街への意識を共有するために 曽我部昌史氏インタビュー(1)

 今回の東京生活ジャーナルでは、埼玉県八潮市の「八潮街並みづくり100年運動」を取り上げます。以前、このジャーナルでは千葉県佐原の伝統的町並みを生かしたまちづくりを取り上げましたが、そのような歴史的資源や特徴を持たない、一般的な住宅や町工場が広がる典型的な郊外における街並みづくりとは、何を捉えてどのように進めていけばいいのでしょうか。この街並みづくりに建築家として関わられている曽我部昌史氏へのインタビューを通して考えていきたいと思います。

曽我部昌史氏プロフィール
1962年福岡県生まれ。1988年東京工業大学大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て1995年NHK長野放送会館の設計を機に、加茂紀和子、竹内昌義、マニュエル・タルディッツらと「みかんぐみ」を共同設立。住宅、保育園、ライブハウスなどの建築設計から家具、プロダクト、インスタレーションまで幅広くデザインを手がける。東京工業大学助手、東京芸術大学助教授を経て、2006年から神奈川大学教授。

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インタビュー風景(曽我部昌史氏)

― 最初に、「八潮街並みづくり100年運動」で具体的に取り組まれている内容についてお聞かせください。

◆首都圏周辺の5大学の連携によるプロジェクト
 「八潮街並みづくり100年運動」では、5つの大学(日本工業大学、茨城大学、神奈川大学、信州大学、東北工業大学)が連携して、八潮の特徴についての調査研究を行い、「八潮らしい街並み」や「八潮らしい住宅」について提案し、ワークショップやフォーラムを通して市民のみなさんとの意見交換をするというようなことを行なっています。これは2008年度から始めて、今年で2年目になります。

 昨年度はまず手始めに5大学の学生たちが街の特徴を捉えるため自転車に乗って現地調査しました。各学生が自分の興味合わせてぺダルを回しながら街を巡り、自らの記憶やスケッチブックやデジタルカメラに記憶していきました。そのような観察を通して、八潮の街にはこんな特徴があるんだというのを見出していったんです。これは季節や時間帯を変えて何回か行ないました。そして、その結果から街の特徴として捉えられたものを生かした公共空間のデザイン提案などを行ないました。例えば、つくばエクスプレスの高架を活かしたアートスペースや、水路を活かしたコミュニティスペース、市内に散見される高圧線の鉄塔の足元に設けた災害用テントなどです。

◆具体的な住宅の設計 ― 2009年度の活動
 そして、今年度はもう少し具体的に八潮の街を設計しようと試みました。一つは、地域の特徴に合わせて集落的な意味で街を作っていくという意図での住宅モデルプロジェクト。これは具体的な設計というスタンスです。もう一つは地域住民の気持ちの水準をデザインしていかないといけないという思いがあり、建築設計体験というか、住宅を設計したいというような興味のある人たちを公募して、そういった方々と学生たちがともに半年間をかけてその人たちの住みたい家を設計する家づくりスクールということをやったんです。こちらは一種の市民ワークショップですが、わりと幅広く具体的な設計をして、きちんとした住宅がいっぱいできました。

※詳しい「八潮街並みづくり100年運動」の内容はこちら
※5大学による住宅モデルの提案はこちら


― 5つの大学が調査研究に関わりデザイン提案までするというまちづくりは、他にないユニークなものと感じますが、そもそもの経緯はどのようなものだったのでしょうか。

◆地元の大学への相談が始まり
 このプロジェクトに関わっている5大学の中に日本工業大学の小川研究室がありますが、八潮市が埼玉の地元にある建築系の大学ということでそこに相談をしたというのが始まりです。それでまず、小川研究室だけで1年間リサーチをやりました。それが2007年です。八潮街づくり100年運動はその当初から行なわれていたのですが、八潮ならではのモデルを作ろうということになってくると、ぐっと話を広げた方が面白いのではないかということになりました。そこで小川先生が、首都圏を取り囲んでいる様々な地域の大学の研究室の共同研究にしようとご提案されたんです。


― そこから今の5大学が選ばれたのはどのような理由なのでしょうか。

◆郊外を考えるということ
 そのポイントは「東京都内ではない」ということだったようです。高度に都市化された環境について考えるというのであれば、都内の大学は相応しいのかもしれませんが、必ずしも順風満帆な歴史を持った訳ではない郊外のことを考えるにあたっては、都内の大学では研究活動をしている周りの環境がちょっとかけ離れているのではないかと小川先生は考えられたようです。そういう理由で東京都内ではない周辺の5つの大学が選ばれたんです。埼玉と横浜(神奈川大学の所在地)は、違いもあるけれども、郊外という環境はちょっと似ていますよね。信州大と東北工大は遠いのですが、その方がある種のバリエーションがあるということでした。
 それと、1つのプロジェクトを遂行するためには、あるところで感覚が共有出来ている人が集まらないとだめですよね。そういう意味で、世界の情勢とか現代社会の多様性みたいなものをポジティブに受け取って、展開していこうというようなセンスが、おそらくこの5大学の先生方には共通していて、それもポイントだったと思います。


― 調査や提案の中には、「街の特徴」という言葉が多く出てきますが、元来の八潮の特徴としては、どういったものが挙げられるのでしょうか。

◆取り残されたが故の特徴
 八潮市はつくばエクスプレスができるまで 鉄道のない街でした。高速道路など何もかも通り過ぎていく。そういう意味で開発から取り残された街なんです。しかし、交通インフラができていなかったが故に街が均一化していないという特徴があります。川に全部挟まれているから外からの流入が難しいし、鉄道駅がないから近代社会化しにくかった。だから、小さい街なのに不思議な特産物がいっぱいあるんです。例えば、町工場がたくさんあるのですが、この地域でこれは日本一というものが、いくつかあるんです。例えばビューラーってありますよね。あれが日本一。食べ物も、小松菜の生産量とか上新粉などが日本一という、隠れた郷土特産品がけっこうある。

 それにだいたい、取り残された感じの場所というのは、人の結束が強いんです。集団で取り残されているから、みんなで団結しないといけないというような感じが八潮にはあるんです。普通、景観や街並みづくりと言うと、行政としては住民からの批判やネガティブな反応を避けたいから、他の人達と同じこと横並びのことをやらざるを得ない。しかし八潮の行政の人達にはそれがない。割と冷静に自分達の置かれている状況をいいところも悪いところも含めて知っていて、今後どういう風に展開していくべきなのかという時には、他とは違う、こういう街だからこそできることを発見していきたい、そういう方向に考えているようです。

― なるほど。そういう意味ではただただ埋もれているという訳ではなくて、何かでひとつ輝こうとする気風のようなものが背景にあるんですね。


(つづく)
次回は、住宅モデルの提案に込められた意図と住民の方の反応についてお伺いします。