2007年09月 アーカイブ

楳図邸騒動から景観を考える(2)

 前回、マスコミ諸氏は周辺の景観と合わないと言いながら、「周辺の景観」については誰も論じていない、とここに書いた。それを知ってか知らずか(もちろん知らないと思うけれど)、9月1日付の朝日新聞がこの件に関して興味深い特集記事を書いていた。「もっと知りたい 楳図かずお氏新居巡り騒動」と題されたその記事では、記者が周辺を歩いて家並みの壁の色を調べた図が掲載されている。写真を使わないのは、やはりプライバシーに対する配慮なのだろうだが、周辺の住宅がどのような色をしているのか言葉で表現することを試みている。言葉では実際の様子がなかなか伝わりにくい面ももちろんあるが、このような周辺へのまなざしは評価したい。

■表現の自由VS公序良俗
 この件は、先日、楳図氏が地裁からの和解提案を「自己表現のひとつ。変えることはできない」と拒否し、さらに混迷の一途をたどるようである。氏は赤白縞について、「生命感が感じられ、すごく好き。ハッピーな色」とかなりの思い入れがあるようだ。表現の自由VS公序良俗という構図がここに見られる。ところで、表現の自由といった場合、今回、気になるのは、表現そのもの(つまりここでは赤白縞の家)の妥当性が批評されているのではなく、表現者個人のイメージが槍玉にあげられている感じがする点である。「気持ち悪い漫画を書く人が建てる家だから気持ち悪いに違いない」という短絡的な決め付けが少なからず見受けられる。万が一、これが著名建築家が設計したものであれば、どのような判断になるのだろうか?やはり赤白縞はおかしいと真っ向から訴え、マスコミもきちんと対処したのであろうか・・・?それとも著名建築家なんだから、これは素晴らしい作品なのだと通ってしまわないだろうか?何が本質的問題で、議論すべきは何かということを、しっかりと見据え、伝えることが少なくとも私たち専門家には求められている。
(添田昌志)

オリンピックが変える都市の姿(4) 2回目の意義?

■2回目の東京オリンピックは有効な都市改変をもたらすのか
 2回目の開催を目指す東京は、露骨に開発至上の姿勢は見せず、むしろコンパクトな「成熟した都市変革」をうたい文句としている。直前に中止された世界都市博覧会の空いたままの用地を埋めるためと悪口を言われ、少子化の進む将来に負担を残すとの批判もある一方で、「発展」を否定することは、人間の本質的な部分の否定につながりかねないとの主張もある。
 しかし、今の東京に求められているものは、先進西欧都市に接近するために成熟した姿を海外に見せることなのだろうか?私の個人的な(阪神淡路大震災の)体験から、1000万人以上の人口が集積するメガ都市の安全性、さらには安心して住める都市への変革の方が急務であると思う。2016年の華やかなイベントに備えるのか、それともその前かその後かは定かでないが確実に訪れる首都直下地震に備えるべきか、答えは明らかのように思う。最悪のシナリオでは、1万人以上の犠牲者が出ると予測されている未曾有の被害を最小限にとどめる防災対策は、一見夢のない消極的な行為のように思われるかも知れない。しかし、世界中の主に発展途上の国々で1000万人以上のメガ都市がますます増えつつある今日、その安全性の手本を示すことで国際的な貢献をする積極的な意義がある。
 オリンピック競技の背景として全世界のテレビに映し出される建築やまちの美しさよりも、市民が日々実際に暮らす建築とまちの安定感と安心感がより重要ではなかろうか。
(大野隆造)

