六本木

六本木の価値をはかる(5)

■大きいことと小さいこと。古いこと新しいこと。
屋敷町であったことを思わせる古くて長い塀があちこちで見られる。そのまま学校になっていたり、宿泊施設、大使館などに敷地が転用されていてその区割りが残っている。これらは、敷地が大きくしかも建物も低いので近寄っても建物が見えないようなものも多い。このような塀に憧れて狭い敷地にも塀を廻らせてしまうのだろうか。
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かたや、町人の街を思わせる不思議な街区もあちこちに残っている。檜町の一角には、道幅が 90センチほどしかない路地が碁盤の目のように配されたエリアがある。日当りは悪そうではあったが、手入れがかなりきちんとされていて不健康な匂いは全くしなかった。このようなエリアが建築基準法の下で平均化されてしまうのはせつない。
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麻布台の一角には、アールヌーヴォー調の長屋もある。このあたりは、このような洋館がたくさん建っていたという。今では 2軒を残すのみだが、この地域の往時からの文化への関心を示すものではなかろうか。
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楽園と庭園
この界隈には立派な公園が多い。門などがそのまま残されていてかつて大きなお屋敷の庭であったことを想像させる。長らく手つかずだったこのエリアが再開発の対象になったのが、バブルを過ぎた安定した豊穣期であったおかげでか、再開発の足下も決して派手な緑化がされているわけではない。六本木を楽園化するもうひとつの要素が、これらの公園や緑地であるようにも思えた。ヒルズは毛利庭園を再生整備し、ミッドタウンはなんと高層棟そのものが日本庭園の石をイメージして配置されているという。
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■坂と崖と橋と
散策をしていて特に感じるのが坂の多さであろう。この地形の起伏の激しさも、建物がよりばらばらと乱立しているように見せる。以前考察した渋谷はひとつの谷に向かってすり鉢上になっていたが、ここでは細かい小山がいくつもあって、ぱっと向こう側が開けるような風景に行き当たる。饂飩坂、芋洗坂、寄席坂など、むかしの文化に由来する名前も往時を想像させて散策を楽しくさせている。谷が多いせいか寺と墓場もかなり多く見かける。それがまたひとつの大きな空地をつくりだし、その向こう側に都市の立面を見せてくれる。俗世とそのむこうにある楽園。
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複雑な地形をより複雑にしているのが、この高架である。これによって建物では作り出せないおおきなスケールでの水平的な連続感をつくりだしている。これは新たな地平線でもある。
建物間を結ぶ立体歩廊や橋も動線上でも立体的な地平をつくっており、自然の起伏によってそれらがさらに立体的に目につくことで、更なる起伏を生み出しているのがおもしろい。
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 六本木は思ったより「散歩」に適した街であるとも言える。夜にこそその価値があるという人もいるだろうが、生活空間としてかなり質が高いエリアであるといえる。繁華街というところで治安は多少劣るとしても、至るところに古い都市の遺産を垣間みることができ、気軽に休憩できる気持ちよい公園があちこちに点在する。坂や階段も多く、かなり起伏が激しい地形と乱立する建物群によって様々な画角で街並が切り取られ、変化に富んだ飽きない眺めを提供してくれる。その眺めに激しく入り込んでくる再開発によって生まれたタワービルの存在も、新宿や丸ノ内などのそれとは一線を画しており、かつて戦国時代の「城」よろしく支配的な視線で見下ろされている感すらある。
 そんな「城」たちも、方向音痴のくせに地図を持ち歩かない自分にとってはよい指標となり、どこにいるかわからないながらも大きく方向を逸れることなく歩くことができた。その反面、歩いた道筋や象徴的なそれらのタワービル以外の建物がまったく記憶に残らない。きっと目的地があったらたどり着くのにえらい時間を食ったことだろう。しかしながらその地形さながらに起伏の激しい都市空間であり、その都市の価値を理解するのはかなり難しい街であると感じた。体系だった軸を見出すには、もう少し議論が必要かもしれない。

(川上正倫)

六本木の価値をはかる(4)

