谷中レビュー
「懐かしさ」を感じる街の骨格と装い 大野 隆造
 

 谷中を訪れる人は、京都で名所を見て回る観光客とは違って、身近な過去の暮らしを思い起こさせる状景の「懐かしさ」に浸って楽しむ。辰巳さんはこれをオルタナティブ・ツーリズムの現われと見る。川上さんは、谷中の日本的な「懐かしさ」を醸し出す源泉を、建物細部や看板などの伝統的意匠が埋め込まれた街並みと、その背後に見え隠れする寺の存在であると言う。添田さんは、見通しの利かない路地が意識される空間の射程を近景に引き付ける作用を指摘し、今いる小空間に親しみを感じつつ次の小空間で何か見付けることを期待しながら歩く楽しさを述べている。さらに、こういった細やかなスケールの建物に囲まれた狭い路地とは対照的な霊園などのオープンスペースが並存することを谷中の特徴としている。谷中銀座に「懐かしさ」を感じさせる古き良き昭和の面影を見るのは石垣さんである。レトロの対象として「昭和時代」が語られるのに違和感を覚えるかも知れないが、考えて見てみれば18年前に幕を閉じ、その間に大正時代がすっぽり入ってしまう過去である。街路から店の奥行きが非常に浅く、奥の住居から店を介して通りまでが密着した昔ながらの店舗は、日常の暮らしと密接な関係にあり、その近所に住む人達にとって住まいのシステムの一部になっているようだ。自宅に大きな冷蔵庫を置く必要はなく、近所の魚屋や肉屋さんの冷蔵庫で事が足りる。そういった下町のかつての生活が透けて見えるようなたたずまいに「懐かしさ」を感じてしまうのだろう。こうした近隣密着型の店に混じって観光客相手の店も有る。しかし伝統的な街並みを売り物にする観光地のお土産店街で感じる生活感に乏しい白々しさはなく、日常と観光の両者が今のところうまく共存しているように見える。
 段丘状の地形が谷中銀座の先の「夕焼けだんだん」を作り、かつての川筋が暗渠となって緩くカーブする道となり、複雑な町割が折れ曲がった路地を作り出した。こういったさまざまな経緯で形作られた街の骨格が、道を一歩一歩進むごとに情景の変化を生む。そこで目に映るのは上で述べた街の装いだが、移動中に連続的に変化する状景のシークエンスを楽しむという点では日本の廻遊式庭園と共通している。一方、廻遊式と良く似た構成を持つイギリスの自然式庭園では、絵画的な構図の状景を鑑賞すべく固定した視点場が設定されている。こういったお決まりの見るべきスポットを巡るのを京都的だとすれば、移動の中で自ら探索する街の楽しみ方は谷中的と言えようか。