オリンピックが変える都市の姿(1)

 先の東京都知事選で論点の一つとなった、2016年のオリンピック招致。無論その理由だけではないと思うが、それを推進する側を都民は支持した。たしかに、都市をドラスティックに改変しようとするとき、オリンピックという旗印は強力である。世界に向けた国民的行事という名目で推進される事業に異を唱えるのは難しい。いわば、オリンピック強権の発動である。たしかにある秩序を形成するために改造された過去の都市では、ある強権の発動が必要であった歴史がある。古くは中国の古都造営であり、近くはパリの都市計画である。「オリンピック」はかつての絶対君主が持っていた強権にかわって、「民主的」に選ばれた首長が強権を発動できる数少ないチャンスとも言える。

 この6月に北京に行く。40年あまり前の東京がそうであったように、高度成長期のひとつの到達点を示すイベントとしてのオリンピックが北京で来年夏に行われる。そのイベントは一過性のものではなく、それによって改造された都市の姿が良くも悪くもあとに長く残ることになる。東京の場合は、首都高速道路であり新幹線であるが、北京においても幾重にも環状自動車道が整備され、新幹線も敷設されつつある。圧倒的なスケールの首都高速道に覆われた日本橋の景観に象徴されるような事態は、北京でも見られる。その最も象徴的なものは、消えつつある胡同(フートン)、つまり細い路地の昔ながらの下町的雰囲気である。

 こういったオリンピックがもたらす街の変化を、昨年度の研究で抽出した街を読むキーワードを参照しつつ考えてみたい。
(大野隆造)


「都市の価値をはかる」平成18年度研究報告