2007年12月 アーカイブ

豊洲の価値をはかる(7)再開発がもたらすもの-3

見上げてみたり見下ろしてみたりの価値
 タワーマンションが林立する姿は壮観なものであろう。新宿の高層ホテルに住んでいるような都会を感じるセッティングである。六本木ヒルズは周囲の低さから大名気分を味わうものだとすると、豊洲はもっと日常に近い都会感ではなかろうか。
 1880年代都市への密集の解決策としてシカゴに建てられたホーム・インシュランス・ビルが、近代高層ビルの祖と言われる。世界初の超高層は、1900年に建てられたニューヨークのパーク・ロー・ビルだ。日本では1962年に31mの高さ規制が撤廃され、1968年日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルが完成する。日本初の高層タワーマンションは1971年の19階建て三田綱町パーク・マンションであり、故丹下健三もこの建物に居を構えていた。
 豊洲では30階を超えるタワーマンションも現れてきている。1棟1000戸近く、約22000人の居住を想定している。戸数がもたらすスケールメリットとしての共有空間の充実はそれだけでも価値といえる。そして、さすがに高層階からの眺めは素晴らしい。かつての浅草陵雲閣、愛宕山の展望台、現代の森タワー展望台に至るまで人々を魅了する「高さ」を自分の住戸で得られる可能性が広がった。個の楽しみと併行して外来者は、タワーが並び立つ景観を楽しみたい。新宿エリアとは異なり住宅地というスケールは、オフィス空間とは異なる緩やかな時間の流れのようなものが感じられ、見上げると人々の日常の積層が塔となっているだろう。
 しかし、立ちつつあるタワーはどうも単調でよろしくない。今となっては時すでに遅しであるが、平らな埋立地の新たなる地平線としてのスカイラインについて、もっと統合的な協議がなされるべきである。
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150mという高さに住む
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似たような見上げ

リゾートであることの価値
 「景観・環境・防犯・防災・育児」。工業地域がもつ対局のイメージコンセプトを掲げる豊洲一帯は、お台場とつながるリゾートという顔も得ようと努力がなされている。東京ディズニーリゾートをはじめ、「リゾート」という言葉が流行のようである。
 リゾートとは、なんなのか。海が近ければいいというわけではないだろう。広辞苑で引っ張ると「保養地・行楽地」とある。リゾートたるためには、少なくとも郊外型店舗の構成は反目してしまっている。ららぽーと外部のドック周辺はたしかにリゾート的構成をとっているが、晴海通り以西にその様子はまったく伝わっていない。晴海通りの幅員の広さはもっての他だとしても、太陽のもと、楽しく散歩するような界隈ではない。せっかく十分広い歩道を確保しているのだから、そこに向かってカフェやバー、ちょっと立ち寄れて日常からの開放を促してくれる施設があってもよい。
 上空に日常、足元にはリゾートが広がり、それこそ東京都心という密集集約のスケールメリットたる都市空間が形成できるというものであるのに。
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ららぽーとの中はキッズであふれている
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イベント広場もありリゾート気分を盛り上げる

(川上正倫)

豊洲の価値をはかる(6)再開発がもたらすもの-2

埋立てであることの価値
 工業地域であった湾岸地帯を住居地域に変換する。ドーナツ化しつつある東京の住宅事情に対し、都心居住の可能性拡大は魅力的な話である。類似する再開発として、オランダ・アムステルダムの湾岸開発、中でもアイ・バーグという人工島の開発を思い出す。最初に行われたのが、アムス中心部との関係性、島の形や道路網、交通網の形状の整理だったというのだからおもしろい。
 日本だと道路は御上から与えられる。しかも、その地に適した提案が行なわれるとは限らない。また、建築基準法は道路がなければ建築してはいけないという。そういった制約の中で、しかも江戸の街を踏襲した東京の街路再構成の難しさは理解できる。しかし、豊洲は埋立地でありリセットもかけているのだ。なぜ、ディベロッパーや行政が手を組んで新たな街を再構成できなかったのだろう。道路の分断による不幸は汐留で経験済みのはずである。六本木ヒルズは逆をやって城を築いたではないか。
 豊洲はもう工業地域ではないのに、なぜ晴海通りをあそこまで拡幅したのか。市場ができたら住宅地を分断する大通りにはトラックが押し寄せるに違いない。一方、歩道の広さは歩きやすく、埋立地ならではの平らさは自転車やベビーカーにもやさしい。しかし、地形的特徴のなさが逆に道路をつまらなくしているのも事実だ。道路によって多少起伏のある地形を作り出すぐらいの新たなる価値評価がこの埋立て島にはあるべきだと思う。
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駐車場、駐車場タワーと壁のようなマンション
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同一の設計なのにめちゃくちゃな配置計画

