豊洲

豊洲の価値をはかる(8)豊洲のまとめ

街の基盤の成り立ちが似たオランダに学ぶ
 フィールドサーベイの報告の中で、繰り返し述べられている豊洲の特徴は、「平坦なランドスケープ」、「単調なプラン」そして「スカスカ感」である。開発途上であることを割り引いてみても、日本の他の場所では体験することの少ないこの印象は、やはり埋立地を基盤としているその出自にありそうである。内陸での開発であれば、山や谷といった地形あるいは既存の集落や道路の影響を受けざるを得ないが、土地そのものを作り、何の手がかりもない新しいキャンバスの上に計画する埋立地の場合は事情が違う。豊洲の場合は真新しいキャンバスではなく再利用されたものだが、一度完全に更地にされているので同様である。
 このような、土地自体を作ることからはじめる開発のお手本は、国土の約4分の1が干拓地であるオランダではないだろうか。その国名ネーデルランドは“低い土地”という意味だが、その平坦なランドスケープと水面が身近に常に存在する場所の印象は埋立地のそれと似ている。オランダの建築事情に詳しい川上正倫氏によると、「オランダでは単調な背景(コンテクスト)に対して、如何にその単調な秩序を乱すかということに力点が置かれている」そうである。
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東京湾の埋立地(左手前が豊洲)
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オランダのランドスケープ

単調な骨格や景観を乱すことの価値
 最近オランダで行われた埋立地の開発計画のコンペでは、人工島の形状自体も計画の対象で自由な表現が求められ、実施することになった案の道路パターンは不思議な形をしている。これに対して日本では、変化に富む地形や過去の遺産(負のものも含めて)を背景に、如何にそれらを調整して秩序を与えるかが、計画・設計の主眼となっている。つまり、建築家が意図する方向のベクトルが180度違うのである。
 ロッテルダムにある集合住宅キューブ・ハウスは、日本ではとても受け入れられそうにない奇想天外な形態で人目を引くが、オランダ政府観光局がホームページで紹介しているところを見ると、好感を持たれているようである。埋立地の単調な骨格や景観を乱すことによって生まれる価値についてオランダに学ぶことが少なくない。
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アムステルダム近郊のKNSM島。かつては埠頭と倉庫街だった場所(写真左)を集合住宅が建ち並ぶ住居地域(写真右)に再開発を行っている。
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キューブ・ハウス(ロッテルダム)

(大野隆造)

豊洲の価値をはかる(7)再開発がもたらすもの-3

見上げてみたり見下ろしてみたりの価値
 タワーマンションが林立する姿は壮観なものであろう。新宿の高層ホテルに住んでいるような都会を感じるセッティングである。六本木ヒルズは周囲の低さから大名気分を味わうものだとすると、豊洲はもっと日常に近い都会感ではなかろうか。
 1880年代都市への密集の解決策としてシカゴに建てられたホーム・インシュランス・ビルが、近代高層ビルの祖と言われる。世界初の超高層は、1900年に建てられたニューヨークのパーク・ロー・ビルだ。日本では1962年に31mの高さ規制が撤廃され、1968年日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルが完成する。日本初の高層タワーマンションは1971年の19階建て三田綱町パーク・マンションであり、故丹下健三もこの建物に居を構えていた。
 豊洲では30階を超えるタワーマンションも現れてきている。1棟1000戸近く、約22000人の居住を想定している。戸数がもたらすスケールメリットとしての共有空間の充実はそれだけでも価値といえる。そして、さすがに高層階からの眺めは素晴らしい。かつての浅草陵雲閣、愛宕山の展望台、現代の森タワー展望台に至るまで人々を魅了する「高さ」を自分の住戸で得られる可能性が広がった。個の楽しみと併行して外来者は、タワーが並び立つ景観を楽しみたい。新宿エリアとは異なり住宅地というスケールは、オフィス空間とは異なる緩やかな時間の流れのようなものが感じられ、見上げると人々の日常の積層が塔となっているだろう。
 しかし、立ちつつあるタワーはどうも単調でよろしくない。今となっては時すでに遅しであるが、平らな埋立地の新たなる地平線としてのスカイラインについて、もっと統合的な協議がなされるべきである。
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150mという高さに住む
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似たような見上げ

