2011年03月09日
まちの価値を維持していくこと 全編
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2011年03月09日
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編集局 添田昌志
2月、3月の東京生活ジャーナルは、1980~90年代に計画された東京近郊の住宅街を取り上げます。
1960~70年代には、住宅不足への対応として、いわゆる「団地」型の開発が大量に行われました。しかし現在、その年代の開発については、住民の高齢化や建物の老朽化ともあいまって、様々な問題が噴出しています。例えば、効率的な供給を実現するため規格化された建物は、白い箱が並んでいるだけで単調と批判され、「近隣住区論」に基づき整備された団地内の近隣商業施設は衰退の一途をたどっています。
一方で、80~90年代の開発では、上記の年代へのアンチテーゼとして「量より質」を謳い、建物やその周辺環境に様々な工夫が施されていることが特徴となっています。例えば、建物のデザインや住戸プランに特徴を持たせたり、住戸間のスペースにビオトープや共用庭を設けたりといったことが挙げられます。しかし今やそのような住宅街も開発から20~30年が経過しました。計画段階で特徴として取り上げられた様々な工夫は、現在、どのように維持管理されているのでしょうか。
建物や街も老いていくのが必然です。歴史的に木造住宅に暮らしてきた日本人は、都市型の集合住宅を世代を超えて継承し、維持していくという経験を実はこれまでしたことがありません。つまり、大規模に開発された鉄筋コンクリート造の集合住宅群を良好な環境のまま維持するノウハウはほとんど蓄積されていないのです。開発型社会からストック型社会への転換が唱えられて久しいですが、そこで重要なのは200年持つハードとしての建物ではなく、住民を含めそれを維持管理していくソフトの取り組みにあると考えます。
良好な住環境の維持のためには、何を考え、何を用意し、何を継続していかなければならないのか、まず今月は景観に配慮した住宅街として有名な、千葉県の「幕張ベイタウン」を通して考えてみたいと思います。
幕張メッセや千葉マリンスタジアムなどで広く知られる幕張新都心は、千葉県企業庁によって千葉市西部の臨海埋立地に開発された都市です。東京都心と成田空港のほぼ中間に位置し、各々へ30分という優れた立地条件を有しています。
幕張ベイタウン最寄駅のJR海浜幕張駅前
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編集局作成
幕張新都心住宅地 都市デザインガイドライン(以下、デザインガイドライン)とは、千葉県企業庁が定めた幕張ベイタウンにおける都市デザインの具体的な設計に対する指針です。都市デザインの目標、街の地区区分、住棟のデザイン、屋外空間のデザイン、都市景観先導施設と街並み形成について、具体のイラストとともに示されています。デザインガイドラインがめざすところは、全体的には調和のとれた街並み形成を図りながら、個々の施設においては、創意工夫に富んだ魅力的なデザインの展開が図られることであり、すべての計画はガイドラインに則って、あるいは発展的に柔軟な対応をもって行われてきました。
編集局作成
ここでは、デザインガイドラインの中から、壁面、屋根そして商業施設等のデザインについて取り上げます。
◇壁面のデザイン -沿道型住棟の壁面の構成、デザインなどについて
◆壁面率
沿道型住棟の壁面により街並みを形成することから、開口部を除いた壁面を明確に構成する部分の面積を、原則として立面全体の60%以上確保するものとする。
◆開口部の形状
開口部は、既製品にこだわらず、創意工夫する。
◆壁面からの突出
住戸のバルコニー、庇、霧よけ、出窓などを壁面から突出させる場合は、原則として建築線から75cm以内とする。
編集局 川上正倫
◇デザインガイドラインの経緯
幕張ベイタウン(以下、ベイタウン)が計画されたのが1989年(幕張新都心住宅地事業計画)である。多摩ニュータウンにおける少子高齢化やそれに対応して空間の質を維持するための建物更新、管轄による公共サービスの差などの社会問題が現実化してきた頃であり、バブル景気を背景に益々の都市発展を見込した「よい」住宅地を模索する計画となっている。そのベイタウンを特徴づけている空間制御のための幕張デザインガイドラインが定められている。「単に住環境を満たすだけの街づくりではなく、都市景観等デザインに配慮した質の高い環境」の必要性を訴え、そんな「都市デザインが目指す街づくりの目標」として、
1. 21世紀を展望した都市の先駆けとなる街
2. 賑わいのある都心型の街並みが展開する街
3. 国際交流が展開される居住環境を備えた街
4. ウォーターフロントの特性を活かした街
5. 自然とのふれあいが感じられる街
の5つを謳っている。
横浜市の最南部、金沢区の海沿いを南北にのびる集合住宅群が金沢シーサイドタウンです。計画戸数1万戸、計画人口3万人のニュータウンとして、昭和53年に入居が開始されました。三浦半島の付け根に位置し、横浜市中心部に比べて温暖な気候に恵まれています。近隣に横浜市唯一の海水浴場である海の公園や八景島などの人気リゾートを抱える地域でもあります。シーサイドライン(モノレール)がまちを南北に走っており、京浜急行線の駅からも徒歩圏で、品川駅までの所要時間は35分ほどです。
写真:八景島周辺の眺め
写真:金沢シーサイドタウンの様子
編集局作成
金沢シーサイドタウンの開発における特徴には、金沢埋立地の構想が深くかかわっています。従来の埋立地は工業地帯として利用するのが一般的でした。しかし横浜市は、金沢の埋立地を工場用地だけではなく、住宅地や海の公園も併せて開発し、これらが一体となって一つのまちが形成できるように、都市整備の事業を進めていきました。そして、住宅地区の生成にあたっては、「ひとつのまちづくり」と捉え、アーバン・デザインの手法を用いて活気のある街をつくり出そうと考えました。これまでの埋立地にありがちな殺伐とした乾いたイメージを払拭するような、潤いのある楽しいまちづくりを目指したのです。
写真:シーサイドタウン内の様子 緑豊かな住環境
(PDFファイルで読む場合はこちらから→ファイルをダウンロード)
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編集局 川上正倫
◇1970年代の都市デザインとアーバン・デザインの不幸
金沢シーサイドタウンは、設計者(建築家)の意図がよく反映された事例である。完成したのは1981年のことであるが、計画開始はその10年前に遡る。第一期に槇文彦氏、第二期に大高正人氏、神谷宏治氏、藤本昌也氏、内井昭蔵氏、宮脇檀氏といった建築家たちがプロジェクトに参画している。背景としての設計者の意図を探るため、予備知識的に70年代の建築界を簡単に振り返ってみたいと思う。
編集局 添田昌志
金沢シーサイドタウンと幕張ベイタウン、開発された年代は20年ほど違うとは言え、両者の出自はよく似ている。どちらも海沿いの敷地にゼロベースで開発された住宅街であること、計画の初期段階から著名な建築家が関わり、街の構成やコンセプトについて深く議論がされていること、である。
住宅地に限ったことではないが、都市計画や建築といった行為においては、その地の歴史性や地形などといった、場所固有の特性にデザインの拠り所を求めることが一つの王道の手法として存在する。ところが、ゼロベースでフラットな土地にはその拠り所となるものがない。したがって、住宅街としてその場所がどうあるべきか、そして、それをどのように実現していくのか、というコンセプトワークの部分がますますクローズアップされてくる。そういった意味で、この2つの住宅地は、建築家が考えたコンセプトがどう具現化され、どのように受け入れられたのかがシビアに問われる場と言えるだろう。しかし、結論から言えば、どちらの街もそのコンセプトは住民にかなり肯定的に捉えられているようであった。