まちを作ること、人を育てること 貝島桃代氏インタビュー(2)

― 今回の改修計画では、具体的にはどのような取り組みをされてきたのでしょうか。

◇ 特に問題のない地域特性の中で
 このプロジェクトの話があった時に、ひとまず話し合いの場をつくることから始めなくてはと思いました。そこで、初年度には、月に1回市民参加のワークショップをして、広場のアイデア出しをしました。未来の駅前を構想するテーマでは、子供達から、駅前が動物園だったらというようなアイデアも出たのですが、緑豊かな特徴から、雑木林といったようなアイデアも出ました。ワークショップと並行して、市の特徴を探して、色々な調査もしました。その中で対象としたものの一つに雑木林があります。北本市でも市内の雑木林を買って資産としてちゃんと残していこうという方針もありました。なので、こういうことをもっと意識的にできないだろうかというので、今残っている雑木林の株を移植することを提案しました。そして、ワークショップを始めてちょうど半年経ったころ、まちの顔となる植栽帯や、イベントや市など市民活動のパフォーマンスの場として多目的広場、車での送迎用の停車帯、などいろいろ盛り込んだ案を、1度まとめました。それを近隣の自治会長の方などが入った検討会議そしてパブリックコメントで意見を求め修正していきました。
 こうしたまちづくりには、そこにはいろいろな人が参加してくれましたが、多いもので30〜50名ほどで、7万の人口からすればわずかでした。
 その理由を考えたとき、北本の豊かさにあるのかもしれないと思いました。埼玉は気候も厳しくありませんし、作物も取れる豊かなところで、中心市街地の空洞化、高齢化や人口減少など統計的におきているわずかながら起きていることは、まだ大きな、困るような問題になっていません。だから、まちづくりでワークショップを企画しても、地元の方も関心も危機感を持ちにくい。よそ者が、ただ、ああだこうだ言っているという反応も多かったのではないかと思います。

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ワークショップの様子

― 実際の活動を通して、貝島さんが感じたことや、今後の計画のあり方などお聞かせください。

◇ 時間を含んだ計画づくり
 大学の研究室がまちづくりにかかわることは、いろいろな地域でなされていると思いますが、そのようなプロジェクトの枠組が、市役所にあるところは少ないのではないでしょうか。市民参加についても同様で、市民サイドも、市役所サイドでも、そのノウハウやしくみも位置づいていないのが現状です。
 だからそういった状況のなかで、それを一度に変えるような計画は受け入れられる枠組みがない。どうやら理解や了解には、時間がかかるということが、分かってきました。
 こうしたやり取りから、提案は時代に合わせて使い方を変化させていけるような冗長性や寛容さをもったものを考えました。今から20年後のあるべき姿というのを描きつつ、それを現状も受け入れられるようにしておく計画です。ある機能でしか使えないというものではなくて、植栽帯や多目的広場や駐車場の変化を受け入れられるような空間を含み込んだ計画案です。空間があれば、それを時代にあわせて改修することもできる。そういった時間を含み込んだものといえるでしょう。
 まちづくりの人材についても、持続性や時間の問題は大切です。現在北本には、地元の20代前半の若者が地元にかかわりたいという意識を持って集まってきている。これを一過性のものにするのではなく、こうした機運を深められるような組織や場所といった、枠組ができたら、持続的にかかわれるようになるのではないでしょうか。


◇ 外からの評価をきっかけに
 彼らは、北本をもっとポジティブにとらえて表現したいといいます。北本団地での共同的な生活スタイルや荒川土手にある開放感、雑木林であそぶことの豊かさなど、自分たちが愛着を感じていることがなにか表現にならないかと考えている。そして、外から北本にきた若いアーティストも、外部の視点としてそれをより強く感じるような意味のレベルにまで表現することを試みていて、これらが相まって、なにか、かわることがあるのかどうかが、さまざまな形で取り組まれています。
 市民のなかにも、地元に愛着はあるのです。でもそれは、東京のような価値観がすばらしいと言われてきた人たちにとって、どうも表現しづらい。こうしたことの一つの例としては、以前、ある委員会で、雑木林の緑のすばらしさとその資源としての可能性について私がお話すると、「ださいたまだよ」とか、「そんな、本当に?」という反応がある一方で、納得もありました。彼らにとって、「好きだけど、なかなか自慢できない」。まちはそんな存在だったのだろうと思います。
 けれども、東京の価値観に魅力を感じない若い人たちは、もっと素直に自分達のこの場所で何かできないかと思っている訳です。その辺がうまく結び付くといいなと思います。

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北本の雑木林


― 公共空間の整備を検討する組織のあり方についてはどのようにお考えでしょうか。

◇ 持続的に考えられるような場に
 ヨーロッパには美観委員会があります。現在手掛けているアムステルダムでのプロジェクトでは、美観委員会が、月に1回招集されて、委員として登録されている建築家が集められて、アムステルダムに建てられる建物をみんなでレビューしているのに、われわれも説明にいきました。アムステルダムで建物を建てるには、そこでの議論を経る必要があります。手続きも時間もかかりますが、面白いのは、そういった委員が必ずしも保守的でないことです。古い街区であれば、昔のものを残せばいいという単純なことではなく、新しいものをつくるのだから、その意味と態度をしっかり示していくことが、建築家にもクライアントにも求められている。こうした議論をすることこそ、建築文化になっています。そういう意味では、日本でも建築を民主主義的につくる方法を、もう少し議論する必要があるのではないでしょうか。日本で、ヨーロッパと同じ方法が適しているかはどうかはいえませんが、参考にはなるでしょう。美観委員会は、建主、建築家と住民と市役所の間に入る、ある種の中立機関としてとてもよく機能している。美観委員会で議論を尽くされたということに関しては、住民の方も納得できるし、専門家として信頼もしているので、「専門家でそこまで議論されたんだったら、受け入れよう」という判断になるんですね。
 日本のまちづくりでは、重要な歴史家も含めた都市計画の専門的な知識をもつ人たちが集まって、議論を重ねる場はありません。今回も、検討委員会という組織がありましたが、専門家ではなく、市民の代表による会議です。
 今回、具体的に広場を提案していますが、その研究を通して、本当の目標はまちについて考える枠組をつくることです。「モノができて、何となく使えている」というのではなく、持続的にまちづくりについて考え、議論できる場や組織をどうすればいいか、もう一歩踏み込んで、みなで知恵をしぼっていきたいと思います。

資料提供:北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクト実行委員会