助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(2)
― 港南防災ネットワークでは、災害時にどのような活動をする計画なのでしょうか。
◇災害発生直後の後方支援
大地震などの発生直後は、初期消火や人命救助などを臨機応変にすばやく行うことが大事なので、活動の主役は各自・家庭、各マンションや町内会、オフィス等になり、ネットワークはその後方支援という位置づけです。同じ地震でも、あっちのビルは大変な被害、でもこちらはほぼ無傷ということも大いにありますから、ネットワークで情報交換をして、被害が大きいエリアをみんなで助けるんです。まずは状況に応じて、運河で囲まれた狭い地域内でまず連携をとり、さらにはネットワークとしての本部を、公的避難所である学校に開設して、情報を集め、活動を調整し、学校や区との連携を図る、といった計画になっています。
◇避難所運営の中心的役割
発災直後の大混乱がひとまず収まった後は、ネットワークが活動の主役になる計画です。地震発生後48時間経過した時点で、ネットワーク加入組織は避難所にある「ネットワーク本部」に集まって情報交換をし、その後の作戦をたてます。「避難所」は自宅を失った人が生活する場というだけでなく、人や情報、物資等が集まる重要な場所、つまり地域全体で助け合うための拠点となるわけですが、この避難所運営の中心になるのがネットワークなのです。行政等と連携しながら、「情報」「人」「空間」「モノ(食料・物資)」「要援護者対応」など各班に分かれて活動しようという計画です。これらは「災害時の活動マニュアル」という全17ページの小冊子にまとめられ、関係組織に広く配られています。
災害時の活動マニュアル:災害発生時の各班の活動が詳しく定められている
避難所となる中学校
◇地域の思いがモデル事業にまで
実はこのような流れの計画は、たとえば東京23区中ではありふれているんです。港南防災ネットワークの素晴らしいところの一つは、この計画づくりを地域の方の思いからスタートさせ、小中学校、港区などと一緒に1年間かけて検討し、作成したことですね。「せっかくネットワークをつくったのに、いざというときにどう動くかということが決まっていないのでは困る」と港区に働きかけ、平成16年度にはこの計画づくりが港区のモデル事業となりました。私もコンサルタントとして関わらせていただいたのですが、できあがった計画は港区内の防災ネットワーク計画の雛形になっています。
◇活動計画の自主的な更新
一般に、こういう計画は、ただ立派な「本」があるだけで中身は知られていないとなりがちですが、港南の計画は血が通っています。毎年行っている防災訓練も、この計画の「検証」という位置づけで地域の方が企画しています。昨年度は、計画書自体の見直しを行い、改訂版を作成して広く配っています。もちろん、みんながみんな計画を熟知しているわけではないのですが、知ってもらうための活動は、いろいろな場面で自主的に行われています。
こういった極めて公的で地味な活動が、最初に行政の指導があったからではなく、自分たちの思いで自主的に発案され実際に行われている、継続している、ということは、本当に素晴らしいことだと思います。大災害時のイメージを持ち、シミュレーションをしながら、その地域に合わせた計画を話し合う、というのは専門的で難しいですよね。だから、趣味の活動とは違って、自主的な動きになりにくいのです。しかし、港南防災ネットワークでは、専門家などのアドバイスを受けつつも、受身ではなく、常に主体的に動いているのです。
◇自主的なネットワーク活動の効用
最初に新しいマンション住民の方とも一緒に活動していっているというお話をしましたが、そういうアプローチができるのも、主体的に考えたネットワークとしての計画があるから、かもしれません。何もないと、加入してもらっても「で、私たちはどうすればよいの」となってしまいます。新しい住民の方も、地域の安心安全のための自主的なネットワークで、いろいろあるけれど血の通った活動しているし、誰でも受け入れてもらえると聞けば「他人事ではないな」「参加しよう」という気持が起こるのではないでしょうか。
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港区港南地区は、長く住んでいる人が多い熟成された地域ではありません。駅前には大きなビルばかりで、新しいマンションが次々に建ち、新住民が急速に増えている地域です。この地域は、住民が主体になることで、地域を取り巻く環境の急激な変化にも耐えうる、しなやかで強いネットワークを形成しています。次回は、そのようなネットワークを形成することが出来た背景やしくみについて、より詳しくお話していただきます。
- 投稿者:東京生活ジャーナル
- 日時:09:01