街の良好なハードを住民がどのように維持していくのか?

編集局 添田昌志

■維持管理の主体
良好な住環境を形成するためには、最初によいハード(住宅、街路、公園、公共施設など)を作ることはもちろんだが、それを良い状態のまま、もしくはさらに良くするために、維持管理していくことがなにより重要である。このことは2年間の東京生活ジャーナルの取材を通して、私自身が一番強く感じたことである。

完成当初は時代の先端を行く雑誌に取り上げられるような素晴らしい街であっても、20年、30年の時が経過するうちに、朽ち果て荒廃してしまっては、持続性という観点から大いに問題である。逆に当初は何の特徴もない街だったところが、良好な維持管理の結果、今では一目おかれる街になることもある。

良好な維持管理を行うためのポイントは、それを行う主体を作り出せるかどうかである。主体が育たない限り、ハードは当初の理念を失ってただ朽ち、荒廃していくのみである。そして住宅地においてこの主体となりえるものは、その地の住民をおいて他にない。

続きを読む

まちづくりと建築デザイン

編集局 川上正倫

 東京生活ジャーナルでは、まちづくりフィールドレポートとして、2年間にわたり様々な観点で特徴的な事例を取材してきた。まちづくりの目的や手段はそれぞれ異なるが、将来へ向けた取り組みは、実に示唆に富んでいる。その中で、建築家がこの状況に何ができるのだろうかと、私は常に考えてきた。本稿はその総括という位置づけであるが、決して体系立った調査を行った訳ではないので、事例間の比較はいささか無理がある。そこで、ここでは、建築家とまちづくりの距離感を探ることで建築家の職能を再考し、まとめに代えたいと考える。

続きを読む

都心景観の再構築に向けたルールづくりとその運用 ~大丸有・銀座・御堂筋を例に~ その1

編集局 大澤昭彦

1.はじめに

私は東京生活ジャーナルで主に、街の景観をどのように形成していくか、という視点で考察を行ってきた。本稿では、特に、都心の景観づくりという視点に絞り、東京生活ジャーナルで取り上げた大手町・丸の内・有楽町(以下、大丸有)地区、銀座地区の2地区に加え、大阪の御堂筋地区を取り上げ、それぞれのルールづくりや運営手法の特徴を比較・整理することで、都心景観の再構築に向けたルールのあり方を提示し、まとめとしたい。

東京生活ジャーナル 丸の内地区
東京生活ジャーナル 銀座ルール

1990年前後、東西の都心、大丸有地区、銀座地区、御堂筋地区においては、景観の再構築が共通の課題となっていた。それぞれの地区では、かつての絶対高さ31m制限下で建てられた建物の更新時期を迎えるとともに、都心部における他地区との「地区間競争」の激化といった要因が重なったこともあり、抜本的な市街地の更新が図られていくことになる。

市街地の更新にあたっては、いずれの地区でも容積率の緩和が推進力として活用されている。容積率の緩和による街並みの変化は避けられない。しかし、野放図に変化を認めるのではなく、それまでに形作られてきた地区の歴史的な背景を踏まえつつ、都市の価値を高めるための街並みのあり方を地元と行政が模索しながらルールとして規定、運用している点が特徴と言える。

そういった意味で、街並みの現状凍結ではなく、都心景観の再構築を選択した大丸有、銀座、御堂筋の各地区のルールづくりや運用手法は大いに参考になる点がある。

続きを読む

都心景観の再構築に向けたルールづくりとその運用 ~大丸有・銀座・御堂筋を例に~ その2

3.「硬いルール」と「柔らかいルール」の併用

それぞれの地区は3つのタイプに分類できるが、共通点も見られる。それは、地区計画等の都市計画による「硬いルール」と、ガイドライン・要綱等の法的拘束力のない(もしくは弱い)「柔らかいルール」を併用していることである。
前者はルールの実効性を担保できるというメリットがあり、後者は明示的なルール化が難しいデザインの質的な側面を扱うことができる。それぞれの利点を活かし、補完し合いながら、ルールを策定・運用している点が特徴と言えるだろう。

とはいえ、それぞれのルールの関係・役割分担の方法はそれぞれ少しずつ異なる。
例えば、地区計画(硬いルール)と地域ルール・要綱(柔らかいルール)との関係について見てみると、大丸有地区は、地区のマスタープラン及び地域ルールである「まちづくりガイドライン」や「デザインマニュアル」をベースに、その内容の一部を地区計画に移行している。

一方、銀座地区では、まず地区計画等の都市計画に基づく「銀座ルール」を地元と中央区が協働で策定し、数値基準のみでは誘導できない質の部分を補完するために「銀座デザインルール」を地元が策定している。
そして、御堂筋地区では、指導要綱に基づくルールが基本であるが、地区計画では指導要綱では規定されていない用途の制限を行っている(御堂筋にふさわしくない用途のネガティブチェック)。

つまり、大丸有地区では、地域ルールの一部を地区計画で担保するという流れであるのに対し、銀座地区では、地区計画でカバーできない部分を地域ルールで補っており、逆に、御堂筋地区は、指導要綱で規定していないが、街並み形成上必要な事項を地区計画で補完するという形を採っているのである。

続きを読む

都心景観の再構築に向けたルールづくりとその運用 ~大丸有・銀座・御堂筋を例に~ その3

5.景観の再構築に向けて

大丸有地区と銀座地区では、地元組織が主体となって作成した地域ルールが存在する(大丸有地区:まちづくりガイドライン・デザインマニュアル、銀座地区:銀座デザインルール)。
両者の共通点は、1)高さ等の数値化できるものは明示していること、一方、2)デザインの質に関わるルールは必ずしも固定的なものではなく、むしろ運用を積み重ねながらブラッシュアップさせることを前提としていること、それゆえ、3)必ずしも質に関わる部分を客観的な数値基準として明示せず、方針的・定性的な基準(緩やかな指針)をベースに、事業者との協議を経ながら即地的な解を導き出そうと試みていること、の3点に集約できると思われる。

続きを読む

まちの価値を維持していくこと イントロダクション

編集局 添田昌志

 2月、3月の東京生活ジャーナルは、1980~90年代に計画された東京近郊の住宅街を取り上げます。
 1960~70年代には、住宅不足への対応として、いわゆる「団地」型の開発が大量に行われました。しかし現在、その年代の開発については、住民の高齢化や建物の老朽化ともあいまって、様々な問題が噴出しています。例えば、効率的な供給を実現するため規格化された建物は、白い箱が並んでいるだけで単調と批判され、「近隣住区論」に基づき整備された団地内の近隣商業施設は衰退の一途をたどっています。
 一方で、80~90年代の開発では、上記の年代へのアンチテーゼとして「量より質」を謳い、建物やその周辺環境に様々な工夫が施されていることが特徴となっています。例えば、建物のデザインや住戸プランに特徴を持たせたり、住戸間のスペースにビオトープや共用庭を設けたりといったことが挙げられます。しかし今やそのような住宅街も開発から20~30年が経過しました。計画段階で特徴として取り上げられた様々な工夫は、現在、どのように維持管理されているのでしょうか。
 建物や街も老いていくのが必然です。歴史的に木造住宅に暮らしてきた日本人は、都市型の集合住宅を世代を超えて継承し、維持していくという経験を実はこれまでしたことがありません。つまり、大規模に開発された鉄筋コンクリート造の集合住宅群を良好な環境のまま維持するノウハウはほとんど蓄積されていないのです。開発型社会からストック型社会への転換が唱えられて久しいですが、そこで重要なのは200年持つハードとしての建物ではなく、住民を含めそれを維持管理していくソフトの取り組みにあると考えます。
 良好な住環境の維持のためには、何を考え、何を用意し、何を継続していかなければならないのか、まず今月は景観に配慮した住宅街として有名な、千葉県の「幕張ベイタウン」を通して考えてみたいと思います。

