町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(3)

― 佐原の大祭(毎年夏と秋の2回行われる。今年の秋の大祭は10/9~11に開催)も、昨今よく知られるようになりました。そのお祭りの背景について教えてください。

◇ 祭りは福利厚生
 佐原の大祭は神社に奉納するということだけから始まったお祭りではなくて、ある種の公共事業にもなっていたお祭りなんです。つまり、大きなお店をやっているところが、奉公人に飲んで食べて大騒ぎできる機会を作り、大きな山車を作って競わせたというのが、江戸時代中期以降からの一般的なかたちだと思います。福利厚生といいましょうかね。
 なので、景気が悪くなったり、飢饉が起こると、今の公共事業に当たるようなことはみんな大店がやっていたんです。天明の大飢饉の時に建った蔵などもそうですし、ごく最近までも、例えば、子どもがちょうど学校へ行くから、お金を稼がせてあげなければいけないから、仕事をつくって稼がせてあげるとか、大店の人たちはお金を使って地域を上手に回していかないと尊敬してもらえないような、そんなしくみで動いているようです。自分から言ったら品がないと、なかなかこういう話はしてくれないんですけれど、そういうまちの仕組みが根本にあります。

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秋の大祭の様子:小野川沿いの町並みを進む山車

◇ バランスの取れた伝統継承のしくみ
 ですから、お祭り以前に、どこの家がどういう状態かということは、お互い全部分かっているので、お祭りの寄付といっても、無理なことは言わないんです。分に応じて無理なくやっている。でも、お金を出したから何かが優先されるというわけではない。若い者は若い者で山車を曳く、若頭で仕切るのは実力のある、周りがリーダーと認める人。無理してなるとみんな従わない。間違ってしまえば次の年は降ろされる。このように、スポンサーとしてお金を出すというものと、実力でお祭りを伝承するものと、二つの別々のしくみがあって、それが矛盾することなく動いているんです。

 また、お祭り全体を取り仕切る「年番」というしくみがあります。これは、3年交代で、その3年間は、実際の年番の係と、前年と翌年の係が重なるようにやっているので、きちんと伝統が継承されるしくみになっているんですよね。
 書かれたものも比較的残っています。何か問題が起きたとき、書いたものにして神社に奉納して残しておこうという向きもあります。その文書を見て、最近はこういう風にやっていないけれども、明治時代にこういうものがあったからそれでいいんだ、という風に伝統を継承しているようです。

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大祭で使用する山車(佐原・山車会館にて展示されている)


― 山車会館で会った高校生から「祭り、好きです。佐原で育っていますから」という話を聞きました。そういう風に子どもたちが育つ風土があるように思います。

◇ 生まれた時から
 学校教育の点から考えると、小学校ではお囃子のクラブがあります。これは、学校の先生ではなく、実際には町の人が指導しています。佐原囃子の横笛も町中で売っていますから。もっと小さい頃からですと、例えば、山車を曳いているときに、首が座るか座らないかの赤ちゃんが大人と同じ格好をさせてもらって、山車のところにちょこんと乗って、みんなと記念写真を撮ってもらっていたりするんです。生まれた時からそうやっていると、好きとか嫌いじゃなくて、お囃子が聞こえてくると、お店の番をしている人などは山車は曳けないけれども、何となく手足がお囃子に合わせて踊っている。それも自然に動いてしまう。こういった街の雰囲気の中で育っていることは大きいと思います。

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曳き手には小さい子供も多く参加


◇ 様々なかかわり方
 特別の人達だけがお祭りをやっているのではなく、生まれた時から関わっていて、商売やっていて山車を曳けない30代ぐらいになると一旦離れてしまうんですけれど、その時には運営に関わるとか、町内会の話し合いに出て行くとか、こういった色々な形でかかわることが許されているから、子どもからおじいちゃんおばあちゃんになるまで、関わり方が様々なんですよね。だから、必ずここにいてこれをやっていなくちゃダメ、ではなくて、子どもの時だったら、夜遅くならないうちなら山車の前の方だけ綱を引っ張ってもいいよ、と。みんな好きなように関わって、年代だとか社会的なポジションだとかそういうことがすべて抜けてしまった時には、この人はこれが得意だからこれをやるんだ、というように、自分の役割があるんです。それは、お金があるからでもなく、いい家に育ったからでもなく、元気がよくて皆が言うことを聞くといえば、若くてもそれなりの役が来る。

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14台の山車が町中を練り歩く


― このような催しがあることがまちづくりに果たす役割も大きいのではないでしょうか。

◇ 町の統治システムや秩序の再生産
 お祭りを中心とした町という気持ちをみんな持っていて、町の中で共有するものの一つがお祭りという形として現れているんで、町並みにしても、そこで色々な人とどうやって付き合うのかが、お祭りを通して覚えていることなんでしょう。お祭りの若頭に「祭りには茶髪は似合わねぇ」と言われれば、次の日みんな真っ黒にする、というような話も聞きます。非常に濃密な人間関係ですけれど、その中で生きていれば、それも環境なり空気みたいなものなんでしょうね。

 伝統の継承という面もありますが、町の統治システムや秩序を毎年再生産しているという意味が大きいと思います。それと同時にプライバシーはゼロですが、それぞれの事情もわかりますから、お互いの状況に応じてかかわることができることも、大きく作用していると思われます。


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