リゾートであることの価値
 「景観・環境・防犯・防災・育児」。工業地域がもつ対局のイメージコンセプトを掲げる豊洲一帯は、お台場とつながるリゾートという顔も得ようと努力がなされている。東京ディズニーリゾートをはじめ、「リゾート」という言葉が流行のようである。
 リゾートとは、なんなのか。海が近ければいいというわけではないだろう。広辞苑で引っ張ると「保養地・行楽地」とある。リゾートたるためには、少なくとも郊外型店舗の構成は反目してしまっている。ららぽーと外部のドック周辺はたしかにリゾート的構成をとっているが、晴海通り以西にその様子はまったく伝わっていない。晴海通りの幅員の広さはもっての他だとしても、太陽のもと、楽しく散歩するような界隈ではない。せっかく十分広い歩道を確保しているのだから、そこに向かってカフェやバー、ちょっと立ち寄れて日常からの開放を促してくれる施設があってもよい。
 上空に日常、足元にはリゾートが広がり、それこそ東京都心という密集集約のスケールメリットたる都市空間が形成できるというものであるのに。
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ららぽーとの中はキッズであふれている
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イベント広場もありリゾート気分を盛り上げる

(川上正倫)

豊洲の価値をはかる(6)再開発がもたらすもの-2

埋立てであることの価値
 工業地域であった湾岸地帯を住居地域に変換する。ドーナツ化しつつある東京の住宅事情に対し、都心居住の可能性拡大は魅力的な話である。類似する再開発として、オランダ・アムステルダムの湾岸開発、中でもアイ・バーグという人工島の開発を思い出す。最初に行われたのが、アムス中心部との関係性、島の形や道路網、交通網の形状の整理だったというのだからおもしろい。
 日本だと道路は御上から与えられる。しかも、その地に適した提案が行なわれるとは限らない。また、建築基準法は道路がなければ建築してはいけないという。そういった制約の中で、しかも江戸の街を踏襲した東京の街路再構成の難しさは理解できる。しかし、豊洲は埋立地でありリセットもかけているのだ。なぜ、ディベロッパーや行政が手を組んで新たな街を再構成できなかったのだろう。道路の分断による不幸は汐留で経験済みのはずである。六本木ヒルズは逆をやって城を築いたではないか。
 豊洲はもう工業地域ではないのに、なぜ晴海通りをあそこまで拡幅したのか。市場ができたら住宅地を分断する大通りにはトラックが押し寄せるに違いない。一方、歩道の広さは歩きやすく、埋立地ならではの平らさは自転車やベビーカーにもやさしい。しかし、地形的特徴のなさが逆に道路をつまらなくしているのも事実だ。道路によって多少起伏のある地形を作り出すぐらいの新たなる価値評価がこの埋立て島にはあるべきだと思う。
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駐車場、駐車場タワーと壁のようなマンション
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同一の設計なのにめちゃくちゃな配置計画

群島の中の群島の価値
 道路のつまらなさを助長しているのが、郊外のショッピングセンター形式にならった土地の囲い込みである。設置性と一時性を決め込んで上空権を売り渡すのは結構だが、悲惨な建物によって全体のスカイラインがめちゃくちゃになってしまった。郊外の幹線道路に対する集約性はここでは無縁なはずである。
 タワーマンションが生え揃う頃には島の中に浮かぶ群島よろしく、事業者ごとの独立したエリアが浮き彫りになってくるだろう。道路の分断性の強さが豊洲内部にも群島を作り出そうとしているのだ。これが渋谷と同じく住み分けに発展するか、各島が鎖国をし始めるのかで街全体の価値は大きく変わるだろう。
 とにかく、全体計画に先んずる経済戦略が街全体を支配し、個々のディベロッパーの独立した状態が目立つ。各街区が少しでも開放に向かえば、界隈が形成できかえって全体の経済的活気につながると思うのだが。浜辺がたくさんあるのも商売にとっても利があるはずである。そういう中で、群島である豊洲の中に新たな群島を築くのではなく、豊洲、晴海、辰巳、東雲、台場といった東京湾埋立て群島のそれぞれがキャラ立ちすると面白い。
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広すぎる晴海通りと各々で閉じている敷地
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ゆりかもめ終点とその周囲の島状の塊