群島の中の群島の価値
 道路のつまらなさを助長しているのが、郊外のショッピングセンター形式にならった土地の囲い込みである。設置性と一時性を決め込んで上空権を売り渡すのは結構だが、悲惨な建物によって全体のスカイラインがめちゃくちゃになってしまった。郊外の幹線道路に対する集約性はここでは無縁なはずである。
 タワーマンションが生え揃う頃には島の中に浮かぶ群島よろしく、事業者ごとの独立したエリアが浮き彫りになってくるだろう。道路の分断性の強さが豊洲内部にも群島を作り出そうとしているのだ。これが渋谷と同じく住み分けに発展するか、各島が鎖国をし始めるのかで街全体の価値は大きく変わるだろう。
 とにかく、全体計画に先んずる経済戦略が街全体を支配し、個々のディベロッパーの独立した状態が目立つ。各街区が少しでも開放に向かえば、界隈が形成できかえって全体の経済的活気につながると思うのだが。浜辺がたくさんあるのも商売にとっても利があるはずである。そういう中で、群島である豊洲の中に新たな群島を築くのではなく、豊洲、晴海、辰巳、東雲、台場といった東京湾埋立て群島のそれぞれがキャラ立ちすると面白い。
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広すぎる晴海通りと各々で閉じている敷地
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ゆりかもめ終点とその周囲の島状の塊

豊洲の価値をはかる(5)再開発がもたらすもの-1

リセットの価値、記憶の価値
 ゆりかもめの寸断されたレールを見てここが東京湾岸の終着かと実感する。
 豊洲は1930年代前半に関東大震災の瓦礫処理を目的とした埋め立てを完了し、以後、工業地域として成長した。しかし現在は、工業地域だった雰囲気は感じられない。新たなタワーマンションが建設され、都心に最も近いベッドタウンを形成しつつある。かつてから存する公団のアパートの地域には工業地にある集合住宅の匂いが感じられるが、進行中の再開発は過去からの完全なるリセットとなることは確実である。不動産広告もリセットをイメージさせることに終始し、コンセプトとして「自然」、「子育て」などの郊外的キーワードを用いている。都心エリアでありながらリゾート性を持ち、かつ安全で…。土地の価値に縛られる農耕民族・日本人にとって、埋め立て地や工業地域の記憶はマイナスでしかないのだろうか。
 さらにトドメが、負となる可能性を持つ過去を賛美することなのかもしれない。ららぽーとの舟形の形状や敷地内外部空間におけるドック跡の活用。アートという名の下に豊洲中に散りばめられる造船所にまつわるオブジェたち。痛々しくもあるそのような努力によってリセットプロセスは完了する。こうして東京の再開発地域を訪れると等しく感じる薄っぺらな新しさが作られているのだが、少々無作為に立ち上がるタワーマンションを見るにつけ、これが新しい記憶の種となるのか不安を感じる。

 日本人は、明治維新、太平洋戦争後と概念のリセットには長けている民族であるが、まさか、ファミコン世代の設計者や開発者はゲーム感覚で飽きたらリセットすればよいと思っていやしないか。開発規模が大きければ未来像への責任感のようなものを持つと思うのだが、大規模なリセットによって始まったこの街の未来像の責任の所在が不明瞭であるのが残念である。
 公団14階からの眺めは素晴らしいが、運河や工業地帯に対する負の意識が、今見ると理解に苦しむ配置構成となり、その隣の新築マンションは現在の価値観にあった方向を向いている。結局30年前から本質に変化はなく、再びリセットの憂き目にあうことは容易に想像できてしまう。
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港湾施設と新設の高層マンション
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アートとしての碇

