変えるものと変えないことと 野毛の概要
今回の東京生活ジャーナルは、横浜の野毛商店街を取り上げます。この地では1990年代半ばに、当時予定されていた東急東横線桜木町駅の廃止や隣接するみなとみらい地区の整備を見越し、街の活性化を目的とし、横浜市の整備事業の一環としてまちの景観作りを進めました。その時に想定されていた周辺の変化が現実のものとなった現在、当時仕掛けたものの効果は果たしてどのように生きているのでしょうか。まず今月は、整備事業に建築家の立場で関わった山口勝之氏へのインタビューを通して、事業の経緯からお伺いします。
◇野毛の歴史
JR桜木町駅からほど近い、野毛商店街。野毛の街づくりは、1859年の横浜開港に伴い神奈川奉行所が置かれ、付属施設として野毛に役宅が建てられたことに始まる。明治維新後は、一部の建物が官舎に転用された他は、旧幕府施設の大半は廃止になり、民間に貸与されることになった。そこへ、開港場へ繋がる横浜道の拠点として商人や職人が全国から集まった。こうして、商人の街、野毛が築かれていった。第二次大戦後は闇市としてごった返し、高度成長期には全国有数の活気に溢れる街となった。数々の映画や小説の舞台としても有名である。
左:JR桜木町駅から野毛方面に向かう地下道入り口
右:野毛方面からJR桜木町駅越しに見えるランドマークタワー
横浜の新都心ともいえるみなとみらい地区と、怪しい大人の街・日ノ出町の中間に立地し、周辺を住宅地やビジネス街が囲む地理的な位置と、繁華街としての長い歴史が野毛の複雑な表情を作っている。飲食店は、立ち飲み屋や手軽な居酒屋から本格料理店、食通の集まる隠れ家、極小バー、ライブハウスまで多種多様である。野毛の面白さは、このような多彩な飲食店が並ぶ間に、住宅、医院、床屋といった市民生活の場と、ソープランド、ファッションヘルス、ラブホテル、ストリップ劇場、成人映画館などが明確な境界もなく混じり合う光景にある。日常と非日常が同居する街なのである。
◇街路整備に至った背景
1990年代半ば、みなとみらい線の開通に伴う東急東横線横浜駅~桜木町駅間の廃線が決まり、桜木町駅利用客の流れが当時開発中だったみなとみらい地区に流れてしまうことが予想された。また、四方を幹線道路と川に囲まれ、夜の営業が中心で、歩行来街が大半を占める野毛地区へのアクセスが容易でなくなる状況も生まれ、陸の孤島状態が進んでいた。このような要因に加えて、交通環境の発達により他の商業地区へのアクセスも容易となり、来街の目的性が高くなければ、集客が難しい状況となった。こういった交通環境・商業環境の変化に対応するために、この街に来てもらえる「来街の目的」を強化することが重要であった。そこで、「ここでなければ」「ここに来たい」と思わせる新しい魅力の創出のために、当時横浜市が行っていたライブタウン整備事業の一つとして街の整備に着手したのである。
野毛商店街の光景
◇ライブタウン整備事業
横浜市のライブタウン整備事業は、公共施設整備(道路、公園、橋など)ではなく、横浜市の商店街振興施策として、商店街の個性を活かし、ハードとソフトが一体となった整備のために支援されるもの。「商店街の道路がきれいになる」というだけでなく、「どうしたら商店街全体が良くなるのか」を考え、ハード整備後も継続できるソフトをも含めた整備を行うことを目的としていた。
参考資料:ノゲ劇場 野毛界隈一、野毛地区振興事業協同組合
- 投稿者:東京生活ジャーナル
- 日時:03:55