まちの価値を維持していくこと デザインガイドラインのめざすもの

編集局 川上正倫

◇デザインガイドラインの経緯 
 幕張ベイタウン(以下、ベイタウン)が計画されたのが1989年(幕張新都心住宅地事業計画)である。多摩ニュータウンにおける少子高齢化やそれに対応して空間の質を維持するための建物更新、管轄による公共サービスの差などの社会問題が現実化してきた頃であり、バブル景気を背景に益々の都市発展を見込した「よい」住宅地を模索する計画となっている。そのベイタウンを特徴づけている空間制御のための幕張デザインガイドラインが定められている。「単に住環境を満たすだけの街づくりではなく、都市景観等デザインに配慮した質の高い環境」の必要性を訴え、そんな「都市デザインが目指す街づくりの目標」として、
1.  21世紀を展望した都市の先駆けとなる街
2.  賑わいのある都心型の街並みが展開する街
3.  国際交流が展開される居住環境を備えた街
4.  ウォーターフロントの特性を活かした街
5.  自然とのふれあいが感じられる街
の5つを謳っている。

続きを読む

まちの価値を維持していくこと アーバンデザインの実践について

編集局作成

 金沢シーサイドタウンの開発における特徴には、金沢埋立地の構想が深くかかわっています。従来の埋立地は工業地帯として利用するのが一般的でした。しかし横浜市は、金沢の埋立地を工場用地だけではなく、住宅地や海の公園も併せて開発し、これらが一体となって一つのまちが形成できるように、都市整備の事業を進めていきました。そして、住宅地区の生成にあたっては、「ひとつのまちづくり」と捉え、アーバン・デザインの手法を用いて活気のある街をつくり出そうと考えました。これまでの埋立地にありがちな殺伐とした乾いたイメージを払拭するような、潤いのある楽しいまちづくりを目指したのです。

kanazawast-ud-0.jpg
写真:シーサイドタウン内の様子 緑豊かな住環境

続きを読む

まちの価値を維持していくこと 金沢シーサイドタウンに見る「都市デザイン」

編集局 川上正倫

◇1970年代の都市デザインとアーバン・デザインの不幸
 金沢シーサイドタウンは、設計者(建築家)の意図がよく反映された事例である。完成したのは1981年のことであるが、計画開始はその10年前に遡る。第一期に槇文彦氏、第二期に大高正人氏、神谷宏治氏、藤本昌也氏、内井昭蔵氏、宮脇檀氏といった建築家たちがプロジェクトに参画している。背景としての設計者の意図を探るため、予備知識的に70年代の建築界を簡単に振り返ってみたいと思う。

続きを読む

まちの価値を維持していくこと まとめ 価値の維持のために

編集局 添田昌志

金沢シーサイドタウンと幕張ベイタウン、開発された年代は20年ほど違うとは言え、両者の出自はよく似ている。どちらも海沿いの敷地にゼロベースで開発された住宅街であること、計画の初期段階から著名な建築家が関わり、街の構成やコンセプトについて深く議論がされていること、である。
住宅地に限ったことではないが、都市計画や建築といった行為においては、その地の歴史性や地形などといった、場所固有の特性にデザインの拠り所を求めることが一つの王道の手法として存在する。ところが、ゼロベースでフラットな土地にはその拠り所となるものがない。したがって、住宅街としてその場所がどうあるべきか、そして、それをどのように実現していくのか、というコンセプトワークの部分がますますクローズアップされてくる。そういった意味で、この2つの住宅地は、建築家が考えたコンセプトがどう具現化され、どのように受け入れられたのかがシビアに問われる場と言えるだろう。しかし、結論から言えば、どちらの街もそのコンセプトは住民にかなり肯定的に捉えられているようであった。

続きを読む

工事中を魅せること 都市と工事現場

編集局 添田昌志

■典型的な工事現場の風景
都市には常に工事現場が存在する。ビルなどの建物自体は着工から2-3年で完成するものが多いため、工事現場というと「一時的なもの」というイメージが強いが、都市という視点で見ると、どこかに「常に」存在しているものなのである。
下図は東京・丸の内の工事中の場所を示したものである。丸の内は「丸ビル」の高層化を皮切りにこの十数年間、地域全体の再開発を進めていることもあって、街のどこかに少なからぬ工事現場が存在し続けていることがよく分かる。

mu2001-2005org.gif

mu2006-2010org.gif

mu2011org.gif
東京丸の内の工事現場の変遷(編集局作成)

続きを読む

工事中を魅せること 「工事中景」中継

川上 正倫

○ 都市における建設現場

 自宅を出て職場までの道すがら、数えてみたら実に大小含めて12件の建設現場があった。電車移動を除いたわずか徒歩15分弱の距離に、である。数もさることながら、それだけの存在が日常的に無意識化していることに驚いた。決して工事現場がある景観をよしとしているわけではなく、未完成を前提に関知しなくてよい存在として許容している節がある。しかも周囲の建物の振る舞いとは異なる異物であり、また現場を囲う「仮囲い」どうしでの違いがあまりない故に視覚的には結構目立っているのにも関わらず意識しないようにしている。これは、きっと私だけのことではないはずである。しかも、それは街並に対する無関心へと直結する意識の抜き方であり、景観を考える上では負の構図をもたらすことは間違いない。

 建設現場の都市における位置づけを考えてみると、都市発展の象徴でありながら、粉塵、騒音、安全不安など都市生活にとってはネガティブなものに違いない。それらから機能的に都市生活を保護するモノが、建物の代わりに工事期間中その場に陣取り人々の目に触れることになる、仮囲いということになる。現場そのものは時々刻々変化しているわけであるが、仮囲いが外されて建物の外観が見えるようになるまで、仮囲いがその場の外観を担うわけである。つまり、工事の段階によって多少の差はあるものの一般の人の目に触れる建設現場の「景観」=「仮囲いの立姿」ということになる。都市景観の要素として一時的であるにせよ、いつもどこかしらに存在するという意味では、非常に重要な景観要素であるといえる。しかし、建設現場も我々の無意識を逆手にとって手を抜いているように思えてしまうような扱いが多い。

続きを読む

マイナスをプラスに変えること 黄金町の概要

黄金町のまちづくり経緯
 
 黄金町とは、京浜急行本線で横浜より三駅目の「黄金町」駅と、手前の二駅目「日ノ出町」駅との間、大岡川沿いの地域を指します。黄金町の駅舎自体は横浜市南区に位置しますが、まちの呼び名としての「黄金町」は、大部分が横浜市中区に属します。

%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E9%BB%84%E9%87%91%E7%94%BA-a.gif
黄金町の位置(編集局作成)

 伊勢佐木町は目と鼻の先、ピカピカのみなとみらい地区も近いにもかかわらず、外から見たこのまちには独特の匂いがあります。「黄金町に住んでいる」と告げると「えっ?」と驚かれ、心なしか眉をひそめられるようなまち。

 独特の匂いの理由は、このまちの歴史を知ればわかります。

続きを読む

マイナスをプラスに変えること 山野真悟氏インタビュー(1)

山野真悟氏プロフィール
黄金町バザール ディレクター
NPO法人 黄金町エリアマネジメントセンター 事務局長
山野真悟事務所主宰

yamanosan.jpg

1950年福岡県生まれ。
1971年美学校銅版画教場卒。1970年代より福岡を拠点に美術作家として活動。
1979年IAF芸術研究室設立。
1990年より街を使った美術展「ミュージアム・シティ・天神」をプロデュース。その後も「まちとアート」をテーマに、アート企画、ワークショップ等を多数手がける。
2004年~(財)福岡市文化芸術振興財団「ギャラリーアートリエ」の企画運営を行う。
2005年「横浜トリエンナーレ2005」ではキュレーターを務めた。

続きを読む

マイナスをプラスに変えること 山野真悟氏インタビュー(2)

‐この黄金町という場所で、アートをやるといったときに、周りの反応はどうだったのでしょうか?おもしろそうだ、と受け入れられたのでしょうか?