豊洲の価値をはかる(5)再開発がもたらすもの-1

リセットの価値、記憶の価値
 ゆりかもめの寸断されたレールを見てここが東京湾岸の終着かと実感する。
 豊洲は1930年代前半に関東大震災の瓦礫処理を目的とした埋め立てを完了し、以後、工業地域として成長した。しかし現在は、工業地域だった雰囲気は感じられない。新たなタワーマンションが建設され、都心に最も近いベッドタウンを形成しつつある。かつてから存する公団のアパートの地域には工業地にある集合住宅の匂いが感じられるが、進行中の再開発は過去からの完全なるリセットとなることは確実である。不動産広告もリセットをイメージさせることに終始し、コンセプトとして「自然」、「子育て」などの郊外的キーワードを用いている。都心エリアでありながらリゾート性を持ち、かつ安全で…。土地の価値に縛られる農耕民族・日本人にとって、埋め立て地や工業地域の記憶はマイナスでしかないのだろうか。
 さらにトドメが、負となる可能性を持つ過去を賛美することなのかもしれない。ららぽーとの舟形の形状や敷地内外部空間におけるドック跡の活用。アートという名の下に豊洲中に散りばめられる造船所にまつわるオブジェたち。痛々しくもあるそのような努力によってリセットプロセスは完了する。こうして東京の再開発地域を訪れると等しく感じる薄っぺらな新しさが作られているのだが、少々無作為に立ち上がるタワーマンションを見るにつけ、これが新しい記憶の種となるのか不安を感じる。

 日本人は、明治維新、太平洋戦争後と概念のリセットには長けている民族であるが、まさか、ファミコン世代の設計者や開発者はゲーム感覚で飽きたらリセットすればよいと思っていやしないか。開発規模が大きければ未来像への責任感のようなものを持つと思うのだが、大規模なリセットによって始まったこの街の未来像の責任の所在が不明瞭であるのが残念である。
 公団14階からの眺めは素晴らしいが、運河や工業地帯に対する負の意識が、今見ると理解に苦しむ配置構成となり、その隣の新築マンションは現在の価値観にあった方向を向いている。結局30年前から本質に変化はなく、再びリセットの憂き目にあうことは容易に想像できてしまう。
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港湾施設と新設の高層マンション
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アートとしての碇

(川上正倫)

豊洲の価値をはかる(4)街のスタイル-2

■評価3―何のための歩道?
 人が過ごすための場となっている表参道の歩道や、通路としての機能に徹している秋葉原の歩道を見た目で豊洲の歩道を見ると、なんとも中途半端である。とりあえず自動車用道路は何車線も確保した。歩道もゆったり取らねばバランスが悪い、車にやさしいなら人にも、といった風情だ。休日ともなれば、歩道を多くの人が行き交うのか。通路として、朝夕に駅やバス停に通う人の流れと、昼間や休日に商業施設に行く人の流れくらいか。しかも、歩いても別に楽しく感じないのっぺりした作りなのだから。
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左:写真を撮っている歩道を後方に進めば、ららぽーとがある。街路樹だけはたっぷりと植えられている。この街路樹が大きくなれば、それなりに立派な景観にはなるだろうが‥‥
右:さすがに、いたるところにガイドマップがあって、だいたい迷わずに歩ける。しかし、普通の都市部の歩道の倍はある歩道

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歩いて楽しい商店街はどこに?と思ったら、ショッピングモールの中にあったのだった。いま流行のやり方とはいえ、街路の無機質さとシンクロする無機質な商店街。縁日のようなショップでさえ、嘘っぽさありあり。

■評価4-「島」の交通は課題
 住民が一気に増え、しかも「島」であることから、交通が将来の大問題になることはすぐわかる。自転車は、島のなかだけを回ることを想定しているのか。バスは、増やせるのか。地下鉄は、利用客をさばききれるのか。「足」は都市開発の際に齟齬が起きやすいが、どの程度の想定をしているのだろうか。
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左:とにかく自転車。エコないまどきの人が住んでいるためではないだろうが、たいへんな自転車の量だ。広大な歩道は、自転車の人が多いことを想定していたのか。
右:広大なバスターミナル。路線はこれから増やすことを想定しているのか。だだっぴろいだけでは、交通の便が使いやすくなるわけではないのだが。