■六本木にみる聖域と楽園のせめぎ合いによる街としての価値
六本木は自分の中では、割とつきあいが長い街だとは思うのだが、実は全く実態を把握できていない街のひとつである。昼間に歩き回っているだけでも、表装に表れてこない別の顔の存在があるに違いない空気だけは感じられる。しかし、夜に訪れたとしても表装は変われども、その真の顔に近づいている感覚は得られない。仕事場であり遊び場にしてこなかっただけということもあろうが、この街の空間的な特徴を説明しようにも言葉に詰まってしまう。

六本木に古くから住んでおり、本性を知り尽くしている方の言葉をお借りすれば、六本木は観光客や一見さんには近寄りがたい都市の「聖域」なのである。それもそんなに歴史がある聖域ではない。始まりは世間から白い目でみられた遊び人たちの欧米への憧れを実現する場に過ぎず、憧れへのあくなき探究が場に文化を呼び込み遊び人たちの「楽園」となった。世間の白い目から逃れるように楽園は表装を捨てて姿を隠した。世間の目から隠れた楽園は、いつしか経済の成長とともに育まれた“文化”という高い垣根をつくり鎖国をはじめた。闇の世界は、表装を持たないから空間よりも人の縁が水先案内人として重要になる。時代は変わって、世間の目はその文化や人の縁によって囲まれた楽園に憧れはじめる。しかしその時既に楽園は、“文化”と縁の薄い一般人の手の届かぬ聖域になったのだ、とするのは強引すぎるだろうか。

ところが、昨今の度重なる再開発は一般人の楽園を聖域に乱入させた。聖域に憧れていた人々が大量に流れ込んでいる。彼らは、人の縁でしか得られないはずの「情報」をもっており、無条件開国を要求している。ネットやタウン誌によって裸にされ、今や、かつては近づくことすら憚っていた人々から文字通り見下ろされるエリアとなっている。
しかし、本当に聖域は完全に開国されたのだろうか。エセ楽園に読み替えられ、テーマパークとしての表装を街の真の顔として公開しているだけのように見受けられる。街自体もそれに併せて化粧なおしし始めているようにも見える。果たして聖域は一般人の楽園と共存できるのか。そんな状況を改めて確かめるつもりで六本木エリアを練り歩いてみた。

■夜の街の昼の顔
ドンキホーテこそ頂部にレールを載せているが昼の顔は概して大人しい印象。チェーン店の流入により多少わかりやすくなってきている。ガイドブックを片手にヒルズやミッドタウンから流入してくる人々からすると、「六本木大したことないじゃん」の印象が強いのではなかろうか。ハワイのワイキキに行って、「なんだきれいな海ってこんなもんか」と思っているのに近いか。きれいな海には安易には近づけないのだ。外来者は目立つものの、午前中からお昼時にかけての繁華街の姿は、渋谷・銀座などとは比較にならないくらい人が少ない。南北線や大江戸線によって陸の孤島からは解放され、再開発によって門戸は開かれたが、まだ夜の限定的なアクティビティに頼った(しかもそれで充分成立つ)R指定の街のようだ。
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■振り返ると奴がいる!
かなりしつこくあちこちからヒルズ、ミッドタウン、泉ガーデンのひょっこり覘く姿を意識してみた。城下町を見守る天守閣のように、どこからでもどれかは見える。見えるということによって逆にその領域下に取り込まれているような感覚になった。ヒルズが見えていたところからミッドタウンが見えるところに移ると違う国に来たかのように。
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そんな中、東京タワーが見えると、ちょっと懐かしい仲間を見つけて「久しぶり!」と声をかけたい気持ちになった。
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(川上正倫)