◇地元は「とんでもない」と
 最初は「とんでもない」という感じでした。アートと街の再生がどうやってつながっていくのか、どこで結びつきがあるのか、それがわからないと言われました。「アートって、よくわからないアレでしょ? よくわからない人が来るんでしょ?」という反応です。さらに、「アーティストって貧乏でしょ? 貧乏な人が集まって、どうして経済的な活性化になるの?」など、ありとあらゆる面から半信半疑状態でした。それが最初の反応です。
 結局、「ああ、こういうことだったのか」とわかってもらえたのは、バザールがオープンしてからです。現実の場所に色々とものを起こして、やっと納得してもらえました。
 そして、一番の成果は、それで人が来てしまった、ということです。もちろん、トリエンナーレの効果もあります。単独だったらそんなに人を呼べていなかった。トリエンナーレに来た人たちが、こちらまで流れてきていたんです。特に休みの日など、人がぞろぞろとまちを歩いているという、ここ数年間ありえなかった光景が目の前にあって、驚かれました。

続きを読む

まちを作ること、人を育てること 北本市の概要

◇ 北本市の概要

 北本市は、上野からJR高崎線で45分ほどの場所にある、埼玉県中央部のまちです。昭和46年に県内33番目の市として誕生しました。市の中央部を国道17号やJR高崎線が縦断し、これに沿って市街地が形成されています。さらに、その外側には緑豊かな田園地帯が広がり、西側には荒川が流れています。武蔵野の雑木林を今なお残している、魅力ある豊かな自然のあるまちです。JR高崎線・北本駅は、市内の唯一の鉄道駅です。

kitamoto-map.gif
北本の位置(編集局作成)

続きを読む

まちを作ること、人を育てること 北本駅西口駅前広場改修計画の概要

編集局 添田昌志

駅前広場の現状と改修計画の概要

 現在の北本駅西口駅前広場は昭和50年に完成されたものである。当時、北本市の人口は増加が著しく、それに対応する交通インフラの整備として行われた。とは言え、当時の駅周辺は商店や住宅はなく、畑の中の広場という感じであったそうである。そこから35年あまりの時が経ち、施設の老朽化やバリアフリーへの配慮、交通量の増加、中心市街地活性化などの課題に対応するために、現在改修計画が進められている。改修計画案では、雨でも濡れずに歩けるようなシェルターの設置、交通機能を整理した機能的なレイアウト、多目的広場や植栽帯の設置など、様々な試みが提案されている。

続きを読む

まちを作ること、人を育てること 北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクトの活動年表

北本らしい“顔”の駅前つくりプロジェクトの活動年表
<イベント開催日時、内容、ポスター>

続きを読む

まちを作ること、人を育てること 貝島桃代氏インタビュー(1)

貝島桃代氏プロフィール

1991年 日本女子大学家政学部住居学科卒業
1992年 塚本由晴氏とアトリエ・ワン設立
1994年 東京工業大学大学院修士課程修了
2000年 東京工業大学大学院博士課程修了
2000-09年 筑波大学講師
現在、筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授

kaijima-san.jpg
インタビュー風景

続きを読む

まちを作ること、人を育てること 貝島桃代氏インタビュー(2)

― 今回の改修計画では、具体的にはどのような取り組みをされてきたのでしょうか。

◇ 特に問題のない地域特性の中で
 このプロジェクトの話があった時に、ひとまず話し合いの場をつくることから始めなくてはと思いました。そこで、初年度には、月に1回市民参加のワークショップをして、広場のアイデア出しをしました。未来の駅前を構想するテーマでは、子供達から、駅前が動物園だったらというようなアイデアも出たのですが、緑豊かな特徴から、雑木林といったようなアイデアも出ました。ワークショップと並行して、市の特徴を探して、色々な調査もしました。その中で対象としたものの一つに雑木林があります。北本市でも市内の雑木林を買って資産としてちゃんと残していこうという方針もありました。なので、こういうことをもっと意識的にできないだろうかというので、今残っている雑木林の株を移植することを提案しました。そして、ワークショップを始めてちょうど半年経ったころ、まちの顔となる植栽帯や、イベントや市など市民活動のパフォーマンスの場として多目的広場、車での送迎用の停車帯、などいろいろ盛り込んだ案を、1度まとめました。それを近隣の自治会長の方などが入った検討会議そしてパブリックコメントで意見を求め修正していきました。
 こうしたまちづくりには、そこにはいろいろな人が参加してくれましたが、多いもので30〜50名ほどで、7万の人口からすればわずかでした。
 その理由を考えたとき、北本の豊かさにあるのかもしれないと思いました。埼玉は気候も厳しくありませんし、作物も取れる豊かなところで、中心市街地の空洞化、高齢化や人口減少など統計的におきているわずかながら起きていることは、まだ大きな、困るような問題になっていません。だから、まちづくりでワークショップを企画しても、地元の方も関心も危機感を持ちにくい。よそ者が、ただ、ああだこうだ言っているという反応も多かったのではないかと思います。

kitamoto21.jpg
ワークショップの様子

続きを読む

北本駅西口駅前プロジェクトを通してまちづくりを発見する

編集局 川上正倫

■市民の利益とは何かを考える
 まちづくりにおける理想は、当たり前だが、市民の利益となる空間整備である。ところが、この「利益」の理解が非常に難しい。そこにどのような共通の目標を設定するためのアプローチこそがまちづくりの要だと考えている。今回の北本駅西口駅前広場の空間整備プロジェクトはまさしく、そのアプローチがユニークであり、それを構築するに至った経緯に非常に興味をもった。

 今回その構築を主導している貝島さんに、北本駅前広場プロジェクトを中心にまちづくりへの関わり方を聞くことができた。まずは、貝島さん自身の、大学の研究者であるという立場、教員という学生を指導する立場、建築アトリエの主宰者としての設計者の立場、という3つの立場を様々な意味で柔軟に統合する熱意が一番印象に残った。3つの立場を使い分けるというより、3つの立場を併せ持つキメラ的な状況を最大限利用し、通常では得がたい専門家のコミュニティや学生のエネルギーの投入を可能としてプロジェクトを進行させる。研究者としての分析的視点による「観察」によって独自の「発見」につなげ、その「発見」をもとに建築家として提案的「定着」を図る。また、各立場においてプロジェクトを説明し、協力を仰ぎながらそれを統括するという点でも、建築家の立場が発揮されている。

続きを読む

あかりで何を照らすのか 角館政英氏インタビュー(1)

 今回は、「光のまちづくり」を提唱されている照明家の角館政英氏にお話を伺いしました。角館氏は従来の画一的な街路灯のあり方に疑問を呈し、人々の生活に根ざした親しみのある照明を追及するため、住民を交えた照明実験ワークショップを行うなど全国各地で精力的に活動されています。
 あるべき光環境とはどういうものなのか、それが実現することによって物理的な環境だけでなく、住民の気持ちがどのように変化していくのかなど、「光のまちづくり」の意義について語っていただきました。
kakudate1.jpg
「光のまちづくり」事例(左:横浜元町、右:岩手県大野村)


角館政英氏プロフィール
照明家、一級建築士、博士(工学)
ぼんぼり光環境計画代表取締役
日本大学理工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修士課程修了、2009年博士(工学)取得。
TLヤマギワ研究所、ライティングプランナーズアソシエーツ(LPA)を経てぼんぼり光環境計画設立。
金沢美術工芸大学非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師、関東学院大学非常勤講師など。
kakudate-san1.jpg

