まちの価値を維持していくこと まとめ 価値の維持のために

編集局 添田昌志

金沢シーサイドタウンと幕張ベイタウン、開発された年代は20年ほど違うとは言え、両者の出自はよく似ている。どちらも海沿いの敷地にゼロベースで開発された住宅街であること、計画の初期段階から著名な建築家が関わり、街の構成やコンセプトについて深く議論がされていること、である。
住宅地に限ったことではないが、都市計画や建築といった行為においては、その地の歴史性や地形などといった、場所固有の特性にデザインの拠り所を求めることが一つの王道の手法として存在する。ところが、ゼロベースでフラットな土地にはその拠り所となるものがない。したがって、住宅街としてその場所がどうあるべきか、そして、それをどのように実現していくのか、というコンセプトワークの部分がますますクローズアップされてくる。そういった意味で、この2つの住宅地は、建築家が考えたコンセプトがどう具現化され、どのように受け入れられたのかがシビアに問われる場と言えるだろう。しかし、結論から言えば、どちらの街もそのコンセプトは住民にかなり肯定的に捉えられているようであった。

■住民の評価
2つの街の風景は対照的である。金沢シーサイドタウンは豊かな緑と歩行者用道路が印象的であるのに対して、幕張ベイタウンでは、個性的なデザインの中層住戸と歩車道に敷き詰められたペイブメントが象徴的である。これは、金沢STは「見え隠れ」や「路地」といった、いわば「和」の発想からデザインされている一方で、幕張BTは「沿道囲み型住宅」といった「洋」のイメージをベースにしているところによるだろう(関係者は異論があるかもしれないが)。もちろん、街の風景に対する個人的な好みの違いはあるだろうがしかし、ここでは、どちらが良い、悪いというのではなく、この2つの街は、住宅地としての価値を違ったアプローチから創出していると捉えるべきと考える。

金沢STの歩行車道は、どこまでも歩いて(もちろん、自転車でも)行ける/行きたくなる気にさせるし、そこで感じられる四季折々の緑は住民にとって、かけがえのないものとなっているようである。ここの豊かな緑を見ていると、元々は埋立地という人工物であることに気付かないくらいである。

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写真:金沢シーサイドタウン

一方の幕張BTでは、集合住宅でありながらも個性的な住戸のデザインがやはり価値となっている。旧来の団地型の集合住宅は、単調で無個性な白い箱、どこに住んでも同じに見えるというのが典型であったが、幕張BTでは、全くその逆の認識になっており、今度はあのデザインの住戸に住んでみたいという理由で、街の中の別の住戸に住み替える例もあると聞いた。住民インタビューで聞いた「もう戸建に住むつもりはなくなった」という声は、まさにこの街の価値を言い当てているだろう。集合住宅でありながら、デザインによって、ある種の戸建感覚(住戸としてのアイデンティティ)を実現していることは、やはり特筆すべきことである。

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写真:幕張ベイタウン


■価値の維持

このように、晴れて計画時のコンセプトが住民に好意的に受け入れられている双方の住宅地であるが、この価値を維持していくために何をするべきか、という点では少し議論が分かれそうである。
私が考える維持管理の1つのポイントは、管理組合の形態である。管理組合は、集合住宅の維持管理に関わる最高意思決定機関であり、第一の主体と言えるだろう。どちらの街も基本的に一定の街区ブロック毎に管理組合が結成されている。この方式は言わば古典的なものであるが、しかし、金沢STの方は現状、それで特に問題は感じられなかった。住棟・住戸の管理はブロックごとに結成された管理組合が主体となって行い、それをつなぐ歩行者道は横浜市が行うことによって、街の連続性を維持することを担保しているからである。また、歩行者道やその途中に設けられた公園の清掃等には、住民自治会が協力する仕組みも成り立っているようである。つまり、街のインフラに対して、維持管理主体が無理なく連携し関われている。

一方の幕張BTは、結論から言うと、街のコンセプトと管理組合の形態が合っていないため、今後の維持管理に向けて若干の不安が感じられた。つまり、通りを軸に捉えた「沿道型の街」であるはずなのに、管理組合はブロックごとに形成されており、通りとしての連続性に気を配る主体が弱いということである。コンセプトに沿うのであれば、例えば、銀座商店会のように、通り毎の組合というものがあり得たのではないだろうか(銀座ではそれが奏功して、銀座デザインルールにより通りごとの景観が維持管理されている/銀座デザインルールの回参照)。

また、幕張BTでは、住棟の1階部分に商店を積極的に導入している。これは、街のコンセプトとして「にぎわい」というキーワードがあり、そのキーとして一階部分の店舗が位置づけられているためであるが、この「にぎわい」を維持管理する主体は誰なのかということが見えにくく感じた。当地で開催された幕張BTの今後のあり方を考えるシンポジウムでは、近年、物販店舗が撤退し、学習塾や医療機関など内向き型の店舗に置き換わっていることを、「にぎわい」という点から問題として取り上げる向きがあった。しかし、店舗・業種の入れ替わりは住民のニーズがそこに向いたが故に起きることであり、経済活動としてはごく自然な現象である。それに反して、「にぎわい」を維持するためにある特定の業種に固執するというのであれば、それを補償する何かを住民が負うことになるだろう。だが、現状では、商業の管理運営主体と住民の管理運営主体が一体化しているわけではないため、おそらく、このような枠組みを超えた議論がされないことが一番の問題だと思われる。


■新しい枠組み
郊外住宅地における近隣商業の維持は日本においては、古くからの課題である。実は、金沢STにおいても、近隣センターは現状シャッター街と化してしまっている。ただ金沢STの場合は商業施設の数が少なく、限定された場所に配置されているため、街全体の価値には大きな影響を与えていないようである。一方、幕張BTは金沢STの何倍もの店舗を、それも街のメインストリートに沿って配置している。万が一、商業が衰退した場合の街へのダメージは金沢STの比ではないだろう。住民の高齢化に伴って、当然購買力は衰える。その時に、幕張BTの商店はどのような業種になっているのだろうか、そして、「にぎわい」は維持されているのだろうか。

幕張BTはそのデザイン性において、これまでの団地型開発と一線を画した、新しいものを提供し成功した。維持管理という点においても、上で述べたような住商の枠を超えた通りごとの管理主体を形成し、それが通りのデザインも含め、商業のマネージメントまでも行うというような、これまでにない斬新な発想と仕組みで、将来予想される課題を打破し、開発時の価値を維持してくれることを願ってやまない。