六本木の価値をはかる(3):再開発トライアングルを見る

再開発における民の志と公の怠慢
 既に多くの人が述べているが、この種の再開発は、床面積を可能な限り稼ぎ収益を上げることが至上命題になっている。したがって、高層のビル群を抱え、オフィス、商業、美術館などといった複合用途のコンプレックスシティを作らなければならない。人を集め、お金を落としてもらなければならないのだ。そのことの是非については他に譲るとするが、そのような厳しい制約の中で、それぞれに可能な社会性・公益性を追求していることは認めるべきだと思う。
 ヒルズでは、多くの地権者を1民間業者が束ね、住宅のみならず公道までも整備しているし、ミッドタウンでは誰もが立ち寄れる広大な緑地を整備した。いわば身を削って、周囲のために提供している訳である(もちろん、その見返りとして、容積率緩和や補助金交付があるのだが)。
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六本木けやき坂通りは、民間が整備した公道の初事例。東京タワーを眺めるいい軸線を取っている。
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ミッドタウンの緑地率は60%(4ha)。都心で空の広さを感じられる場所になっている。前面歩道も大きくセットバックして憩いの場所になっている。

 一方、公の象徴である、国立新美術館はどうだろう?ファサードは美しいと思うし、収蔵庫を持たないギャラリーとしての運営手法もありうるものだろう。しかし、それは周辺に対して開かれているだろうか?何か身を削って提供しているだろうか?もはや、フェンスで囲って威厳を誇示する時代ではないと思うのだが。設計した黒川氏は「森の中の美術館」というのだが、見た目には塀の中の美術館だろう。
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 まず、美術館正門から向かいの歩道へまっすぐ渡る横断歩道がない。それでも渡る人が多いのだろう、横断禁止の幕と、人々を迂回路へ誘導するためにガードマン配置されている。ガードマンを雇う金があるなら、横断歩道をつけるぐらいできると思うのだが。公の本業である道路整備ですらこの状態だ。
また、ミッドタウンから国立新美術館へ向かう道は、歩道が狭く歩きにくい。そこに向かう人を出迎える、高揚感を演出するという発想など全くない。管理が違うと言ってしまえばそれまでだが、そこを何とかするべきではないだろうか。
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六本木はどこへ向かうのか?
 六本木の街を何度も歩いた感想は、結局のところ、これからこの街はどちらの方向に進むのだろう?という疑問であった。大規模再開発の宿命として、オフィス、住宅、美術館、商業施設、ホテルなどなどを複合させてはみたものの、それ故に街として目指す方向性が分かりにくくなってしまっている。もちろん、再開発によって、道路やオープンスペースなど、従来なかったものが提供されたことは評価に値する。しかし、そもそも、この街をどうするための再開発だったのかがどうも見えてこない。
 歓楽街であった六本木を、働く街にしたいのか?買い物の街にしたいのか?それとも、アートの街にしたいのか?ミッドタウンは、キャンティにセレブが集った70年代の古き良き六本木に戻したいと言うのだが。。。個人的には、どの方向性も、街の骨格とはずれているこれら再開発の位置取りと同様、何かずれているような気がしてならない。
 思えば、都心に郊外を作りたかった「豊洲」、三菱のブランド価値を高めたかった「丸の内」は、そのコンセプトと空間づくりの手法が明快に一致していた。六本木がこれからどう変化し、人々にどう認知されていくのか、その答えを知るにはもう少し観察を続けるしかないのだろう。


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街の骨格とずれたアートトライアングルは、人々の心にトライアングルを認知させることはできない。今後予定されている六本木一丁目の再開発も、骨格とずれていることに変わりはない。

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トライアングルに囲まれた地域は六本木とは思えないような古い住宅街で、ここに何かが起きる予感は今のところしない。

(添田昌志)

六本木の価値をはかる(2):再開発トライアングルを見る

やっぱり分かりにくいヒルズ
 六本木ヒルズは分かりにくい。私の知る限り、近年建設された商業ビルでここまで分かりにくい例は思いつかない。このことは計画段階でかなり予想されていたと思われるのだが、どうして改善されなかったのだろうか。各建物の設計を外国人に分離発注したしわ寄せなのか。しかし、全体の建物レイアウトは森ビルが計画しているので、そもそも、分かりにくくすること自体がコンセプトだったのか。色々と資料を調べてはみたものの、明確にそれについて述べているものは結局見当たらなかった。きっと、「都市とは迷宮である」というようなコンセプトを持って計画されたに違いないのだが、「迷宮」であることが果たして全ての人に受け入れられたとは思えないのである。
 何を狙っていたのかは釈然としないのだが、一応専門家の端くれとして、以下に、この建物が分かりにくい原因を整理してみたい。