続きを読む

あかりで何を照らすのか 角館政英氏インタビュー(2)

― なぜ銚子のような街路灯が多いのでしょうか。

◇ 実態にそぐわない基準
 そもそも光環境を設計するには、照度基準というのがあります。この基準を守らずに何か問題が生じた場合は、国の責任になってしまいます。だから、国の担当者は当然、照度基準を守るように指導するのが常識となる。ここで、日本の歩行者のための照度基準についてお話します。

li-5.jpg

続きを読む

あかりで何を照らすのか 角館政英氏インタビュー(3)

今月の東京生活ジャーナルでは、先月に引き続き「光のまちづくり」を取り上げます。角館氏が岩手県大野村や富山県八尾町で行った住民参加の光の実験の概要や、そのような取り組みを都市にも広げていく際の課題について伺っていきます。


― 住民も参加して光環境を整える「光のまちづくり」を多く手がけられているそうですが、その概要や住民が参加することの意義について教えてください。

◇ 安心・安全な光環境を求めて
 岩手県の大野村(現:洋野町)でも横浜・元町と同じような実験を基に街路灯整備を行いました。大野村では、まず夜間歩くことに対する住民の意識調査から始めました。その結果、人は歩行中、溝につまずかないかなどの路面の状態だけではなく、街路の周辺部に存在する奥まった空間に対して不安感やストレスを抱いていることが明らかになったのです。そこで、私たちは路面上の明るさを確保するよりも、街路周辺に点在する暗闇であったボイドの不安感やストレスを軽減させる光環境を導くための実験を行いました。ちょうちんや行灯を使ってボイドを照らすという手法で新しい光環境を創り出す実験を行い、不安やストレスの主な原因となる2つの項目について評価してもらったところ、横浜・元町での実験結果と同様にボイドに光があることで不安感が軽減することがわかりました。また、実験に合わせて光環境について住民アンケートを実施したところ、大半の人が明るい、歩きやすいと感じていることがわかりました。

li-2-1.gif
光の実大実験の様子

続きを読む

あかりで何を照らすのか 角館政英氏インタビュー(4)

― このような街路整備を通して、見えてきたこともあると思います。

◇ 事例を積み上げること
 このような街路整備を進める中で、一番のポイントとなったのは、実験結果報告でした。僕のようなデザイナーがこういう風にやりましょうよと言うと、住民の方からは了解を得られやすい。ところが、役場はなかなかOKを出してくれないのです。言っていることはわかるけど、という段階で話が終わってしまうのです。それは、今まで仕様設計が当たり前だったので、僕たちがやろうとしている性能設計では客観的な指標がないからなのです。そういった時に、大学や学会の報告書が客観的なデータとして役場の人に非常に説得力を発揮してくれたのです。

 個人的には、やはり照明というものを考えるときに、性能設計に基づいた最小限の光環境を創ることによって、実は街が浮き立ってくるのではないかと思っているんです。
しかし、事例が今はあまりにも少ない。性能設計という事例が今は少ない。ですからこういう事例を、やはり誰かが作っていかない限り、日本の光環境というものが根底的に変わっていかない。そういう認識をしています。これはもう地道に事例を積み上げていくしかないなと思っているところですけれどね。性能設計の良い事例を、いかにわかりやすく作れるか、というのが、僕の課題だと思っています

続きを読む

変えるものと変えないことと  野毛の概要

 今回の東京生活ジャーナルは、横浜の野毛商店街を取り上げます。この地では1990年代半ばに、当時予定されていた東急東横線桜木町駅の廃止や隣接するみなとみらい地区の整備を見越し、街の活性化を目的とし、横浜市の整備事業の一環としてまちの景観作りを進めました。その時に想定されていた周辺の変化が現実のものとなった現在、当時仕掛けたものの効果は果たしてどのように生きているのでしょうか。まず今月は、整備事業に建築家の立場で関わった山口勝之氏へのインタビューを通して、事業の経緯からお伺いします。

続きを読む

変えるものと変えないことと 山口勝之氏インタビュー(1)

山口勝之氏プロフィール
(株)ユーディーエー 建築家・都市計画家
1981年東京工業大学工学部建築学科卒業。
都市からプロダクトまで環境全般のデザインをフィールドとする。お台場「デックス東京ビーチ」の建築基本計画及び商業環境デザインほか、活動は多岐にわたる。一級建築士、日本建築家協会登録建築家、技術士(都市・地方計画)。


yamaguchisanphoto.jpg
インタビュー風景(山口勝之氏)


― 野毛商店街の街路整備にかかわった経緯についてお聞かせください。

◇危機感が街の整備を促す
 そもそものきっかけは1990年半ばに、東急東横線が桜木町に来なくなり、みなとみらいの方に地下鉄、地下化する計画が出たことが発端です。みなとみらい地区も徐々に整備され、若い人たちはみんなみなとみらいの方に行ってしまうという状況が見えてきました。この計画を始めたのが1997年なのですが、その頃から、今から手を打たないとまずいという雰囲気になっていました。これは横浜市が音頭を取ったのですが、市が補助金を出すので、今のうちに野毛の街として何か対策を考えたほうがいいのではないかと街に対して発信をしました。それと同時にコンサルタントを付けて、勉強会やりなさいということで始まりました。我々が縁あってそこのコンサルタントをやることになったのです。

続きを読む

変えるものと変えないことと 山口勝之氏インタビュー(2)

 前回のインタビューでは野毛商店街の街路整備事業の経緯についてお伺いしました。この事業の最終的な目標はハードな街路整備(道路上にあるものが対象で、床面、街路灯、アーチ、案内板・サイン類、それらに付随する放送設備などの整備)であり、現状の問題把握を行った1年目に続いて、2年目は実際のデザインを提案する実施計画を行いました。


― 具体的なデザインの計画はどのように進められたのでしょうか。

◇ 街全体のイメージを共有することから
 2年目は同じ四つの通りで、街全体を具体的にどのようにしていきたいのか、各通りの特徴や目標は何なのか等について話し合いました。実は、僕が参加し始めたのは、この年度の終わりぐらいからです。まず四つの通りだけでなく、街全体の目標を決めようとしました。四つの通りそれぞれの個性はあるけれども、全体の印象としてはどうなのか。これはソフトの話になりますが、女性が来やすい街にしたいとか、デザインとしては和風の街のイメージ、といったことを全部の通りで守っていく。その上で、各通りの個性を出していこうという議論をしました。だから、もし今後他の通りを整備することになっても、この街全体の枠組みをまず説明することになると思います。

続きを読む

変えるものと変えないことと 田島一宏氏インタビュー

山口氏と同様に野毛商店街の街路整備事業に携わった田島一宏氏に、特に住民を対象としたワークショップの成果や意義についてお話を伺いました。

田島一宏氏プロフィール
長年博物館施設事業に携り、地域と博物館との相互関係や博物館が地域活性化に貢献できる役割など、博物館アイデンティティの計画実務を蓄積。「野毛地区ライブタウン整備事業」の他、「青森県立三沢航空科学館」全体プロデュース、「金沢21世紀美術館」運営計画などを担当。
現在、㈱環境計画研究所取締役。

tajima2.jpg

続きを読む

まちづくりをどのように評価するか -愛着を測ることの可能性と必要性-

編集局 添田昌志

◇時間をかけたことの効果
 今回のインタビューで山口氏、田島氏がともに強調していたことは、まちづくりにおいては住民と意見を交換して集約していくプロセスこそが大切であり、そのプロセスがあるが故に最終的に整備されたものに対して愛着や誇りが生まれるということであった。そして、そのようなプロセスを踏み、お互いに理解し合い、合意形成していくには時間がかかるので、この時間に対する理解を、整備事業を行う行政の側は持つべきだということが述べられていた。
 おそらく、上記のようなことは行政の中でも一部の担当者は分かっていることかもしれないが、時間をかけたことの効果を何かのデータで示すことによって、より多くの人にその重要性を理解させる必要があるのではないかと、私は考える。

