2008年06月 アーカイブ

丸の内の価値をはかる(6)文化財による価値-2

日本工業倶楽部ビル
 東京銀行協会ビルの不幸を横目に、完全復原によって保存されたのがこのビルである。わずか10年でその運命が変わるとは、都市計画制度も罪だなと思いながら眺める。東京駅側、正面側は違和感なく超高層が背景となっているが、皇居側に歩を進めて振り返ると、飛び出て来ているのか、はたまた前時代を背負って突撃したのか、かなり滑稽な取り合いになっている。また、31mに足らないビルを補完するように超高層側では律儀に31mデザインを踏襲しているが、残念ながらこのラインはある程度距離を持ってみないと意識しづらい。しかし、街区の大きさがしっかりしていると建物のデザインにあまり気がいかない。工事中の猥雑さを乗り越え、超高層によるきれいなすっきりとした街並が形成されていると言える。国や会社の威信をかけて造った近代建築のように濃密なデザインは、むしろヒューマンスケールなのかもしれないと感じる。
 31mラインの意味は、デザインの効果というよりはその街に参加するという宣言のようなものと受け取りたい。
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明治生命館
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 昭和に建造された建物として初めて重要文化財に指定された。保存方法は、工業倶楽部ビルの延長上に位置づけられる。銀座などにも見受けられる、建物と建物の間の路地を積極的に見出した、「地」と「図」の反転モデルのようである。新しい超高層と19世紀的建物によって作られる隙間空間は、写真だけ見ればヨーロッパと見紛う景色である。
 しかし、果たしてその感想が、この街にとって発展的な意味を持つのかは疑わしい。別に日本的であることを求めるわけではないのだが、このような光景は変化の早い東京では各地で散見できる。保存を決定した時点で、このギャップのようなものを街として引き受けるべきであり、現状では生きている街における死に体の建物の「保存」の価値が、人々の活動にまで落ちてきていない。単なるオフィス街から観光などのサービス街への変換は、まだまだ発展途上なのであろう。
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三菱1号館
 明治生命館の前には大きな工事中の敷地がある。三菱1号館が完全復原されるのだという。1970年代に保存要望の相次ぐ中で、時代に合わないと取り壊れた一丁倫敦を再現するのだという。しかしながら、歴史的価値は見出されなかったにしろ、人々の記憶に馴染んで来たであろう白い尖塔の丸の内八重洲ビルが、併せて取り壊されたのは残念である。
 本物を壊しておいて、歴史性を訴えてその模造品を再建する。さらにそのとばっちりで、今ある歴史的な建物を壊してしまう。なんとねじれた構図なのだろうなどと思いを馳せてしまう。復原ブームの影には、それによって増される床面積が見え隠れするわけであるが、30年たって近代の街並をウリにするのだという覚悟。本当は超高層を建てたいだけなんじゃないの?と疑いたくもなる節操のなさであるが、歴史をウリにする以上は長期的な戦略が必要である。
 自分の土地で何を壊そうが何を作ろうが勝手だろう、と言われりゃそれまでであるが、次の戦略転換で超高層を壊すっていったってそう簡単にはいかないのだから。
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仲通り
 以前の街並がどんなであったか、すっかり忘れてしまうほどきれいな街並である。それまで、オッサンの巣窟を建物のファサードでぐるっとくるんで表面的にはきれい、という構図で堅苦しいイメージだった。いまや、路面店がならぶ優雅なショッピングストリートである。
 しかし、逆にそれを眺めていると少々怖くもなる。たしかにミレナリオをはじめとした広報活動など、担当者の苦労と成功は認めたい。ただ、人々はなんだかその戦略に流されているだけにも見え、そこにデベロッパーの余裕のしたり顔をみてしまう。
 余裕故の安易な転換にどれだけ街がついて来られるのか、少々不安を感じずにはいられない。
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(川上正倫)

