北千住はどこに向かうのか

■駅前の活気
 先日、久しぶりに北千住を訪れた。駅前は見違えるほど整備され、良く言えば画期的に利便性が向上し、悪く言えば地方の中核都市の「駅前に良くある風景」となっていた。しかし、平日の午前中に訪れたにも関わらず、街には活気があり(この感想自体が現在の「東京」に毒されているようにも思うが)、人々が「住んでいる」実感を受けた。

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 北千住は、江戸時代より日光街道の起点であった千住宿から発展した街である。やっちゃ場と呼ばれた青物市場もあったことで古くから活気にあふれた街だったのだろう。また、松尾芭蕉の「奥の細道」のスタート地点としても知られる。それ故に北関東や東北各県から東京への出入口的要素が強く、北千住駅は、今ではJR常磐線、営団千代田線、営団日比谷線、東武伊勢崎線、TXつくばエキスプレスが入り乱れるターミナルとなっている。かつては、やたらと混雑する駅とのイメージが強かったが、今では乗り換え動線も整理され、多くの乗降客に適応できているように感じられた。

■新旧の混在
 駅ビルを出て、整備されたペデストリアンデッキを降りると、駅前には駅内の行き交う雰囲気を受け入れるような細かい飲食店が並ぶエリアが広がっている。地下鉄駅の入口はまるでテナントのような様相であり、整備前の雰囲気が伝わってくる。このような元々建物が密集しているエリアにこのようなターミナル駅が存在することは予期せぬ面白い関係性を生み出すことがある。新しい街と旧い街のコンフリクトの効果である。

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 さて、駅前を荒川に向かって進むと旧日光街道沿いの宿場町が商店街になっている。駅に近い本陣跡などは名残すら感じられないが、高札場跡を過ぎた頃から旧い町家がぽつぽつ増えてくる。ここでも新旧の取り合いがまだ程よく残っているといえる。おそらく観光客が集まる歴史風情の残る街並みというわけにはいかないが、散策がてらに視覚的楽しみをもたらすものとしては十分であり、住人にとってのある種の誇りや愛着形成には寄与するだけの効果は持ち合わせていると思う。こう書くと語弊があるが、「東京」としての魅力が低かったために開発の対象として放置され、その結果、自然な新陳代謝が行われている街である、との印象を受けた。

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 少し進んで日光街道(国道4号線)沿いまで足を延ばすと、そこはもうマンションが建ち並び、既視感漂う画一的な幹線道路の風景である。下町的雰囲気を客寄せのコピーにして開発される周囲に、下町本体までが飲み込まれてしまっては元も子もない気がする。駅の反対側には東京電機大が神田からの移転を決めたようであり、まだまだ変化する街となりそうである。今の活気が似非とならぬか心配である。今ならまだ間に合う街並なのだから。

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(川上正倫)