続きを読む

1年間の総括として はじめに

 今年度の東京生活ジャーナルでは、まちづくりフィールドレポートと題して、「銀座」、「港南」、「佐原」、「たまプラーザ」、「八潮」の5つの街におけるまちづくりに関わっている人々へのインタビューと現地調査を行いました。その中で、歴史や開発背景の異なる街であっても、当初は想定していなかった意外な共通点などが見出されたりしました。

続きを読む

1年間の総括として 街の価値とルールのあり方

編集局 大澤昭彦

 八潮のまちづくりに関わる曽我部氏は「一般的な景観ルールのような規定」や「最低基準」を定めても街は良くならないと述べている。
 確かに、最低限のルールによるネガティブチェック的な規制は、建築紛争を予防し、最悪の事態から街を守る防波堤にはなるが、街を積極的に良い方向への導く推進力を持たない。

続きを読む

1年間の総括として 都市の世代間意思伝達

編集局 川上正倫

都市の変化をどう考えるか

 最近中国上海を頻繁に訪れる機会があり、なにかしらのエネルギーに押されて都市がめまぐるしく変化していく様に驚嘆させられている。まさに「あっと言う間」に変化していく様子を眺めているとそこには異議を唱える隙すらなさそうである。実際、中国の建築家と話をすると、価値を問い直す間もなく、政治的な意向や商業上の思惑による大規模開発によって古い街が廃棄され、生まれ変わっているのだという。ただ、その状況には、おそらく50年前の日本にもあったであろう、飛躍・進歩への意思があり、都市問題としては必ずしも「改悪」とは限らない。そしてあまりのスピードの早さに移行に伴う新旧共存のストレスもほぼ無関係といえる。そんな中で新しく上海に入ってきた人々にとっては、おそらくそこが上海の原風景のスタートなるのだろう。そう思うと、ふとまさしく今年の万博の標語にもなっている「better city better life」に対する上海の決定をどのように昔の上海を知らない新入者に伝えるのかが気になってしまった。検討なき新しき様式の導入が「昔はよかった」という後悔を引き起こすこともなく、都市の歴史が書き換えられる非常にデジタルな状況といえる。

続きを読む

街への意識を共有するために 八潮市の概要

■八潮市の概要 編集局作成

八潮市は埼玉県東南部に位置する人口約8万人のまちです。これまで市内には鉄道駅がなく、住民は草加や綾瀬といった隣町まで出てから都心へ向かっていました。ところが、2005年のつくばエクスプレスの開通により、秋葉原まで最速17分でのアクセスが可能になり、その立地条件は劇的に変化しました。こうした変化に伴って移住者も増え、現代日本の都市には珍しい、成長過程にある市町村のひとつといえます。


yashio-location.jpg
八潮市の位置(編集局作成)

参考資料:建築ノートNo.7 誠文堂新光社

街への意識を共有するために 八潮街並みづくり100年運動について

■「八潮街並みづくり100年運動」の概要
 街並みづくり100年運動とは、50年後、100年後を見据え、この街に住んで良かったと思えるような、八潮らしさを生かした魅力ある街並みを作るための運動。八潮らしい魅力ある街並みをつくりだしていくために、八潮の特徴について、日本工業大学、茨城大学、神奈川大学、信州大学、東北工業大学といった首都圏近郊の建築や空間デザインの専門的な知識や経験のある5つの大学が連携して調査研究を行っている。


続きを読む

街への意識を共有するために 5大学による住宅モデルの提案

■5大学による住宅モデルの提案

「八潮街並みづくり100年運動」で調査研究を担当している5大学が今年度の成果として発表した住宅モデル(全部で7モデル)。それぞれに身近にある八潮の街の特徴を捉え、それとの関係から住宅のあるべき形を提案している。


続きを読む

街への意識を共有するために 曽我部昌史氏インタビュー(1)

 今回の東京生活ジャーナルでは、埼玉県八潮市の「八潮街並みづくり100年運動」を取り上げます。以前、このジャーナルでは千葉県佐原の伝統的町並みを生かしたまちづくりを取り上げましたが、そのような歴史的資源や特徴を持たない、一般的な住宅や町工場が広がる典型的な郊外における街並みづくりとは、何を捉えてどのように進めていけばいいのでしょうか。この街並みづくりに建築家として関わられている曽我部昌史氏へのインタビューを通して考えていきたいと思います。

曽我部昌史氏プロフィール
1962年福岡県生まれ。1988年東京工業大学大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て1995年NHK長野放送会館の設計を機に、加茂紀和子、竹内昌義、マニュエル・タルディッツらと「みかんぐみ」を共同設立。住宅、保育園、ライブハウスなどの建築設計から家具、プロダクト、インスタレーションまで幅広くデザインを手がける。東京工業大学助手、東京芸術大学助教授を経て、2006年から神奈川大学教授。

yashio-interview.jpg
インタビュー風景(曽我部昌史氏)

続きを読む

街への意識を共有するために 曽我部昌史氏インタビュー(2)

前回は「八潮街並みづくり100年運動」について、これまでの経緯や具体的な活動についてお話いただきました。今回は、住宅モデルの提案に込められた意図と住民の方の反応についてお伺いします。

― 2009年度は「家づくりからはじめる街並みづくり」として、家づくりスクールや住宅モデルの研究などすすめられています。行政主導のまちづくりとは違った視点で、住宅に着目した街づくりを行うことの意義とはどのようなものなのでしょうか。

◇ 街への意識を共有するために
 実際にこの運動に関わってみて、一般的な景観ルールのような規定でつくる街づくりではなく、この街をどんなふうにしたいかという意識をみんなでシェアすることしか、街づくり的な運動としてはあり得ないんじゃないかということがわかりました。最低基準はこうです、というのを定めたところで、決して良くはならない。ある価値の体系みたいなものがみんなで共有できるようになるのが一番いいんじゃないかと思います。それにはやり方が色々とありますが、この街の特徴に対して敏感になることがこの街にできる建築物のデザインをより深く精度の高いものにしていくことに繋がるようなことをしたいと思ったわけです。

yashio2-1-1.jpg

続きを読む

良好な住宅地であり続けるために たまプラーザの概要

編集局 添田昌志

 今回は典型的な郊外の戸建住宅地である「たまプラーザ」(美しが丘2、3丁目)を対象に、これからの人口減社会をふまえて、郊外住宅地の住環境を良好に維持していくための方策について考えてみたいと思います。

 「たまプラーザ」は、東急電鉄田園都市線で渋谷から急行で約20分(20km圏内)の場所にあるまちです。田園都市線沿線は、東急電鉄が1960年代後半から、鉄道整備及び駅後背の住宅地開発(主に土地区画整理事業)を行ってきました。特に1977年の新玉川線開通(二子玉川園-渋谷間)以降は沿線の利便性が高まり、人気のエリアとなりました。中でも、たまプラーザ周辺は沿線きっての高級戸建住宅地として、1980年代に放映されたTVドラマ「金曜日の妻たちへ」の舞台にもなり、その名を広く知られるようになりました。 

tamapllocation.jpg
たまプラーザの位置

続きを読む

良好な住宅地であり続けるために 三井所隆史氏インタビュー(2)

― ビジネスとしてのエリアマネジメントとはどういうことでしょうか?