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行き先を見ると、「ここは都心なんだ」と感じさせる。東京駅八重洲口行きと丸の内口行きもある。乗ってみたら、八重洲口まで30分以上もかかってしまった。

(辰巳 渚)


豊洲の価値をはかる(3)街のスタイル-1

■ニュー下町ファミリーの街
 豊洲は、新しい街だ。街はみごとに格子状であり、道路幅は広く、街路樹は規則正しく植えられ、輝くビルが立ち並ぶ。それなのに、歩いてみるとそこはかとなく庶民っぽい。「勝ち組」の六本木ヒルズとは違うだろう、とは当然ながら、東京山の手の新興住宅地にあるような、中流気取りっぽさはない。生活密着型、東京下町リアルライフの風情が、作りかけのほやほや状態であってさえただよう。
 ベビーカーを引き引き、「今まで家事をしていました」というスタイルで歩く若い夫婦。ショッピングセンターの自転車の山。自動車ではなく、ベビーカーと自転車の街なのだ。カフェテラスには、若いお母さんたちがおしゃべりしながら子どもを遊ばせている。ららぽーとは、巨大な井戸端だ。人から見られることを、ほとんど意識していない場なのだ。
 この下町感は、地場が作り出すものだろう。東京の西側にはなくて、東側にある土地の効力だ。「銀座まで自転車で15分」も、おしゃれさではなく、「銀座に近い、新しい下町(町人の住む町・その町で暮らす人が住む町)」であることを想起させる。しかし、今の庶民っぽさ=ニュー下町ファミリーを思わせるからといって、ここでリアリティある暮らしが営まれていると認められるわけではない。嘘っぽさ、作りこまれた自然さは、この層の特徴とも言える。


■評価1―住む人のための街

 あたりまえかもしれないが、豊洲はマンション群をメインにした再開発の街だと認識した。高層マンションと、住む人のための商業施設でできているのだ。水曜昼過ぎにフィールドワークしたこともあり、行き場がないと言われている若い母親と子どもたちが、かなりの割合で見られた。
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左:ららぽーと入り口。豊洲を歩いている人 ―子連れの主婦、おひとり様の女性、ビジネスマンの黄金の取り合わせ。
右:遠くから来たというよりは、近くに住んでいる人が家族連れで歩いている印象。平日の昼間なのに、家族連れ(夫婦+ベビー)が多いことも特徴。
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左は旧市街?との境目にあるショッピングモール。右はららぽーと。テナントを見ると、いまどきの一般庶民のライフスタイルそのもの。私はこのラインナップから『オレンジページ』『すてきな奥さん』などの20代主婦向け雑誌の購買層をイメージした。

■評価2―作りこまれたナチュラル
 とにかく緑を増やそうと躍起になっている街だ。緑のない街に暮らす下町には、軒下園芸という伝統があるが、この下町では再開発の勢いに任せて木を植え続けている。しかしその「緑豊かな」街並みも、作りこまれたナチュラルさであり、これこそがいまの若い世代向けの住宅街であることの特徴だと思う。
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左:そう考えていたら、ありました、ナチュラルローソン
右:旧市街?に入ったとたんセブンイレブン。この雑然とした感じが、嬉しくもまたうっとうしくも感じた。でも住民に使い込まれている感じがある。

(辰巳 渚)