豊洲の価値をはかる(2) 住民の使い勝手-2

■開発地や運河による開放感も、明日にはまちが変わる可能性
 豊洲地区はもともと埋立地だったので、幅の広い運河で囲まれている。それが、都心からの距離的な近さにもかかわらず、緑地や親水公園などの自然環境は充実しているといったメリットを生んでいる。
 一方、周囲を運河で囲まれていることのために生じるデメリットもある。その一つは、まちに入るには必ず橋を渡らなければならないことだ。例えば、深川第五中学校の裏から辰巳は運河を挟んで対岸に見える。ところが、辰巳まで行くには見えている方角と逆に向かわなければならない。一度、晴海通りまで出てから橋を渡って東雲に入り、橋をもう一本、渡って、ようやくたどり着く。
 東雲や枝川など隣街に住んでいて、通勤で豊洲駅を使う場合、毎日、橋を渡る。高い建物が多く、道路が広いので、雨風をさえぎる建物が近くにない。春や秋などの季節は川風が心地よいが、冬は寒い。雨の日は吹き付ける雨で駅に着いたときには、びしょ濡れとなっていることも少なくない。
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豊洲と東雲を結ぶ橋。道幅も広く見晴らしがいいが、雨風は強い。
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橋は上り坂になっており、自転車でわたるには一苦労。

 また、豊洲は開発中の敷地が多く、建物周辺にも空地が広く取られており、さらに、幹線道路も広いので、遠くまで見通すことができる。しかし、遠くの建物が見えることもデメリットになる。豊洲の駅を出ると、歩いて20分はかかる東雲に建つ高層マンションまで見通すことができる。逆の方角には日本ユニシス本社も見えるが、徒歩で15分はかかる。その結果、歩いて移動するときには、目的地まで予想以上に遠く感じる。新宿などの高層ビル街で感じる「見えているのにたどり着かない」という感じが豊洲にもある。
 さらに付け加えると、開発中の敷地にはいずれ建物が建つ。開発地が多いということはこの先、どういったまち並みになるのかわからないという不確定要素だ。今よりもまち歩きが楽しくなる施設や空間ができる期待感はあるが、逆に、眺望や開放感などの良い点が、ある日、突然、無くなってしまう危惧もある。
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近くに見えても、歩いて15分はかかる

(森下慎一)

オリンピックが変える都市の姿(3) ソウルに見る再々開発

■街のマイナス変容速度
東京オリンピックの前に東京の水路を覆うように建設された首都高速道路は都市景観再生の議論の中で矢面に立たされている。しかし、それを上空から見ると(写真4)過密なこの都市の動脈として機能しているこの道路の存在を否定することは、もはや出来そうに無いように思えてくる。
韓国のソウルでは、その出来そうに無いことが実行されたのである。ソウル都心を流れるチョンゲチョン(清渓川)の再生である。この川は1950年代から70年代にかけてコンクリートの蓋で覆われ、その上に高架道路が作られた。しかしそれらの老朽化と環境悪化の対策として、清渓川復元事業を掲げた李明博氏が2002年のソウル市長戦に勝ち、2003年に着工(写真5)、2005年には都心のオアシスとして市民の憩いの場となった(写真6)。しかし、川の流れはまったくの自然ではなく、不足する水量を補うために給水をしたりポンプを使って循環させたりしている。このエネルギーを消費する都心の「自然」についての批判もあるが、ソウルでは貴重な親水空間として多くの市民に受け入れられている。いったん開発した場所を復元再生するマイナスの変容速度を示す好例である。
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写真4 上空から見た東京の首都高速道路

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写真5 撤去される高架自動車道(ソウル市住宅局Hur-Young氏提供)

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写真6 復元されたソウルのチョンゲチョン(清渓川)

(大野隆造)

豊洲の価値をはかる(1) 住民の使い勝手-1

 豊洲の隣街、東雲に2005年4月から住んでいる。職場まで東京メトロ有楽町線で1本という交通の便を考えて、豊洲を最寄り駅に選んだ。ここでは、住まい手の視点から、豊洲について“まちの使い勝手”を見る。

