谷中がもつ景観としての決定的事実としては、寺が多いということに尽きる。寺というのは、新しくも古くも大概が瓦屋根の伝統的な形式に乗っ取って建てられている。境内の作り方など住宅とは異なる建築密度や配置をつくりだす要因となる。また、大きな領域を占める墓地もまた景観の印象を「和」もしくは「伝統」的なものへと引きつけている。これらは、この街において「懐かしさ」や「歴史的街並」など景観そのものを売り物となすべく崇められ、谷中銀座のイメージづくりに貢献したり、根津・千駄木とあわせて「谷根千」と冠する雑誌が定期的に出版され人気を博している。実際には、京都のように回るべきポイントがあるわけではない。しかしながら、日曜日などには街歩きのツアーが時折見受けられ、特定の目的地がなくぶらぶら散策が行われ、東京でも珍しいエリアといえるかもしれない。この街歩きを想像するに「懐かしいのだ!」と自分に言い聞かせて「懐かしいもの」を発見する骨董品店か古本屋で掘り出し物を見つけ出す感覚に似ている。実際細かい窓の格子や棟飾りなど「伝統的意匠」をあちこちで発見できる。街並としては、写真で撮っても大して他の東京の住宅密集地と変り映えしない部分も多いが、街を歩くにつれ、断片的に現れるお寺の屋根や古い「ボロ屋」の軒先の凝った意匠のような詳細部分が総じてこの街をひとつのまとまりとして仕立てている。
以下、そのあたりを念頭に実際に歩いてみることにする。
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双方とも古くから有名な老舗。かたや町家形式を守り、かたやビル(白いビル)に立て替えながら細かな部分は伝統を印象づける設えになっている。
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装う欲望の不思議を感じる2つの例。片方が交番でもう片方が小学校。両方とも実際には木造建築でないものの瓦屋根を用いて景観への連続を試みているようである。しかし、交番は、駐車場の必要性からセットバックしていることで、小学校は度を超した偽装によってかえって周囲から隔絶された印象を受けてしまう。伝統も「自然」でなければテーマパーク以下である。要素をピックアップするのはいいが、固執することによって「不自然」になってしまってはかえってまとまりから外され、滑稽な景観を生み出す結果になりかねない。
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歩くのにしたがってちらりちらりとお寺の瓦屋根が見え隠れする谷中の典型的景観。
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古い様式と新しい様式の対比的な構図。特にこども向けの施設はかわいらしさを演出しようとして周囲とのまとまりが作りづらくなることが多いように感じる。
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手前の建物がなくなってしまってかえって門らしさを失ってしまった寺。もう一方でもそうだが、寺の建物自体は敷地境界からある程度距離をとっているので通りから奥まったところに瓦屋根が見えることになる。それが、きっと谷中的な景観に広がりを作り出しているのではないだろうか。
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長屋形式で住棟間隔ゼロで連なる建築群が断片的に残っている。この断片化具合が全体に拡散されていることで
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墓地前の参道?スペースには特に古くからの瓦屋根の建物が集まっている。これらが街と墓地という異なる空間を緩衝しながら連続させるまとまりを形成している。
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日暮里駅裏手にもまだ寺と古い商店が立ち並び谷中のイメージを拡張している。
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「1984年の東京都モデル商店街第一号で整備をし、15年経過した施設も老朽化したので『東京都ふれあい商店事業』指定を受け1999年の3月完成しました。 21世紀を目指して、“人に優しく・来てみて楽しい・ちょっとレトロな!”をコンセプトに、道路には高齢化社会を睨んだ歩きやすいアスファルト(カラー)とカラー平板の併用を採用、個店には共通の庇(ひさし)と、各店の個性を表現したデザインのぬくもりのある手彫りの木製看板、そして郷愁を誘うレトロ風な軒先灯をそれぞれ設け、店の壁面には谷中の史跡40景を掲示しました。そしてお揃いの軒先灯と看板照明が商店街と店頭を照らしだし、組合員にも光の重要性を再認識してもらい、営業時間の延長と夜型の現代社会に対応する」(谷中銀座ホームページより) 実際に賑わいを取り戻した商店街として活気のある景観を形成している。照明や木製看板、谷中の絵を飾ったりと共通のフォーマットを利用しながら、そのレイアウトなどは個々の自由に任せている事によって「作られた」いやらしさから解放され、デザインされた有機的な街路景観を作り出している。 |
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谷中が実際に歴史的な街並を維持しているのかどうか、もしくは、谷中の街並が維持するに値するような歴史的な景観を築いているかどうかは別として、墓地、寺、そしてそれに準ずるふるい家屋や商店が散在することによって独特の景観形成がなされていることは間違いない。ここにおける景観は、ある視点場があって、写真を撮るべきような絵的な景観があるわけではなく、むしろ体験によって蓄積されていくあるイメージを構成するパーツである。表参道や秋葉原のような「街並」による景観カテゴリーが難しいともいえる。京都など歴史的な価値が明快な地域とは異なり、このような多少古い雰囲気が遺っている街というのは、谷中ならずしても探せば多いに違いない。現状の谷中は、意識してかしないか、そのような街に「懐かしさ」という名目で肩肘はってテーマパークにしてしまうことなく、街にそのような景観的な価値を与えているよい見本となりえているように思う。