豊洲の価値をはかる(2) 住民の使い勝手-2

■開発地や運河による開放感も、明日にはまちが変わる可能性
 豊洲地区はもともと埋立地だったので、幅の広い運河で囲まれている。それが、都心からの距離的な近さにもかかわらず、緑地や親水公園などの自然環境は充実しているといったメリットを生んでいる。
 一方、周囲を運河で囲まれていることのために生じるデメリットもある。その一つは、まちに入るには必ず橋を渡らなければならないことだ。例えば、深川第五中学校の裏から辰巳は運河を挟んで対岸に見える。ところが、辰巳まで行くには見えている方角と逆に向かわなければならない。一度、晴海通りまで出てから橋を渡って東雲に入り、橋をもう一本、渡って、ようやくたどり着く。
 東雲や枝川など隣街に住んでいて、通勤で豊洲駅を使う場合、毎日、橋を渡る。高い建物が多く、道路が広いので、雨風をさえぎる建物が近くにない。春や秋などの季節は川風が心地よいが、冬は寒い。雨の日は吹き付ける雨で駅に着いたときには、びしょ濡れとなっていることも少なくない。
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豊洲と東雲を結ぶ橋。道幅も広く見晴らしがいいが、雨風は強い。
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橋は上り坂になっており、自転車でわたるには一苦労。

 また、豊洲は開発中の敷地が多く、建物周辺にも空地が広く取られており、さらに、幹線道路も広いので、遠くまで見通すことができる。しかし、遠くの建物が見えることもデメリットになる。豊洲の駅を出ると、歩いて20分はかかる東雲に建つ高層マンションまで見通すことができる。逆の方角には日本ユニシス本社も見えるが、徒歩で15分はかかる。その結果、歩いて移動するときには、目的地まで予想以上に遠く感じる。新宿などの高層ビル街で感じる「見えているのにたどり着かない」という感じが豊洲にもある。
 さらに付け加えると、開発中の敷地にはいずれ建物が建つ。開発地が多いということはこの先、どういったまち並みになるのかわからないという不確定要素だ。今よりもまち歩きが楽しくなる施設や空間ができる期待感はあるが、逆に、眺望や開放感などの良い点が、ある日、突然、無くなってしまう危惧もある。
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近くに見えても、歩いて15分はかかる

(森下慎一)

豊洲の価値をはかる(1) 住民の使い勝手-1

 豊洲の隣街、東雲に2005年4月から住んでいる。職場まで東京メトロ有楽町線で1本という交通の便を考えて、豊洲を最寄り駅に選んだ。ここでは、住まい手の視点から、豊洲について“まちの使い勝手”を見る。

■都心部からは10分だが、江東区内の移動は不便

 豊洲地区に住居を移す動機のひとつは都心からのアクセスの良さ。実際、東京メトロ有楽町線を使えば、有楽町駅から7分で豊洲駅までたどり着く。ほかの主要駅までは東京駅が15分、品川駅が20分、渋谷駅と新宿駅が25分、池袋駅でも30分で行ける。乗り換えの回数が多くても1回で済むのは便利だ。
 都心からの距離的な近さのイメージと比べると、実は終電車の時間が思いのほか早い。夜遅くまで仕事をしたり、繁華街で飲み歩いたりすることが多い人には不便だ。前出の主要駅からはそれぞれ24時には電車に乗って出発しなければならない。
 とはいっても、有楽町駅から豊洲は、タクシーの深夜料金が2000円もかからない距離にある。JR山手線は1時近くまで運行しているので、現実的には主要駅を24時30分くらいに出発して、有楽町駅からタクシーで帰宅というケースも多い。
  一方、同じ江東区内への移動はそれほど便が良くない。江東区や江戸川区といった東京都東部地区では、JR・総武線や東京メトロ・東西線、都営地下鉄・新宿線など東西に走る電車は多いが、南北を走る電車はほとんど無いからだ。例えば錦糸町や門前仲町といった区内の繁華街へは、電車を3本乗り継がなければならない。そのため、時間はかかるが都バスを使うことが多くなる。豊洲での生活を充実させるには都バスの活用が欠かせないが、複雑な路線図や所要時間などを把握するのは一苦労だ。
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バス乗り場はゆったりと作られているのだが、どのバスに乗ったらいいのか、どのぐらい時間がかかるのか、どういうルートで行くのかといった情報が乏しく、使いにくい。