◇ マンション型の管理は困難
 例えば、マンションでは、区分所有法にもとづき管理組合が設立されます。管理費、修繕費を徴収し、積み立て、その資金によって廊下やエレベーターなどの共有部分の管理を管理会社に一任しているところも多いです。このような方法を一般の住宅地に適用できないか、というのがまず考えつくところです。しかし、住宅地にはマンションのように責任を持って決定する住民組織は一般的にはなく、また、管理の対象や内容が必ずしも定格化されていません。つまり、誰がお金を集め、どの範囲の管理をどう行っていくのか、また、それに関してどのように意思決定を図っていくのかという枠組みができていないのです。したがって事業者側としても効率的な事業スキームを設定できずにいます。このようなことが要因となって、民間事業者による(戸建)住宅地におけるエリアマネジメントへの関与は、これまで限られたものとなっていました。

続きを読む

良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(1)

 前回は、住政策の専門家である三井所さんにエリアマネジメントという観点から良好な住宅地を維持するための民間事業者の取り組みについてご紹介いただきました。今回は都市計画や建築設計の専門家でもあるジャーナル編集局員を加え、郊外住宅地たまプラーザの課題や価値について議論した座談会の模様をお送りします。

郊外住宅地としてのたまプラーザの特徴

◇ 質も住民意識も高い住宅地
大澤:まず、三井所さんに、たまプラーザの住宅地としての特徴を伺うところから始めたいと思います。

三井所:たまプラーザは、他の郊外住宅地と比べて何がいいかと言うと、フットパスを自然な形で入れ、クルドサックをしているなど、その当時の計画論を踏まえてきちんと作りこんでいることです。緑も豊かで、道路と敷地の生け垣があり、その手前のところにもまた緑を入れるという二重植栽をやっていて、それを維持しようという意識も持たれています。それが協定委員会の立ち上げや、協定の見直しということに表れています。ですから、ハードの環境とそれを維持しようとするソフトの取り組みということに関しては、ある程度完成された状況になっていると思います。

tama2-2.jpg
よく手入れされた「二重植栽」

続きを読む

良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(2)

敷地分割は悪か

◇ 何のための180㎡か
大澤:今、たまプラーザでは敷地分割されている事例が多く見られます。この分割というのは、当然地区協定で定められている「1つの敷地は180㎡以上とする」という制約は守っているわけですが、この敷地分割という事象を、ルールを守っているんだから別に問題ないんだと捉えればいいのか、いや180㎡というのはあくまでも最低限の基準であって、本来のたまプラーザ、美しが丘らしさみたいなものから考えると、望ましい規模は300㎡なんだという風に考えるべきなのか。つまり、敷地分割=悪と単純に捉える傾向もありますが、敷地が細分化されていくことの何が具体的によくないのかを考えてみたいと思うのですが。

続きを読む

良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(3)

良好な街であり続けるために

◇ 何をもって価値とするのか
川上:結局、考えていくと、何をもって良好な住宅地が維持されたと評価すればいいのかというところにたどり着きます。やっぱり地価なのでしょうか。

大澤:それも一つの指標かもしれないですよね。

川上:それとも生け垣のある家が立ち並ぶ街の姿なのでしょうか。要するに何をもってこの「たまプラーザプロジェクト」を成功だとするんでしょうね。本来、街というのは自然発生的に出来ているから、色々なものの新陳代謝があることで維持できていると思うんです。例えば佐原みたいに、歴史的な何かを残しましょうという街だと、それが維持できているかどうかを一つの評価軸にできるけれども、一気に建ってしまった郊外住宅地というのは、建物の一つ一つにコンセプトがあるわけでもないですよね。何となくの雰囲気で、いい住宅地でしょ?と言ってみても、結局いい住宅地とは何なんだろうと。

 本来は地価が安いということも一つの評価軸だったのにもかかわらず今はやたらと高くなっていますよね。もともといい住宅地を安く供給したかったという思想もあった訳ですから、安く快適に意識の高い人たちだけで住みましょう、みたいな話でもいいんだと思うんです。結局、何を生活環境の基準とするのか、ということですよね。

続きを読む

町の資源を生かすために 佐原の概要

編集局 添田昌志
 
 佐原は東京からは 70Km圏の千葉県の北東端に位置し、茨城県との県境に接したまちです。江戸後期に利根川水運による交通が開け、米やその他の商取引の集散地となり、交通・経済・文化の中心地として発展を続けました。しかし、時代が変わり昭和後期になると物流システムの変化のため、一時は「さわら砂漠」と呼ばれるほど町が衰退しました。

 ところが、平成に入ってから利根川支流の小野川沿いに、木造や蔵造りの町家などの伝統的建造物を生かした町並みが形成されるようになり、町に活気が蘇ってきています。

続きを読む

町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(1)

-佐原は現在では伝統的な町並みを生かした景観が特徴的ですが、これは最初からきちんと計画されたものだったのでしょうか。

◇ 古いものは恥ずかしい
 そうではありません。佐原は、蔵のまちといっても100%蔵のまちという訳ではありません。古い町並みの中に建替えてしまった家も混じっているし、町の中心になる忠敬橋のところには大きなビルが建っていたりします。実は、昭和30年から40年代にかけて、商売が繁盛していた家は「近代化」という声でコンクリートのビルなどに建替えたんです。当時はそれでこの町も明るく現代的になったと皆さん喜びました。一方、建替えをせずに古い木造のままだった家の人達は、それは恥ずかしいと思っていたんです。うちは暗くてイヤだな、住みづらいな、この時代にこんな家は嫌だなということだったんです。

sawara1-photo1.JPG
小野川沿いに立つコンクリートのビル

続きを読む

町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(2)

-古いものを生かした町並みを作ろうとなっても、現実には様々な障害があると思います。佐原はそれを工夫で乗り越えたと聞いていますが、具体的に教えてください。

◇ まちかど消火栓 ~住民の工夫と協力で局面を打開
 改修して使っていないところが開いて上手くいきだすと、次に課題として出てくるのが、壊しちゃったところをどうしようか、ということなんです。壊したところには、もう一回家を建てよう、お店を作ろうとなるんですが、その時にはコンクリート造のビルではなくて、佐原の町並みにあったものを作りたいんです。でも、例えば500平米なり、200平米なり、それを超えた大きな建物は木造で作れなくなるし、そもそも普通の木造でも耐火、簡易耐火にしないといけない、そうするとこの町並みは維持できないよね、と。どうしたらいいのか、と。じゃあ防火はずせばいいのね、と。でもタダでは外せない。ではどうするかとなりました。
(防火地域に関する詳しい解説はこちらをご覧ください)

続きを読む

町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(3)

― 佐原の大祭(毎年夏と秋の2回行われる。今年の秋の大祭は10/9~11に開催)も、昨今よく知られるようになりました。そのお祭りの背景について教えてください。

◇ 祭りは福利厚生
 佐原の大祭は神社に奉納するということだけから始まったお祭りではなくて、ある種の公共事業にもなっていたお祭りなんです。つまり、大きなお店をやっているところが、奉公人に飲んで食べて大騒ぎできる機会を作り、大きな山車を作って競わせたというのが、江戸時代中期以降からの一般的なかたちだと思います。福利厚生といいましょうかね。
 なので、景気が悪くなったり、飢饉が起こると、今の公共事業に当たるようなことはみんな大店がやっていたんです。天明の大飢饉の時に建った蔵などもそうですし、ごく最近までも、例えば、子どもがちょうど学校へ行くから、お金を稼がせてあげなければいけないから、仕事をつくって稼がせてあげるとか、大店の人たちはお金を使って地域を上手に回していかないと尊敬してもらえないような、そんなしくみで動いているようです。自分から言ったら品がないと、なかなかこういう話はしてくれないんですけれど、そういうまちの仕組みが根本にあります。

sawara3-2-6.jpg
秋の大祭の様子:小野川沿いの町並みを進む山車

続きを読む

町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(4)