■都心部からは10分だが、江東区内の移動は不便

 豊洲地区に住居を移す動機のひとつは都心からのアクセスの良さ。実際、東京メトロ有楽町線を使えば、有楽町駅から7分で豊洲駅までたどり着く。ほかの主要駅までは東京駅が15分、品川駅が20分、渋谷駅と新宿駅が25分、池袋駅でも30分で行ける。乗り換えの回数が多くても1回で済むのは便利だ。
 都心からの距離的な近さのイメージと比べると、実は終電車の時間が思いのほか早い。夜遅くまで仕事をしたり、繁華街で飲み歩いたりすることが多い人には不便だ。前出の主要駅からはそれぞれ24時には電車に乗って出発しなければならない。
 とはいっても、有楽町駅から豊洲は、タクシーの深夜料金が2000円もかからない距離にある。JR山手線は1時近くまで運行しているので、現実的には主要駅を24時30分くらいに出発して、有楽町駅からタクシーで帰宅というケースも多い。
  一方、同じ江東区内への移動はそれほど便が良くない。江東区や江戸川区といった東京都東部地区では、JR・総武線や東京メトロ・東西線、都営地下鉄・新宿線など東西に走る電車は多いが、南北を走る電車はほとんど無いからだ。例えば錦糸町や門前仲町といった区内の繁華街へは、電車を3本乗り継がなければならない。そのため、時間はかかるが都バスを使うことが多くなる。豊洲での生活を充実させるには都バスの活用が欠かせないが、複雑な路線図や所要時間などを把握するのは一苦労だ。
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バス乗り場はゆったりと作られているのだが、どのバスに乗ったらいいのか、どのぐらい時間がかかるのか、どういうルートで行くのかといった情報が乏しく、使いにくい。

(森下慎一)
1999年東京工業大学大学院修士課程修了
現在、出版社記者

オリンピックが変える都市の姿(2) 北京の変容

<街の骨格>
北京の特徴は言うまでもなく方形の城壁に囲まれたグリッド状の道路網である。中央に位置する紫禁城(故宮)から南にのびる軸線を中心として左右対称の道路網は、基本的にはここを首都とした明の時代から変わっていない。約20年前に訪れたときに買った北京市街地図(図1)を見るとその様子がわかる。しかし、今回訪れて購入した市街地図(図2)では、より広域をカバーしているが、グリッド状の道路網の上に重ねられた新たな環状の自動車道のパターンが目立つ。これは、地図の描き方だけの問題ではなく、市民が持つ北京の認知地図(心の中の地図)もこのように変わりつつあるように思われる。

図1 1986年の北京市街地図

図2 2007年の北京市街地図


<街の粒度(テクスチャー)>

写真1は、北京市都市計画展示館にある巨大な都市模型である。手前の競技施設のあるオリンピック公園から市の中心軸上にある紫禁城(故宮)を望む。その故宮まわりにある旧市街地は、細い路地(胡同)に接して低層の住宅(四合院と呼ばれるコートハウス)が並び、その高密で細かな粒のテクスチャーによって、まわりの大きな建物群とは一目で区別できる。しかし前述のように、この細かなテクスチャーのエリアは、高層建築が林立するゴツゴツしたエリアに急速に移行しつつある。

写真1 北京市都市計画展示館にある巨大な都市模型

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写真2 胡同(フートン):北京のグリッド状の街路は、大街(幅24歩)、小街(12歩)胡同(6歩)(1歩=約1.54m)の階層性をもって作られていた。この最も下位の胡同(フートン)は、公的な大通りと私的な住宅をつなぐ半公的なコミュニティ空間として住民の交流の場となっていた(縁台将棋を囲む住民)。

<ランドマーク>
北京市内はオリンピックに合わせて大規模な施設が多数建設中である。写真3は「鳥の巣」と呼ばれる異様な構造と形態を持つ国立競技場(ヘルツオーク&ド・ムーロン設計)である。また、市の中心にある天安門広場に面する人民大会堂の裏には、巨大な繭玉を半分に切って置いたような中国国家大劇場(ポール・アンドリュー設計)が作られている。ともに外国人建築家の設計だが、グリッド状の街区にぴったり納まった周りの建物に囲まれて、その曲面的な形状が際立ったコントラストを示し、非常に目立つランドマークになろうとしている。

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写真3 「鳥の巣」と呼ばれる国立競技場

(大野隆造)