(森下慎一)
1999年東京工業大学大学院修士課程修了
現在、出版社記者

研究中間報告Podcast~豊洲編~

「都市の価値をはかる」研究中間報告Podcast~豊洲編~

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豊洲の概要

 今年度(2007年)の「都市の価値をはかる」では、東京の3つの街を取り上げて、フィールドサーベイを行う。第一弾は豊洲である。

■工業の街から、住・商・産の街へ
 豊洲は、東京湾南部に位置する埋立地として大正後期より埋め立てが進められた。関東大震災後、倒壊した建物の瓦礫などの物資流入のため更に埋立てが続き、戦時中は軍の施設として利用された。昭和10年代に石川島造船所工場および作業員の宿舎等が完成、昭和30年代に東京ガス豊洲工場や新東京火力発電所が操業を開始した。昭和の時代の湾岸工業地帯において重要な役割を担ってきたのである。
 しかし、時が移り昭和から平成になると、これらの工場が相次いで閉鎖される。これに伴い、豊洲地区の北側半分にあたる豊洲2、3丁目に広がるこれらの工場跡地に、オフィスビルや高層マンション、大規模商業施設を建設するという開発計画が、民間主導で策定される。そして、2006年度に、「ららぽーと」や「芝浦工業大学」などの主要な施設が竣工し、新たな街開きが行われた。また、地区の南半分についても、流通倉庫などが建てこんだ準工業地帯であったが、北側の開発計画に合わせるように、それらが閉鎖され、大規模なマンションに順次置き換わっていった。
 近年、東京の湾岸地区では、倉庫や工場の跡地に大規模な高層マンションが多数建設されているが、都心近郊でここまで大規模に用途転用、再開発が行われたものはなく、大変興味深い事例と言える。東京都が作成したまちづくり方針の中でも、「今後のウォーターフロント開発のモデル」となる地域であると謳われている。
 振り返ると、昭和40年代には当時まだ珍しいスポーツクラブが建設され、日本最初のコンビニができたのもこの地であった。そういう意味で、豊洲は新しいものを取り入れる気風を持った場所なのかもしれない。この地から見えてくる新しい「都市の価値」とは何なのだろうか?この研究を通して検証してみたい。
(添田昌志)
 
豊洲2・3丁目開発計画
「豊洲1~3丁目地区まちづくり方針」の策定について(東京都都市整備局)

豊洲の概要

 今年度(2007年)の「都市の価値をはかる」では、東京の3つの街を取り上げて、フィールドサーベイを行う。第一弾は豊洲である。

■工業の街から、住・商・産の街へ
 豊洲は、東京湾南部に位置する埋立地として大正後期より埋め立てが進められた。関東大震災後、倒壊した建物の瓦礫などの物資流入のため更に埋立てが続き、戦時中は軍の施設として利用された。昭和10年代に石川島造船所工場および作業員の宿舎等が完成、昭和30年代に東京ガス豊洲工場や新東京火力発電所が操業を開始した。昭和の時代の湾岸工業地帯において重要な役割を担ってきたのである。
 しかし、時が移り昭和から平成になると、これらの工場が相次いで閉鎖される。これに伴い、豊洲地区の北側半分にあたる豊洲2、3丁目に広がるこれらの工場跡地に、オフィスビルや高層マンション、大規模商業施設を建設するという開発計画が、民間主導で策定される。そして、2006年度に、「ららぽーと」や「芝浦工業大学」などの主要な施設が竣工し、新たな街開きが行われた。また、地区の南半分についても、流通倉庫などが建てこんだ準工業地帯であったが、北側の開発計画に合わせるように、それらが閉鎖され、大規模なマンションに順次置き換わっていった。
 近年、東京の湾岸地区では、倉庫や工場の跡地に大規模な高層マンションが多数建設されているが、都心近郊でここまで大規模に用途転用、再開発が行われたものはなく、大変興味深い事例と言える。東京都が作成したまちづくり方針の中でも、「今後のウォーターフロント開発のモデル」となる地域であると謳われている。
 振り返ると、昭和40年代には当時まだ珍しいスポーツクラブが建設され、日本最初のコンビニができたのもこの地であった。そういう意味で、豊洲は新しいものを取り入れる気風を持った場所なのかもしれない。この地から見えてくる新しい「都市の価値」とは何なのだろうか?この研究を通して検証してみたい。
(添田昌志)
 
豊洲2・3丁目開発計画
「豊洲1~3丁目地区まちづくり方針」の策定について(東京都都市整備局)