都市とホテル

 この年末年始に旅行に行かれた方も少なからずいらっしゃるだろう。旅行に不可欠なものと言えば、宿泊施設である。今回は、東京のホテル、特に近年開業した高級ホテルについて焦点を当ててみたい。

■2007年問題再燃?
 下表は、近年に開業した東京の高級外資系ホテルの一覧である。これらのホテルは、海外の超一流ブランドを冠し、標準的な客室料金が6~7万円台と、それまでの高級ホテルとも一線を画した非常にグレードの高いものとなっている。この開業ラッシュは当初「2007年問題」として、客室数の供給過剰につながると危惧されていた。しかし、蓋を開けてみると、いずれのホテルも開業時の稼働率は大変好調で、また既存のホテルの稼働率も押し上げられたことから、「外資系高級ホテルの進出によって新しい市場が創出された」とまで言われるようになった。ところが、昨年起こった金融危機による景気の悪化により、主要な顧客であった外資系企業のビジネス利用が減少し、一転、稼働率は低下しているという。米国の「住宅バブル」のように、東京のホテルの「新しい市場」もあっけなく崩れ去ってしまうのだろうか。
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■ホテルの公共性

 個人的には、このような世界に名を馳せる超一流ホテルが東京にできることは、東京の国際的な地位を押し上げ、また利用者にも選択の幅が広がるという意味で歓迎されることとは思う。しなしながら、「高級」、つまり値段が高い、ということだけが売りになってしまっている(ように見える)ことには、強い違和感と危惧を覚える。
 元来、ホテルとは公共的な都市の施設であった。明治期以降の日本のホテルの歴史的経緯を顧みると、外国人向けの宿泊施設として始まりながら、その後多くの貴賓達による様々な会合、宴会が行われるようになり、人々の社交場としての機能を持つようになった。また、大正期においては、市民の交歓の場としての機能が重視され、ダンスや演劇などの催しが繰り広げられ、都市における文化の中心としての一面を持っていた。つまり都市の経済、文化的な役割の一端を担い、都市とともに発展してきたのである。そのような公共的性格を持つが故に、都市を語るに欠かせない著名なホテル(香港:ペニンシュラホテル、東京:帝国ホテルなど)が存在しえるのである。

■都市再開発と複合する意味
 仮に、現在のホテルが、富裕層の自尊心をくすぐり、単なる個人的な消費の対象としてしか存在し得ないのであれば、ホテル本来の役割とは合致しないだろう。そこには都市への眼差しが必要なのではないだろうか。
 上に述べたホテルのもう1つの共通点は大規模な再開発とセットになっている点である。いずれの再開発も「独自の」都市の新しい複合形態を目指すと謳っている。そこに高級ホテルがセットされている意味を改めて捉え、新しい複合のあり方、ホテルの公共的位置付けを提示することこそ、あっけなく崩壊してしまう「市場」に寄らない、普遍的なホテルの存在意義につながるものと期待したい。
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ザ・ペニンシュラ東京

(添田昌志)

参考文献:
東洋経済オンライン http://www.toyokeizai.net/
勝木祐仁:「明治・大正・昭和初期の都市に建設されたホテルの平面計画の実態」東京工業大学博士論文(2001)