■ヱビスガーデンプレイス
「恵比寿」という地名は彼のヱビスビールから来ているのは有名な話だ。1901年にビール出荷専用の貨物駅としての恵比寿駅ができ、1928年に恵比寿が街の名前になったという。1970年後半から周囲が宅地化されるに連れて工場増築が課題となり、1988年に船橋に工場を移転。工場跡地は恵比寿ガーデンプレイスとして再開発され1994年にオープンした(ヱビスガーデンプレイスの歴史 http://gardenplace.jp/history/ 参照)。
ガーデンプレイスのビール工場をイメージさせる煉瓦造の低層建物群。駅方向からは長い歩廊がタワーに向かっているのが見える。
バブル期の計画とは言え、敷地規模が約10haに及んでおり、当時としてはかなりの大規模再開発であったといえよう。20年前の恵比寿といえば、渋谷と目黒の間に潜み、(筆者の年齢的にも)ビールというよりもラーメン屋街のイメージしかないマニアックな街であったように記憶している。そんな街が一大人気スポットに早変わりを遂げ、情報誌などで盛んに取り上げられるようになった。再開発特有の後ろめたさもなく消費者には割と好意的に受け入れられたように覚えている。
かたや、完成時にはバブル崩壊で景気は下がる一方であったこともあり、駅周辺でサラリーマンを相手にしていた地元商店の絶望を伝える報道も盛んであった。ガーデンプレイスそのものは恵比寿駅からかなりの距離がある。それ故にスカイウォークなる歩廊でつなぎ、これも当時としては珍しかった動く歩道で駅から簡単直接に行けるようになっている。つまり地元商店街にとって、目の前をベルトコンベヤーで客が素通りするわけでどんな営業努力も無駄というわけである。今となっては、現在の賑わいを眺める限り、結局これは一時の杞憂に過ぎなかったようである。ガーデンプレイスが光り輝く「ハレ」の空間に対して、日常を引受ける影の「ケ」を地元商店街が担い、共存することで再開発された新しい街を受容するバランスを築いている。似た事例として、六本木ヒルズに客を取られると心配した麻布十番商店街がかえってヒルズの観光客の立寄りによって結果的に盛り上がったなどというケースもある。ローカルな客の取り合いよりも街自体の魅力を高めることこそが重要なのだ。
ガーデンプレイスとは駅の逆側にある繁華街。落ち着きのないところが逆に安心できる。
■都市の選択可能性
さて、このガーデンプレイス、高台にあるために駅からのアプローチでは周囲が眼に入らない。坂を上らせておいてサンクンガーデンに引き込むので着いた後はガーデンプレイスしか見えないディズニーランド的蛸壷構図である。煉瓦をベースとしたヨーロッパ調のファサードづくりを行っているが、これが総合設計制度の賜物なのか建物密度が低く、なにやらスカスカしており、建物が連続していくヨーロッパ市街地には見られない景観である。横浜みなとみらいエリアにも同様の構図が見られ、ある意味ジャパンオリジナルな構図といってよいかもしれない。
人々を引き込むサンクンガーデン。
今回、訪れたのが9月末ということもあり、暑くもなく、寒くもなく、オープンエアーのサンクンガーデンは気持ちよく、程よく人が集まっていた。東京においてはこの気持ちよさは一年でもかなり短い期間ではあるが、このサンクンガーデンは都市生活を実感できる数少ない空間である。都市生活の心地よさはその選択可能性の広さにあるのだと思う。東京は、きっと世界のどの都市よりも選択肢数は多いだろう。例えば、少し前に話題になった「ミシュラン」の掲載数を見ても、レストランの種類や数の多さは歴然であり、遊ぶ場所もたくさんある。しかし、それらは目新しさを伴う物的な場所の選択肢数であり、人間同士の関係を含んだ空間的なものではない。「ハレ」と「ケ」が紙一重で隣り合ってこそ都市の魅力は最大限に活用される。そういう観点で、実は東京では、「ハレ」と「ケ」にかなりの距離感があって、行動や活動内容の選択可能性はそんなに広くはないように思う。
サンクンガーデンにはイベントでもあるのかと思ってしまう人の集まり。低層を徹底し、デパートやオフィスに行くのにも一旦地下に降りる。
■都市における「ハレ」と「ケ」
そういう意味でガーデンプレイス以降の昨今の大規模再開発は、どれを見ても「ハレ」に特化した同じような指向しか見えない。当の恵比寿においてもアトレを含めた恵比寿駅周辺でもまた相変わらずのデパートの屋上興行的な有り合わせの再開発が進行中のようである。これは、「ハレ」の強引な投入である。「ケ」を担う恵比寿のもうひとつの魅力である路地的な影の部分が再開発の光に照らされて消滅するのも時間の問題であり、恵比寿の選択可能性が狭まりつつあることに不安を覚えた。どこに行くかの選択肢そのものは増えているが、そこで何をするのかの選択可能性を広げてくれないと都市は衰退しているのと変わらない。若さだけが取り柄で、より若い者が登場するとそちらに乗り換えるといった具合だ。
何処にでもあるような客待ちタクシーが占拠した駅前広場
一方で、都市生活の奥行きはその街がどれだけ歳を重ね方にあると言わんばかりに、どの再開発でも文化の継続がひとつの大きなテーマとなっている。幸い恵比寿はヱビスビールから生まれた街であり、生産の場から消費の場に転換するのにさほどの断絶はなく、何も残っていない江戸時代の遺構を相手にするよりも、ストレスは少なかったのかもしれない。ヨーロッパ調の流行に迎合していると思われがちなところもビール工場の雰囲気を残そうと煉瓦を基調とした外装になっているのだという言い訳もつく。しかもこの外装が功を奏してか、15年前のものとは思えないくらい綺麗に維持されている印象を受けた。
だから良くも悪くもオープン時点で歴史が停まっているようで、このような歳を取らない街は、それはそれで見慣れることによって周囲となじんで来ている。「ハレ」の場は、人々の気分の高揚のために歳を取らないに限る。「ケ」の空間は、歳を重ねることで深みを増す。「ケ」には「ケ」の代謝のしかたがあるはずなのに、誤って「ハレ」の代謝を行おうものなら街のバランスが崩れてしまうというものである。
恵比寿は今、「ケ」の必要な「ハレ」を確立しているのに、「ハレ」に向かう「ケ」がじわじわと増えてきている。お互いのコントラストは深まるばかりといった様相が残念である。この小さなディズニーランドを宝の山にするのか、ビールの泡としてしまうのか。ある意味、木と紙の建造物に囲まれてきた日本人に取って過去を未来へとつなぐという観点でヨーロッパの都市は理想的である。しかしながら、ヱビスガーデンプレイスの空間的魅力がそうした幻想 を定着化させるだけに留まるには惜しいポテンシャルであると思う。新しい「ハレ」の構築なんかよりも、「ケ」を再構成する再開発する手法こそ都市を過去から未来へと継承していく為に考えていく必要があると思う。
(川上正倫)