まず、建物を分かりやすくするためには以下の点に配慮する必要がある。
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 これらは、上の項目ほどより重要で、しかも計画の初期段階から配慮しておくべきものである。インフォメーションは後で付加することが可能であるが、あくまでも補助的手段である。空間の形状がシンプルで見通しが利けば、サイン情報に頼る必要などない。それに対して、ヒルズでは、最も重要な1.~4.の要素が全て欠けており、いくらサイン情報を付加しても効き目がなく、どうしようもない空間となってしまっている。

 まず全体構成が分かりにくい。曰く、森タワーを中心とした「円環構造」を取っているらしいのだが、「環」が見えない。同じく「円環構造」のディズニーランドとは決定的に異なる。建物の面白さを高めるために「迷宮」を計画するということを一概に否定したくはない。しかし、その場合でも「骨格」を明確にすることで、迷った場合でもここまで戻れば大丈夫というような場所を担保し、人々の安心感を確保することは不可欠である。
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六本木ヒルズ
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ディズニーランド

 分かりやすいかどうかはアプローチとエントランスでほぼ決まるといっても過言ではない。そこで全体構成が見渡せることにより、定位(自分がどこにいるかの把握)ができ、その先のプランが立てられるからである。
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地下鉄からアプローチして正面に見えるのはオフィス棟の入口。しかも、入口を入るまではそこがオフィス棟とは気付かない。それ以外へはどうやって行けばいいのだろう?
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オフィス棟手前、右手に商業棟の入口が見えているのだが、「WESTWALK」だけでは何のことやら。なんとか商業棟の中に入ってそこでまた愕然。お店はどこにあるの?上の階へはどうやって行けばいいの?

 こうなると、なんとか分かりやすくするために、サインだ看板だを、やたらとつけまくることになる。しかし、それは情報過多の混乱に陥れるだけになってしまう。やはり「分かりにくい」という声が多いのだろう。分厚いガイドブックが山のように置かれているが、この地図を解読してお店にたどり着ける人はどれくらいいるだろう?図中の「簡単にわかります」という言葉が空しく響く。

 まさかその複雑な権利関係の変換を空間で表現したかった訳ではないだろうが、自身の商売のためにも、建物の分かりやすさにはもう少し配慮するべきだった。残念ながら、できてから気付いた時には手遅れだったという典型的な事例と言える。

対するミッドタウンは・・・?
 ミッドタウンの見学ツアーに参加して、ガイドの言葉に思わず吹き出してしまった。「ミッドタウンの特徴は分かりやすいことです。」明らかにヒルズを意識したその言葉に偽りはないと思う。しかし、それって胸を張って言うほどのことだろうか。。。
 とは言え、ヒルズを反面教師に、分かりやすさには最大限の注意を払っていることは見て取れる。まず、決定的にヒルズと異なるのは、空間構成が非常にシンプルなことだ。また、どの入口からも、吹き抜けを通して全体が見渡せるようになっている。さらに、上下階への動線も分かりやすい場所(見える場所)に配置されている。上下階は同じ配置構成で理解・類推しやすい。この辺りの手法は、郊外の大型ショッピングモールで得たノウハウなのだろう。
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モールには4方向に窓が配置されており、外部の景色を眺められる。これにより、建物内で自分がどちらの方向に向いているのか、方向感を保持することができる。
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店のサインも統一して、通りから認識できるように掲出。一方で、店の間口は均等割りで単調。郊外のショッピングモールを連想させ、高級感には欠ける危惧もある。
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 分かりやすさを可能な限り追求しているミッドタウンは好感を持てるが、同時に、やや単調でどこかで見た空間という印象も拭えない。一度行けば大体の様子は分かってしまうので、リピーターを取り込めるのかといった危惧もある。一定の分かりやすさを確保しつつ、意外性や発見の楽しみも提供すること、つまり「アンビギュアス」な空間を作ることはなかなか難しい。

(添田昌志)