(川上正倫)

丸の内の価値をはかる(2)マラソンランナーの視点-2

■皇居 東京の中心には空白がある
 そもそも皇居はランナーの聖地として非常によく知られている場所である。都市に住むランナーにとっては、信号がない事、景色がいい事、がランニングコースの重要な条件であるのだが、東京という混雑した都市の中で、皇居はその二つの条件を完璧に満たせる数少ない場所なのだ。
 都市ランニングというのは都市の空白を探索する行為であり、信号がない、景色がいいという条件は、それぞれ車や建物をオブジェクトとしてみた時にそれらの隙間を見つけるための手段となる。最近NIKEがランナーの為に始めたサイトの中で、googleの地図上に自分の普段走っているコースをアップロードし、それを公開、閲覧できる「map it(注1)」というサービスがあるのだが、それをみると東京のランニング空間の分布を把握することができ、中でも特に皇居周辺はコース数が多いことがよく分かる。
 東京の中心に空白があるという事実は、10年前にフランスの記号学者ロラン・バルトによって「空虚の中心(注2)」と表現されているが、彼は同時に「永久に迂回し続けるという運動が東京という物語を加速させている」という興味深い指摘をしている。要するに都市の密度にやられた人々は、空白を求めて皇居の周縁に溢れ出し、ひとしきり回った後でまた都市に戻り、それぞれの物語を紡いでいく、ということなのだ。

■丸の内 東京の缶詰
 私も何度か皇居を走ったことがあるが、その時の体験から、もう一つの別の側面があることに気付いた。うまく表現できないが、皇居ランニングでみる都市の風景というのは、まるで世界の裏側から都市を眺めているように見えるのだ。けして皇居に面している建築が背を向けているわけではないのだが、まるで自分のいる世界が反転しているかのような錯覚を覚える。
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図3:宇宙の缶詰

 この感覚はもしかしたら赤瀬川原平氏の「宇宙の缶詰(図3)」的な世界観に近いのかもしれない。食べ終わった蟹缶のラベルを缶詰の内側に貼ることで、宇宙全体を缶詰に収めてしまうという発想と、皇居という空白の缶詰があることで、その外側にいる東京全体がすっぽりと収まってしまっているという錯覚にかなりの共通点があるのは気のせいではない。それはつまり、内側で都市を体験する視点から、外側から都市を眺める視点に移り変わったことを示していると言えるだろう。

 皇居から見える風景の中で、特に「東京の缶詰」であることを感じさせる場所は紛れもなく丸の内である。と、いうのも丸の内は建築ファサードが面的連続性(=缶詰のラベル)を獲得しているから、という極めて単純明快な理由によるのだが、そのことから逆に、丸の内は東京の缶詰として観察される価値のある風景をもっている、と言うことができる。また、都市のプロパガンダであった東京マラソンのコースのなかでも、丸の内はX文字型の中心付近に位置しており、都市の外側(=皇居)から内側に入る、都市のシンボルとして重要な役割を果たしていた、と言えるだろう。
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図4:皇居から眺めた丸の内

 さらに2007年5月に行われた東京ストリート陸上では、丸の内仲通りを陸上競技のフィールドとして使ったことで、今度は丸の内が観察される場所から観察する場所へと変化を遂げ、まさに内側からも外側からも両面にラベルが貼られている缶詰のような場所であることを気付かせられた。

 丸の内とスポーツ。その関係性は薄いと思われがちだが、都市の空白としてスポーツフィールドを捉えたとき、両者は密接に結びつく。多くの人から観察される丸の内という空間は、いわば東京という都市の中で大きな劇場としての価値を見出せるのかもしれない。

注1) http://nikeplus.nike.com/nikeplus/#mapit
注2) ロラン・バルト「表徴の帝国」(宗左近 訳 ちくま学芸文庫)

(藤井亮介)
2006年 東京工業大学建築学専攻修士課程修了 
現在、坂倉建築研究所勤務