居住地を選ぶ視点①

■連載にあたって
 「住む」ということを考えるとき、私は、私たちがあまりにも「住宅の確保」と「住まう」ことを同一視してきたことが悲しくなる。それは、戦後、いやもしかしたら明治以来の人口移動において、都市に住宅を確保することが困難だった歴史がもたらしたものなのだけれど、いまやその違いはかなりの言葉を尽くさなければ理解されないことになっている。こう書いている私自身も、自由業の不安定さから、住宅だけは借金をしてでも確保したいと画策した時期がある。

 さて、言うまでもなく、住むことは、ただ家を手に入れることではない。通勤や通学の便を考えることだけでもない。その土地と縁を結び、その風土や地域社会のなかで自分の人生を築いていくということなのだ。現在、政府は「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」ということを言っているが、その柱には実は住宅の問題が大きく関わっているとも思う。家に帰るのに2時間かかるか、30分で住むかは大きく違うし、一方で家にいるときに住環境を楽しめる家と、家に閉じこもるかレジャーに出かけるかしかない家とではやはり違うのだ。
 この連載では、都市あるいは都市近郊に住むときに、私たちはどのような視点で都市を見、そこに住宅を構えることができるのか、を考えていきたい。

■居住地選択とは
 居住する地域を選ぶ時、多くの人は通勤、通学の便を考えるだろう。または、その人にとって重要なポイントにおける利便性を考えるだろう。ある私の知人は、子どもを育てることを考えて、両親の住む家と勤務地との中間に家を買い、通勤に2時間をかけることを選択した。一方で、このところのずっと続くトレンドとしては、かつて郊外に持ち家一戸建てを購入し、子育てを終えたシニア世代が、都心回帰する傾向がある。戦後の新しい世の中の枠組みの中で、ようやく「住宅は一生ものではない」「居住地はライフステージによって選択していけばいい」という感覚が育ってきたように思う。
 言い方を変えれば、「いま住みたいところに」「いま住めるところに」住宅があればいい、と考える軽やかさが受け入れられてきたと言える。これは、住宅を個人のストックと捉える視点から、社会のストックと捉える視点への転換とも言えるだろう。

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郊外の戸建住宅地と都心のタワーマンション

(辰巳 渚)