六本木の価値をはかる(1)超高層建築から読み解く都市

乱立する超高層建築
 用賀方面から六本木の方へ高速道路を走ってくると、そのうちに前方に六本木ヒルズが見えはじめ、その横を横切るまで延々とその巨大な超高層建築を正面に見続けるという場面に出くわす。その悠然と立つ姿を見続けていると何か、そのビルが作り出す領域の中に吸い込まれていくような感覚を覚える。同じように、普段何気なく歩いている場所から超高層建築が見えるのを発見した時、遠く離れた超高層建築とその場所がつながったように感じることがある。みなさんも超高層建築を見たときそのように感じたことがないだろうか。
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高速道路から見える六本木ヒルズ
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建設中の東京タワー

「超高層建築が見える場所マップ」
 40~50年前には高い建物といえば東京タワーぐらいしかなかった東京も、現在は至るところに超高層建築が乱立し、現在でも異常な速度で増え続けている。その中でも六本木は現在、六本木ヒルズ、泉ガーデン、東京ミッドタウンと2000年以降に東京に建設された200m超の超高層ビル8本のうちの3本が林立するという、現在東京でもっとも成長著しい地域のうちのひとつとなっている。それに伴い六本木を歩いていて感じられる都市の認識も大きく変わってきたように思う。
 そこでそのような都市の認識を読み解くために、実際に街に出て、六本木という街から超高層建築がどうみえているのかを身を持って経験してみることにした。具体的には六本木の3本の超高層建築の周辺を、実際に地図を片手に自転車でくまなく走りまわり、超高層建築が見えた場所をその地図に記入していくことで「超高層建築が見える場所マップ」を作成してみた。一つの超高層建築の周囲を見て回るのに自転車で走った距離は優に50kmを越えたが、そのような調査を続けていくと、段々とその超高層建築やその周辺の地域の性格の違いを、「頭」というよりは「体」で、実感できるようになっていた。
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「六本木ヒルズが見える場所マップ」

六本木に建つ超高層建築の見え方の違い
 冒頭にもある六本木ヒルズはその大きな立面も手伝ってか、六本木の街からとてもよく見える印象が残る。作成した地図を確認してみると正面に六本木ヒルズを見続けることができる場面が多くあり、これは六本木ヒルズを中心に放射状に伸びる道路が数多くあることが関係していると考えられる。逆に216mと六本木ヒルズと遜色ない高さを誇る泉ガーデンの印象はそれとは対象的であった。建物の周囲を回ってみてもほとんど見かけることができないし、見かけてもビルとビルの隙間に埋もれるようにちょこんと上の部分しか見えていないことが多い。これは放射状の道路があまりないことや坂の途中に建っていることに加えて、虎ノ門などのオフィス街に近いため、道路と泉ガーデンの間に空き地が少なく、ビルがみっちり林立していることも理由の一つと考えられる。
 上記の二つに対し、近年竣工した東京ミッドタウンの印象はまた一味違っている。たしかに道路としては泉ガーデンと同様に周囲に放射状の道があまりないせいか、街のなかで見かけることは少ない。しかし、東京ミッドタウンの場合、周辺に青山墓地や檜町公園などがあり、そのおおきな空地越しに建物全体が見えるために、都市の中に建っているということをあまり感じさせない印象がある。
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道路の正面に見える六本木ヒルズ
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ビルの隙間から見える泉ガーデン
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青山墓地越しに見える東京ミッドタウン

 このように、同じような規模の超高層建築もその建っている場所や周辺の環境によって見え方はさまざまである。このことはつまり、我々が普段街の中で超高層建築を見ることで、同時にその見え方から無意識にその都市環境について考えさせられているともいえる。六本木に林立した超高層建築の多様な見え方は、道路の形状や建物の密度、大きな空地など、さまざまな都市の要素がこの地域にあふれているということをあらためて教えてくれているのではないだろうか。

(伊庭野大輔)
2006年 東京工業大学建築学専攻修士課程修了 
現在、日建設計勤務

研究中間報告Podcast~六本木編~

「都市の価値をはかる」研究中間報告Podcast~六本木編~

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