― 佐原のこれからの課題について教えてください。

◇ 仕事を持って佐原に戻る
 今やろうとしていて、できつつあることは、一度佐原から出た子ども達が、仕事を持って戻ってくることです。佐原の場合、東京へ通うのはギリギリくらいの距離で、一回出て行ったらなかなか戻ってこなかったのが、地元で働く場所があれば、やはり戻ってくる訳です。今年は、イタリアで修行して腕を磨いて戻ってきて開業した、というのがあって、そういうような人たちが毎年少しずつ現れるようになってきているんです。子どもが帰ってくるのは親にとっては嬉しいようで、周りもそれで元気になっている。そこで商売が成り立って、お客さんが入って地元にお金が入る。このような仕組みが出来つつあります。

続きを読む

現場での交流がまちづくりを促進する

編集局 大澤 昭彦

■ 外部評価を取り入れるということ
 個人にせよ都市にせよ、自らを客観的に評価することは難しい。外からの評価によって、はじめて自らの価値や問題点に気づくことが少なくない。

 その点、佐原は客観的な評価を意識的にまちづくりに取り込んできたまちである。田口氏が「どの団体も行事が終わると必ずレビューをやるんです。それもできるだけ外部の意見を取り入れて。やった、終わった、疲れた、じゃあ先に進まないんで。自分たちで独りよがりになったら絶対にだめだと。市もそういう考え方だし、商工会議所もそうですよね。」と述べているように、佐原では外部の視点を大切にし、実践してきた。

 もともと佐原のまちづくりの出発点は、外部評価をきっかけとしたものであった。視察に来た飛騨高山の人からの「この川(小野川)すごいですね、どうしてまちづくりに活かさないんですか」との一言で、はじめて自らのまちの価値に気づいたという。

続きを読む

防火地域・準防火地域における伝統的街並み景観の保全

編集局 大澤昭彦

 防火地域・準防火地域とは、建築物の不燃化により、市街地における火災の延焼を防止することを目的とした制度である(都市計画法9条20項)。
 防火地域、準防火地域内においては、表1に示すような構造制限を受けることになり、木造建築物であってもモルタル塗り等により外壁の防火性能を確保する必要がある。つまり、例えば杉板張りなど、木の素材が直接表面に見えるような建物は認められない。よって、地域内においては伝統的な木造建築物の新築、建替えができず、歴史的な街並み景観の継承が難しくなるといった問題が生じている。

表1 防火地域の構造制限(建築基準法第61条、第62条)
table1.jpg

続きを読む

助け合えるまちのために 港区港南地区の概要

編集局 添田 昌志

 前回は都心の商業地である銀座を取り上げました。「銀座らしい景観」を作るためには、地域が主体となったルールづくりと運営が不可欠であることが分かりました。
 今回は都心の住宅地である港区港南地区を取り上げます。ここは従来、港湾関係施設や倉庫などが建ち並ぶ地域でしたが、近年はタワーマンションが多く建設され、住宅地としての色が急速に濃くなってきています。
 ここでは「防災」がキーワードとなって住民同士のコミュニティーが形成されています。防災ネットワークづくりに長年携わっている若林直子氏によると、この地域は住民が主体となることで他の地域にはないユニークで有意義な取り組みがなされており、学ぶべき点が多いのだそうです。新住民が急速に増えている街における安全性の確立やコミュニティー形成のポイントはどのようなところにあるのでしょうか、若林氏へのインタビューを通して明らかにしていきます。

続きを読む

助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(1)

・若林直子氏プロフィール

(有)生活環境工房あくと代表取締役、博士(工学)
まちづくり、住民意識といった観点から、地域の安心安全を追求する防災コンサルタント。
地域防災力や被災生活問題を専門的に検討する一方、生活者が主体となって進める防災ネットワークづくりを各地で支援、「災害に強いまちは普段から住みよいまち」をモットーに、自然にゆるやかに地域がつながる仕組みづくりを提唱している。1988年筑波大学芸術専門学群卒業、1990年九州芸術工科大学大学院芸術工学研究科修士課程修了、2000年東京大学大学院建築学専攻博士課程修了。

続きを読む

助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(2)

― 港南防災ネットワークでは、災害時にどのような活動をする計画なのでしょうか。

◇災害発生直後の後方支援
 大地震などの発生直後は、初期消火や人命救助などを臨機応変にすばやく行うことが大事なので、活動の主役は各自・家庭、各マンションや町内会、オフィス等になり、ネットワークはその後方支援という位置づけです。同じ地震でも、あっちのビルは大変な被害、でもこちらはほぼ無傷ということも大いにありますから、ネットワークで情報交換をして、被害が大きいエリアをみんなで助けるんです。まずは状況に応じて、運河で囲まれた狭い地域内でまず連携をとり、さらにはネットワークとしての本部を、公的避難所である学校に開設して、情報を集め、活動を調整し、学校や区との連携を図る、といった計画になっています。

続きを読む

助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(3)

前号でお伝えしたように、港区港南地区は、住民が主体になることで、地域を取り巻く環境の急激な変化にも耐えうる、しなやかで強いネットワークを形成しています。今回は、そのようなネットワークを形成することが出来た背景やしくみについて、より詳しくお話していただきます。
******************************

― 「港南防災ネットワーク」が出来た経緯についてその特色なども踏まえて教えてください。

◇ユニークな「手挙げ方式」
 「港南防災ネットワーク」結成の最初のきっかけは、港区の呼びかけです。阪神淡路大震災を契機に、1996年、港区が「同じ公的避難所の範囲(小学校区など)の町会・自治会などが主体となって地域の防災ネットワークを結成すること」に対する支援事業をスタートさせました。この事業に、港南地区の方が応じられたんですね。
 私は、この事業については、港区の業務委託先だった事務所にて企画提案からずっと担当していたので詳しいんです。こういう事業は首都圏で盛んに行われたんですが、港区にはユニークな特徴があるんですよ。通常この種の事業は「ある年はA~C地区、次の年はD~F地区を・・というように支援し、数年間で全地域を網羅」といった、いわゆる「ローラー作戦」が一般的です。しかし、港区では「防災ネットワークをつくりたい」と申し出た地域から事業をスタートする「手挙げ式」という方針を取ったのです。その結果、できるまでどの位の時間がかかっても構わない、できない地域があっても仕方ない、といった地域主体の柔らかい事業が実現しました。

続きを読む

助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(4)

― 港南防災ネットワークが発足してから十数年経っています。時代や環境も急激に変わっていく中、どのように活動を維持されているのでしょうか。

◇継続的にかかわる人々の存在
 事業開始から十数年も経ち、行政の担当者は何度も変わり、役所の組織上の変化もあり、そのたびに事業の方向性も少しずつ変化し、曖昧になりました。避難所となる学校の学校長も幾度も変わります。当然、コンサルタントへの区の事業委託も最初の数年だけです。私自身もこの十数年間で色々と立場が変わりましたが、港南防災ネットワークとは、毎年の総会に呼んでいただく、防災講演や訓練企画を担当させていただくなど、ずっとお付き合いが続いています。行政の担当者などがどんどん変わっていく中、防災ネットワークの意義や、どのような活動をすべきかなどをよく知る専門家として頼っていただけたのではと思っています。
 こういう活動は息長く続けることに意義がありますが、それには、活動する人が継続することも大事な要素になります。港南地区をはじめ、地域の役員さんたちは少しずつ人が変わりつつも、継続する人がネットワークの意義などをきちんと伝え、新しい人とともに発展させていっているように見受けられます。ただ、その活動を支援する立場の役所側で人が続かないのは、仕方のないこととはいえ地域にとっては痛いところですよね。

続きを読む

銀座らしい街並みのために 竹沢えり子氏インタビュー(1)

