2011年01月11日
工事中を魅せること 全編
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2011年01月11日
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編集局 添田昌志
■典型的な工事現場の風景
都市には常に工事現場が存在する。ビルなどの建物自体は着工から2-3年で完成するものが多いため、工事現場というと「一時的なもの」というイメージが強いが、都市という視点で見ると、どこかに「常に」存在しているものなのである。
下図は東京・丸の内の工事中の場所を示したものである。丸の内は「丸ビル」の高層化を皮切りにこの十数年間、地域全体の再開発を進めていることもあって、街のどこかに少なからぬ工事現場が存在し続けていることがよく分かる。
韓(はん) 亜由美氏プロフィール
都市景建築家(Urban-scape Architect)
東京生まれ
東京芸術大学美術学部デザイン学科卒業
ミラノ工科大学建築学科留学
東京大学大学院学際情報学府修了
1991年 ステュディオ ハン デザイン設立
人がヒトとして人間らしく生きられる棲息環境としての「都市」,そこに誰もが主体的に享受できる豊かさの新しい価値をもとめ,パブリックスペースを対象にインテグレーティブなデザイン活動を展開する.空間的レイアウトや知覚的テクスチャーをデザインし、メディアにすることでモノや領域を超えて状況そのものを価値化し再定義することを意図している.土木構造物,走行空間,工事現場,コミュニティー再生などのアーバンスケープのプロジェクトに数多く携わる.
特に高速道路走行空間においては,’93東京湾横断道路(アクアライン)の計画段階から‘シークエンスデザイン’の概念を提唱し,継続して実践と多角的リサーチを行っている.現在は,実践と並行して,東京大学生産研究所 先端モビリティー研究センターにおいて交通工学/生態心理学/視覚情報学による科学的実証研究を進めている.
「工事中景」実施時の新宿駅南口(2006年) photo: 吉永マサユキ
現在の新宿駅南口の状況
◇ 三越前・仮設歩道/覆工板をオリジナルで鋳造する
このあとの日本橋室町の仕事が事実上、「工事中景」を意識化する始まりになりました。三越前の地下道の拡幅整備工事があり、その間、地上部の仮設歩道となる覆工板という床板をオリジナルでデザインすることになりました。
場所は伝統ある商業地。景観に対する意識も高い老舗が軒を並べる日本橋室町。数年後の2004年秋に日本橋三越の新館と日本橋三井タワーの完成を控えているというタイミングでした。それなのに、もしもこの仮設歩道がいつも通り工事現場然として、雨が降ったら滑り止めゴムシートを長く敷き、コーンとトラロープで係員が誘導、というのではとても地元に受け入れてもらえないだろうと、管轄する国土交通省・東京国道事務所の所長さんが悩んでいらっしゃいました。デザイナーならどんなことが考えられるかと問われ、「それでは覆工板自体を室町オリジナルでデザインしませんか」と提案しました。
オリジナルでデザインされた覆工板 photo: momoko japan
◇ 眠れる資源「工事現場」の可能性
私はこのとき初めて「都市の中の工事現場というのは眠れる資源だな、生かさない手はない!」と思ったんです。なぜどの立場の人も例外無くみんなが喜んだのだろうかと考えました。工事現場の持つネガティブさは枚挙にいとまがない一方、不特定多数の人がどうしても目にし、接する場所であり、まさにパブリックスペースを長いこと占有している。みんな工事現場があるのは知っているけれども目を背ける。そこに何の価値も見いだせていないし、以前と同じ空間で同じ時間なのにもかかわらず、存在しないかのごとく塗りつぶされた状態です。それが、思わぬ形で大きな価値となって目の前に現れるので、誰も文句を言うどころか賞賛の嵐です。ネガティブから価値へ、そのギャップが非常に大きいからこそ、このようなことが起こる、ということに気がついたわけです。
―「工事中景」のデザインをされる時、どんな思いを込めていらっしゃるのかお聞かせください。工事現場が本当はもっとこうなればいいという「理想像」はあるのでしょうか? 新宿サザンビートの場合は、今おっしゃったように「違う世代が話すきっかけになればいい」との思いがあったのでしょうか…。
◇都市生活者のビオトープ
サザンビートの場合、まず最初に、仮囲い自体も改良したいと思いました。仮囲いはたいてい工事現場の敷地境界をカクカクカクっと区切るだけで、平面的にあまり工夫がないですよね。それを、人の導線を考え、直角の角にアールを取ったり、アルコーブの配置をしてもらったんです。
そうすると本当に面白いような変化が起こりました。人が自然と「溜まる」んです、一定間隔を空けて。それぞれ、人待ち顔だったり、煙草を一服したりしているのかもしれませんが、仮囲いを背景に常にそういう風景になるんですね。
アールをとった仮囲いに沿って人が滞留している様子
新宿サザンビート2005実施時の新宿駅南口 photo:momoko japan
それを見て、「これはさしずめ利用者向けのビオトープだな」と思ったんです。
◇本来の意味での「パブリックな」スペース
日本人はパブリックスペースに関しての意識が希薄だと思うのですが、ヨーロッパなどでは街路や広場など公共の場所に対して「これは自分たち市民のものだ、国や行政であっても勝手にはさせないぞ」という権利意識、言い換えれば「シビックプライド」があります。たとえば、パリのエッフェル塔や国立美術館にしても、過去の建設時に市民の間で賛成・反対で二分するほどの議論がありました。ヨーロッパのように、何かあれば人々が広場に集まって議論をするということが、日本ではなかなか根付かなかった。ただ、新宿にはそういう歴史がありますよね、西口広場で学生が集まってフォークソングの反戦集会を開いたような。その時は結局、警察が鎮圧に乗り出してきて「ここは広場ではない、通路だから立ち止まってはいけない、集会の自由は認められない」ということになってしまったんですけれど。
川上 正倫
○ 都市における建設現場
自宅を出て職場までの道すがら、数えてみたら実に大小含めて12件の建設現場があった。電車移動を除いたわずか徒歩15分弱の距離に、である。数もさることながら、それだけの存在が日常的に無意識化していることに驚いた。決して工事現場がある景観をよしとしているわけではなく、未完成を前提に関知しなくてよい存在として許容している節がある。しかも周囲の建物の振る舞いとは異なる異物であり、また現場を囲う「仮囲い」どうしでの違いがあまりない故に視覚的には結構目立っているのにも関わらず意識しないようにしている。これは、きっと私だけのことではないはずである。しかも、それは街並に対する無関心へと直結する意識の抜き方であり、景観を考える上では負の構図をもたらすことは間違いない。
建設現場の都市における位置づけを考えてみると、都市発展の象徴でありながら、粉塵、騒音、安全不安など都市生活にとってはネガティブなものに違いない。それらから機能的に都市生活を保護するモノが、建物の代わりに工事期間中その場に陣取り人々の目に触れることになる、仮囲いということになる。現場そのものは時々刻々変化しているわけであるが、仮囲いが外されて建物の外観が見えるようになるまで、仮囲いがその場の外観を担うわけである。つまり、工事の段階によって多少の差はあるものの一般の人の目に触れる建設現場の「景観」=「仮囲いの立姿」ということになる。都市景観の要素として一時的であるにせよ、いつもどこかしらに存在するという意味では、非常に重要な景観要素であるといえる。しかし、建設現場も我々の無意識を逆手にとって手を抜いているように思えてしまうような扱いが多い。