丸の内の価値をはかる(5)文化財による価値-1

 丸の内はその歴史的背景から東京の中でも特異な位置づけを担っているエリアといえる。その発展には常にオーナーである三菱の影響がある。観光客の会話でもそれが主たる話題になるくらい浸透しているそのブランド力には驚かされる。
 日本の歴史的建造物のイメージは木造寺社仏閣であり「京都・奈良」にその地位を譲るが、ここでは「石」である。丸の内は、木造建造物とは一線を画した近代建築群の集積地である。とはいえ、これらの建物の歴史的有用性を語れる人は稀であろう。それでも、皇居や日本橋を含めた丸の内周辺を散策すると、その石に感じる歴史の重みを否定する人は少ないであろう。昭和の建築として初めて重要文化財に指定された明治生命館をはじめ、重要文化財の東京駅駅舎や中央郵便局など優れた建造物が並ぶ。どれも、近代日本や会社の本社屋としてモニュメンタルな意味を担わせる意味もあってか力が入っている。蘊蓄をもつことでこれらの楽しみが増す事受合いである。
 ここでは技術的/法的価値は別に委ね、景観による価値評価をフィールドワークで試みる。

丸ビル・新丸ビル
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 建設中であった新丸ビルの再生も終わり、東京駅から皇居にいたる超高層ゲートが完成した。どちらも31mでデザインが切り分けられている。100尺制限で維持されていたかつての街並を意識してのものである。技術的な背景もあったにしろ、西欧の建築の流れに逆行するような中層建物による(しかも20世紀になってから19世紀前の西欧を模倣して!)中心市街地形成は、かつてのこのエリアを世界にも稀な経済性より美観を優先した景観型商業地域にしていたと思う。
 90年代、政治の中心を西新宿に奪われつつありながら、特例容積率適用区域制度、特定街区制度などの新しい都市再開発法を背景に大規模な再開発が開始された。かつて東京海上が、前川の案をもとに100m越えを目指したことに対して、三菱が「美観」を盾に反対したことがあったが、その三菱が率先して計画した「マンハッタン計画」が、同じく不評をかったのが皮肉である。
 しかし9階建てだった丸ビルが耐震改修不能と診断され、先陣をきって37階建てへ変貌すると、流れは一気に超高層化へ。丸ビル35階展望室や新丸ビル7階ルーフテラスにのぼると、かつてはオフィスワーカーに専有されていた東京駅前のこの雄大?な景色が楽しめる。地盤面から少し上がった目線、しかも前に遮るもののない近さで眺められる体験は、なかなかに気持ちがよい。
 新丸ビルのルーフテラスはちょうど31mの高さにあり、身を乗り出し他のビルを眺めると同じ高さの建物は皆無である。他のビルも2本のゲートタワーにならい、31mラインでデザインが切り分けられているようだが、通りを歩くともはや空の広さが違う。
 丸ビルと新丸ビルは高さも外観デザインも異なるが、それによって東京駅と皇居を結ぶ軸線を優しげな印象に変えているように思えた。しかし、道路からはあまり気にならないが、少々高いところにのぼると、ばらばらなスカイラインがあまりきれいではない。昔はそれこそ見下ろされることなどなかったからよかったのだろうが、ルーフデザインに余地のある街並である。
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東京銀行協会ビル
 皇居側に移動してみると、31mラインどころかレンガ壁が足元を巻いているビルがある。このビルはバブルの最中に立て替えられた。当時はまだ特定街区制度等なく、通常の総合設計制度によって増床をした。経営的にうまくいかなくて仕方なく、、、というのが本音のようだが、多くの人にとって馴染み深かかったレンガ造を取り壊すのには、それなりの抵抗があったように想像できる。そこで、なんとか界隈を維持しようと、レンガ造ファサードで瘡蓋のように表層を覆うと、今度はその軽薄さを揶揄する声が高まった。
 建築界の悲哀でもあるが、その深い意図なき保存が、現在の丸の内文化財的再生のひとつのきっかけとなっていると思うと感慨深い。
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(川上正倫)

研究成果からの報告Podcast~街のプレイヤー編~

「都市の価値をはかる」研究成果からの報告 Podcast~街のプレイヤー編~

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丸の内の「プレイヤー」の例 [サラリーマン、観光客、買物客]
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丸の内の「プレイヤー」の関係図

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表参道の「プレイヤー」の例 [ブランドに身を包んだ買物客、地元住民(外国人、小学生)]
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表参道の「プレイヤー」の関係図

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豊洲の「プレイヤー」の例 [住民(ファミリー、自転車)、買物客]
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豊洲の「プレイヤー」の関係図