町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(2)

-古いものを生かした町並みを作ろうとなっても、現実には様々な障害があると思います。佐原はそれを工夫で乗り越えたと聞いていますが、具体的に教えてください。

◇ まちかど消火栓 ~住民の工夫と協力で局面を打開
 改修して使っていないところが開いて上手くいきだすと、次に課題として出てくるのが、壊しちゃったところをどうしようか、ということなんです。壊したところには、もう一回家を建てよう、お店を作ろうとなるんですが、その時にはコンクリート造のビルではなくて、佐原の町並みにあったものを作りたいんです。でも、例えば500平米なり、200平米なり、それを超えた大きな建物は木造で作れなくなるし、そもそも普通の木造でも耐火、簡易耐火にしないといけない、そうするとこの町並みは維持できないよね、と。どうしたらいいのか、と。じゃあ防火はずせばいいのね、と。でもタダでは外せない。ではどうするかとなりました。
(防火地域に関する詳しい解説はこちらをご覧ください)

 このまちでも明治20年代に大火に遭っていて、それから何度も火事がありました。当然これだけ密集していて、道路の幅がないので、防火の上で非常に不利なんです。でも真ん中に川が流れているんだから、消化用水を引けるだろうと。それで、黙って防火を外すのではなくて、自分たちで消せますよ、というのをもっと前面に出したら何とかならないかと。そこで、町かど消火栓というものを重立った建物の周りに配置して、初期消火をしましょう、と。初期消火さえなんとかしてしまえば、あとはどうにでもなるでしょう、と。消防車は川からポンプで水をあげてくれればいいんだ、という考え方にしていったんです。
 つまり、最初に消火栓ありきという発想ではなくて、元通り、昔ながらの佐原の町を復元するにはどうしたらいいのか、というところから入っていった解なんですね。防火という目的を、佐原だったら防火をどう解釈できるか、自分たちで消すことだよね、ということなんです。そもそもまちの人には、昔の町衆の考え方があって、消防が来てお上が消すなんて考えを全然持っていないんです。自分の家の火事なんだから自分達で消すのは当たり前だろうと。このまちには火の見櫓がないんですが、誰かに見張っててもらって消すという考え方がない。自分たちで消すと。最初から当たり前だったんですよ、彼らにとって。

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まちかど消火栓


-お伺いしていると、商売人の気質というか、自分達がまちを作ってきたという自負が脈々とあって、根が深いということを感じます。

◇ 観光地ではなく、生活の場を作る
 そうなんです。飛騨高山の人々が見に来られ、川の清掃活動が始まった後、それに携わっている人達が、他の蔵のまちだとか、小江戸って言っているようなまちってどうなの、と見に行ったんですよ、みんな手弁当で。その結果、商売としていくら繁盛していても、よその人に場所貸して、どこのものだか分からないものを売ってもだめだということが、かなり早い段階から共通認識になっていたようです。つまり、そこで生活が成り立って、当然商売も成り立つ、というまちにしないと、通いでやっていたらこれはだめだ、ということなんです。
 彼らは、自分たちはもともと小売じゃなくて問屋だったから、目利きはできるという自負があります。だから、自分の今の問屋の知識を生かして、それに関連するものを売るとか、今の良さというのものを殺さないで、でも現代風に解釈したらどうかなという風に考えるんですね。そういう意味で、お醤油屋さんがレストランを開くというのは必然性があるんです。調味料というものを扱って、材料にも目が利くし、仕入れも全部できる。で、修行した人を連れてきて、場所を提供して、自分の商売のかかわりの中でやっていく。そのような生活の場を捨てないで、暮らしができるということなんです。
 例えば、夜のイベントやお祭りの時なんか、観光客が来てゴミを捨てていったり、ものを片付けなかったりしていきますが、終わった時に、自分の家の前だけぱーっと掃除すればそれで終わりなんです。皆住んでいますから、それで全部きれいになるんです。次の日の朝、役所が清掃するというシステムはいりません。
 住んでいるから目が届くわけだし、またよその人間が入ってこない。ちょっと取り付き難いところもあるんですけれど、商売やっていてもいなくても自分の家の周りは責任を持って、という考え方が共有されています。だから、今は商売をやっていなくてお店は閉めている人もそこに住み続けているんです。その代わり家の前はきれいに直して、外観は揃えて、エアコンの室外機だって見えないところに置くという工夫をして、今風に住みやすく使っている。何しろ、住んでくれるということを大事にすることが、あの町並みを作っているんです。
 結局、まちづくりの結果を見に、たまたま観光客が来ているというということなんです。だから、役所の人たちに言わせると、観光政策というのは考えたことがない。政策の結果が観光につながっているから、私たちは政策観光です、という言い方をしていましたね。

-なるほど、それでまちにはいわゆる観光地化した変なお土産屋さんはないんですね。

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観光地然としていないお店

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インタビュー風景:田口氏(右)と編集局員

 次回は、佐原のお祭りがまちづくりに果たす意義や、まちの今後の課題について語っていただきます。

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