのほか、コストの一部をカバーするために、244室あるウェスティン・ホテルと44の高級アパートメントを併設。コンサートホールだけでなく、ホテルのエントランスもここに位置する。プラザは夜0時まで利用できるので、夜景を楽しむデートスポットとしても人気に違いない。

エスカレーターを上がり切るとパブリックプラザスペースであるプラザに出る。
ホールやホテルのエントランスもここにある
©Iwan Baan
波打つガラスの向こうはバルコニー。風を感じ、船舶の音を聞き、景観を眺め、
ハンブルクの素晴らしさが感じられる空間だ ©Iwan Baan

ドラマチックな空間はやがて、その頂点となるコンサートホールに至る。メインのホールはヴィンヤード型と言われる中央にあるステージをブドウ畑のように段差の中央にあるスタイルで、音響設計の第一人者、豊田泰久とのコラボレーションで設計されたものだ。ホールを一つの楽器に見立て、その形態をはじめ、ステージや客席、反響板の位置などを調整し、最高の音を提供するのが豊田の仕事だが、ヘルツォーク&ド・ムーロンの二人が大のサッカーファンであるも反映されたという。観客のリアクションがコンサートを盛り上げる要素というわけだ。

複雑に構成された内観。どの空間にもドラマチックな演出が感じられる ©Iwan Baan
ヴィンヤード型と言われる中央のステージを段差のある観客席が囲むスタイルで、
豊田泰久が音響設計に参加している ©Michael Zapf

そんなわけで「耳だけでなく目でも楽しめる」要素はてんこ盛り。天井から下がる反響装置から壁に至るまで、彫刻性を兼ね備えたデザインは、ワイン畑というより、海底の世界のような印象である。ギラギラしたやり過ぎにはならないギリギリのバランスは、ヘルツォーク&ド・ムーロンのお家芸とも言えるもの。脱帽である。小ホールの方は前にステージのある通常のスタイルだが、こちらも随所のこだわりに脱帽だ。

観客との一体感を感じるデザインは、
サッカー場からヒントを得たものでもある。
©Megumi Yamashita
壁のパネルのディテール。全体に海底の竜宮城といった雰囲気もある
©Megumi Yamashita
こちらは小さい方のホール。大ホールに比べるとシンプルなデザインだが、
音響効果と彫刻性を兼ねたウッドパネルの壁や天井などディテールもすごい
©Michael Zapf

外観のガラスは全部で1,096枚。そこには光の入り具合を調整するように小さなドットがプリントされているのだが、それによって、ガラスが湾曲したようにも見えるデザインだ。またその中のいくつかは、実際に凸型に湾曲させたものもある。断熱効果もあるクロームのレイヤーは光を反射し、外観に美しい表情を与える。全体のフォルムは帆船、あるいは波のうねりを表現したもので、屋根までの高さは一番高いところで110メートルある。

ドットプリントの視覚効果で湾曲して見えるもの、実際に凸型になっているものなど、
パズルのように組み合わせた1,096枚のガラスに覆われたファサード
©Iwan Baan
所々に換気窓もついている ©Megumi Yamashita
ルーフのディテール。上から見てもすごい ©Michael Zapf

再開発の士気を上げるシンボル

ハーフェンシティ全体では、7,500戸、15,000人が暮らし、4,500人が働くという、サステナブルな21世紀型の開発を目指しているが、コロナ禍に働き方が激変したことで、今後さらなる修正が必要だろう。そんななかでも、このエルフィというランドマークが「音楽が都市のアイデンティティ」であることを松明のように示していることは大きな強みである。エルフィは音楽教育にも力を入れており、館内の教育施設では、子どもや若者向けの音楽教育プログラムを主催しているが、ハーフェンシティとしての開発も、ミュージシャンが手頃な家賃で賃貸できる練習スタジオ付きの集合住宅などが組み込まれている。クラシック、ジャズ、ロック、エレクトロニックなど、ジャンルを超えた多彩なミュージシャンをサポートすることは、音楽の都を目指すものだ。

音楽教育はエルフィの目的の一つで、さまざまなプログラムを主催する

エルフィと同様、予算オーバーや建設の遅れの末にようやく完成したホールといえば、シドニー・オペラハウスである。音楽学院の校長の構想に始まり、国際建築コンペを経て、デンマーク人のヨーン・ウツソンの作品が選ばれる。内装デザインなどで揉め、ウツソンは途中から離脱。1973年に当初予定予算の14倍、10年遅れでオープンしたオペラハウスだが、現在は建築史上に残る秀作として世界遺産指定となり、シドニーと切っても切り離せないランドマークになっている。

台湾でも建設が続くコンサートホール

各都市に世界的な建築家による巨大なコンサートホールを次々とオープンしているのは台湾だ。台中に伊東豊雄設計の台中国家歌劇院(2015)、高雄市にオランダのメカノー(フランシーン・フーベン)設計の衛武営国家芸術文化センター(2018)、そして、OMA(レムー・コールハース)設計の〈パフォーミングアートセンター〉が台北にオープンしたばかりだ。シアターやホールはミュージアムのように展示物がないため、そこで演じられるプログラムが重要なわけだが、世界屈指の建築と併せて、都市にとってどのような効果があるのか、興味深いところである。

構造もデザインもラディカルな伊東豊雄設計の台中国家歌劇院
野外シアターも組み込まれランドスケープの一部のようにデザインされた
衛武営国家芸術文化センターはメカノーの設計
ナイトマーケットに隣接して建つOMA設計の台北パフォーミングアートセンターはオープンしたばかり ©OMA by Chris Stowers

ランドマークになるような建築を世に送り出すには、想像を絶するようなエネルギーが必要となる。立地、歴史、デザインのクオリティ、コミュニティや行政のサポートなど、幾重もの条件やコンテクストを読み解きながら、パッションを持って継続することが求められる。そして、それは「一つの時代を代表するもの」として、後世に引き継がれていくものでもある。この〈エルプフィルハーモニ ー〉も、スター建築家のクリエイティビティが結集した「ビルバオ効果」時代の代表作の一つだ。

ジャック・ヘルツォーク自身も、「山を登るほど大変なプロジェクトで、途中で止まってしまったら設計事務所を畳むことになるかもしれないと思った」と言っている。そして、「こうした建築を建てられる『最後の世代』かもしれない」とも言っている。確かにこのプロジェクトが始まってから、時代は大きくシフトした。気候変動やコロナ禍など、働き方も暮らし方も柔軟に対応していく必要がある。そんな中も、夢を描き、果敢に「とんでもない」プロジェクトに挑む姿勢は継承していきたいものである。

山下めぐみ氏

山下めぐみ Megumi Yamashita(建築ジャーナリスト/コンサルタント)
ロンドンをベースにヨーロッパ各地の最新建築やデザイン、都市開発について各誌に執筆する。在英は28年目。世界のトップクリエーターへのインタビューや現地取材を通して学んできたことを伝え、交流の場となるプラットフォーム Architabi (アーキタビ)主宰。www.architabi.com

企画・構成:紫牟田伸子(Future Research Institute)