良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(2)

敷地分割は悪か

◇ 何のための180㎡か
大澤:今、たまプラーザでは敷地分割されている事例が多く見られます。この分割というのは、当然地区協定で定められている「1つの敷地は180㎡以上とする」という制約は守っているわけですが、この敷地分割という事象を、ルールを守っているんだから別に問題ないんだと捉えればいいのか、いや180㎡というのはあくまでも最低限の基準であって、本来のたまプラーザ、美しが丘らしさみたいなものから考えると、望ましい規模は300㎡なんだという風に考えるべきなのか。つまり、敷地分割=悪と単純に捉える傾向もありますが、敷地が細分化されていくことの何が具体的によくないのかを考えてみたいと思うのですが。

添田:私の主観ですが、やっぱり分割すると無理が生じる部分があるなあ、と現地を歩いて思いました。分割前の敷地はどれも大きいとはいえ、接道部分はそんなに広くない形状のものも当然あったりして、そうすると2分割した奥の方の敷地は旗竿地みたいになったりしている。一方、間口が広い敷地の場合も、前面道路に面して元々あった生け垣を全部切り崩してアプローチを作って、一戸建てをぽんぽんと建ててしまっていたりしました。

大澤:なるほど。

三井所:敷地の狭い所に、ある程度の住宅を建てようとするから、街全体を見ても目一杯感が出てきてしまっていますね。

添田:それが問題なの?と問われれば、もっと劣悪なところはいっぱいあるから、その中でもまだゆったりしているところだという言い方も出来るんでしょうが。

大澤:一応この地域には地区計画があって、さらに、地区計画だけでは書ききれないこととか、地区計画が意図することを補完するために、街並みガイドラインというのを作っているんです。そこには多分思想的なものというか、旗竿敷地みたいなものは望ましくないですよということがちゃんと書いてあって、本当なら建物が出来る前にチェックをしたいんですね。だけど、法的に地区計画の届け出と街並みガイドラインの届け出はリンクさせられないから、どうしても「お願い」というレベルに留まってしまっている。それをすり抜けて開発されてしまうものは、もう止められないんですよね。それをどうにか止めようとして、横浜市って条例を作っていますよね。地区認定がされて、地区独自の取り組みが認められれば、地区との協議が義務となって、地域のルールが担保されるんですけれど。

三井所:それも条例ですからね。

大澤:アメリカは完全にサブディビジョンコントロールで、宅地分割規制というのがありますよね。その時に、分割してもいいけれど、その代わりこの条件は満たしてね、というのが、計画にちゃんと合致していることとか、間口がこれだけとか色々と条件が入るんです。そういうところで、そもそもどうしたいのという、計画が、地区計画が本来そうなんでしょうけれど、あんまりビジョンが共有されていないというところが大きいのかなと。だから180㎡と言われてしまうと、数値が合っているかどうかしか判断しようがない。

三井所:そうなんです。

大澤:単純に数値を満たしているかどうかということじゃなくて、そもそもどうしたいんだってところが本当は一番重要なんだと思いますね。

◇ 街に対する責任を担う
川上:分割したところを購入して住んだ場合、その人は、ゆとりのある美しが丘らしい街並みを図らずも自ら壊すことになるわけじゃないですか。さっき話に出ていたように、たまプラーザは質が高い住宅地で、ある理念を持って作られた街で、それをみんなが共有の評価として住んでいたはずです。なのに、時が経つとその評価した要素すら残っていかないということがなんだか残念なんですよね。

添田:確かにそれが怖いですね。結局、敷地分割という現象は土地を売りたい側の都合と買いたい側の買える値段という都合、つまり単純に売り買いという経済的原理から来ているわけですよね。そのこと自体を否定するのは資本主義社会では難しいのだけれど、せめて、分割する際にその土地の持っていた良さとか、雰囲気とかを出来るだけ活かそうと考えている人が誰かいないのかと思いますね。

川上:そう。誰が責任を取ろうとしているのか、ということが疑問なんです。そもそもの開発の理念は何を目指してやっていたのか。敷地分割して細かくなっていっても、変化していくことが良いことだと、誰かビジョンを持って意思決定をしていれば何の問題もないんです。
 逆にその時々で売れればよいっていう話だけで回っているとすると、結果的に敷地と建物がどんどん小さくなっていって、街としてのみすぼらしさが芽生えてしまって、そうなると本来のポテンシャルにはもう戻れないですよね。住んでいる人たちだって、本当はその街の価値を下げたくはないはずですよね。だとすると、本来、何か大きな力でコントロールしない限りは街としての価値は維持できない、ということなりませんか。それを担うことが街に対する責任なんだと思います。


三井所氏+編集局員座談会(3)を読む