 今年度の東京生活ジャーナルでは、「まちづくりフィールドレポート」と題し、まちづくりの一線に立っている人々へのインタビューを通して、現代の都市が抱える問題点や今後のあるべき姿についてレポートしていきます。
 今月と来月は、銀座にふさわしい景観や建物デザインの指針となる考え方をまとめた「銀座デザインルール」を取り上げます。現在、銀座地区に新築される建物や屋外広告などの工作物については、そのデザインや色が銀座らしさを損ねないか、このルールに基づいて事前に地元協議会と協議されることになっています。今月は、デザインルールの策定に深く関わられた「銀座街づくり会議」の竹沢えり子氏にルール策定に至るまでの経緯や街の状況についてお話を伺いました。街にふさわしい景観を作っていくためには、どのように考え、街の人々が何をしなければならないのか、その知見が語られています。

続きを読む

銀座らしい街並みのために 竹沢えり子氏インタビュー(2)

― 銀座デザインルール(以下、デザインルール)作成までの経緯を教えてください。

◇「銀座デザイン協議会」というしくみづくり
 銀座街づくり会議をつくって、地区計画を改正しようという協議をしている間に、高さや容積率は問題ないけれど、このデザインはちょっと銀座にはふさわしくないんじゃないか...という案件がいくつか出てきてしまったんです。ですが、法律的には問題ないので、何の規制も出来ないわけです。仕方がないので、事業者や建築家の方をお呼びして、何度か議論したんですね。こういった経験があって、地区計画だけでは銀座らしい建物は建たないという結論に達したんです。思いを共有してくださった中央区も、何とか地区計画だけでない仕組みを作らなければいけない、ということで、デザイン協議会のしくみを中央区の方から提案されました。そして、地区計画改正とともにデザイン協議会制度を要綱に規定したんです。

◇行政との連動、信頼関係
 区の要綱では中央区の制度としてデザイン協議会を位置づけ、区がある団体を認定するという形をとっています。第一号として銀座が、中央区長から認定を受けてやっている、ということです。
このような協議会ができたというのは、98年の地区計画策定時にさんざん話し合って、行政と銀座の間で信頼関係ができていたからと思います。


続きを読む

銀座デザインルールに見る誇りと新陳代謝

編集局 川上正倫


■「らしさ」は次世代へのはじまりである/デザインの新陳代謝
 銀座デザインルールで述べられている「銀座らしい」街とはどういうことなのかを考えながら、銀座を歩いてみた。その中で実感したことは、「らしさ」を柔軟に捉えることの重要性である。竹沢氏がおっしゃる「ビルを建設するということは、銀座の街に入っていくきっかけ」という当たり前ながら忘れがちなことが、建築デザインにとって非常に重要なテーマであるように思われた。

 建築デザインは、既存の街に対してそのあるべき姿を示すという意味があるが、それ故に、どうしても建物の竣工時がゴールであると錯覚してしまう。しかし、その建物はその後も何十年と残っていくわけであり、その間に周囲が建て変わっていく可能性もある。変化する周囲の中では、竣工した時点からそのデザインは老化していくことになる。下手をすると長い工期の内に、完成を待たずに賞味期限が切れる可能性だってある。無秩序な状況下では建築デザインは儚いものであり、一体何を世に発信しているのか担保できない。その状況を調停するのが「らしさ」をめぐる議論ではないかと感じた。

 建築主にとっては「らしさ」を表現した建物の提案こそが、これから銀座の街に参加していくための所信表明なるものであり、建築デザインはその表現として継続的に街に貢献する重要な役割を与えられる。通常の街において「らしさ」を追求しようとすると、クライアントの趣向や経済的な事情から実現されないことも多い。そういう意味で、銀座デザインルールにおいて「らしさ」を要求されるということは、建築と街並みが結びつく非常に重要な接点となる。「らしさ」としてデザインの意味を説明する必要があるのならば、その議論の中でデザインに対する思考は活性化されるはずなのである。

続きを読む

銀座ルールから高さ制限のあり方を考える

編集局 大澤昭彦


■街路幅員に応じた高さ規制
 銀座ルール(地区計画)のポイントは、街路幅員に応じて建物高さを規定していることにある(表1参照)。

表1 銀座ルールによる高さ制限
osawatable1.jpg

 「広い道には高い建物を、狭い道には低い建物を」と言えるこの考え方は、ヒューマンスケールな街路景観を形成するという観点から、非常に理にかなったものと思われる。銀座では、明治5年の銀座大火の後に策定された「銀座煉瓦街計画」において既に、そのような考えに基づいた規定が設けられ、高さの揃った統一的な街並みの形成が意図されていた(表2参照)。いわば、明治期に「銀座ルール」は存在していたのである。

表2 銀座煉瓦街計画における高さ制限
osawa-table2.jpg

続きを読む

銀座4丁目交差点の広告ビジョン

竹沢えり子氏のインタビューでも触れられている銀座の広告ビジョンについて、編集局の添田と川上が動画でレポートします。

続きを読む

銀座デザインルールとは?

編集局作成

 銀座デザイン協議会において、主に新築建物と工作物のデザインのチェックを行う上での判断基準を取りまとめたもの。銀座の人たちがめざそうとする「銀座らしさ」を、事業者と共有するためのツールである。

◇行政との連動、地元主導のまちづくり
 銀座街づくり会議では、2005年より、中央区とともに、地区計画「銀座ルール」(1998年制定)の見直しを開始し、数値で決められないデザインや色については、事業者と地元が事前協議する仕組みをつくった。2006年11月以降、銀座では中央区市街地開発事業要綱に基づき、区が事業者と開発案について協議する前に、新築または改築される建築物、および、屋上工作物等(敷地面積100㎡以上、および確認申請を行う工作物)については銀座デザイン協議会に届出が必要となった。

◇あえて定量化しない基準
銀座デザイン協議会では、届出された建築物または工作物が「銀座らしさ」を損うと判断した場合には、事業者に意見を述べ、デザインの変更を求めることもあったが、その判断基準となる「銀座らしさ」とは何かが問題となっていた。高さや容積率など、数値で決められているものもあるが、色や形、デザインの質を予め文章や数値で決めてしまうことは難しく、銀座らしさを定義することは容易ではない。また、安易に文章化や数値化すると、銀座らしさの大切な要素である先進性を自ら規制することにもなりかねない。
そこで、銀座街づくり会議では、これまでのまちづくりの経緯や銀座を考えるためのキーコンセプトや通りや地区の特徴と課題を明らかにし、銀座らしさについては、事業者の方が銀座らしい建物をつくるためのヒント、あるいは協議する上での判断基準を提案した「銀座デザインルール」という冊子を作った。その目的は、年月をかけて徐々に築かれてきた銀座のまち並みを尊重し、まち全体の空間の質の向上をめざそうとすることにある。

◇新陳代謝するルール
 このルールは、銀座のまちの姿がなだらかに継承されることに主眼を置くと同時に、創造的なデザインによってまちが変容していくことも大切であると考えてつくられている。したがって、決めごとは最小限に留め、いわゆるデザインガイドラインとして期待されるような禁止事項や、色の規定、看板の大きさ規定などは記載されていない。つまり、ルールそのものは完成形ではなく、様々な意見、具体的な協議の経験を踏まえて更新し、成熟させていくものと考えられているものである。

design_rule.jpg


<参考文献>
銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会「銀座デザインルール ver.1」、全銀座会・銀座通連合会、2008年2月
銀座都市計画会議(銀座通連合会・文化科学高等研究院)「銀座まちづくりヴィジョン」、銀座通連合会、1999年11月
銀座街づくり会議「NEWS LETER」No.50、2008年3月
竹沢えり子「決めないことを決めた銀座デザインルール」、『季刊まちづくり』19号、2008年6月
竹沢えり子「「銀座らしさ」の継承と創造:銀座デザイン協議会が提起するもの」、『日本不動産学会誌』第22巻第3号、2008年12月