渋谷レビュー
新しい価値を生み出すカオスか? 大野 隆造
 

 渋谷の街の姿とそこを訪れる人々の行動は、駅を底としたすり鉢状の地形によって規定されている。辰巳さんは、駅から坂を上った先に見えない壁があり、それが周りに閉じたこの街を訪れる人々の行動圏を縁取っているとし、川上さんは、駅に向かって下る地形の連想から街の要素のあり様を流れや滞りに喩えて記述し、それが計画性とは無縁な成り行きまかせの結果と見る。添田さんは、この街の道のパターンにY字路が多いことを発見して、それが分かりにくさの原因となっていること、またその分岐点にある建物が持つランドマークとしての優位性を指摘している。石垣さんは、これまで新しい商業スタイルをリードしてきた中心が時代とともに移り変わってきたこと、そしてその過去のなごりが沈殿して今日の各エリアの特徴となっていることを示して、本人が渋谷に抱いてきたイメージと重ね合わせて熱く語っている。
 かつての渋谷は山の手の郊外から訪れる人たちを受け止めるターミナルであり、他の繁華街とは違う格調の高い都市文化に触れられる場所としての魅力があった。今は郊外からの電車は地下鉄とつながって通過が可能になり、東急文化会館も姿を消した。「BUNKAMURA」はあるものの、そこでの演劇やコンサートの後の余韻を味わうことのできる場所が周囲の街に用意されていない。しかし文化の香りが消滅してしまったと嘆くのは、私個人が属する世代の限られた見方かも知れない。音楽とアナウンスが絶えず流れるセンター街などは、私には乱雑な喧騒の街としてしか映らないが、そこを行き交う若者たちの目と耳には、このカオスから意味ある情報を読み取り、新しい価値や文化を生み出す温床となっているのかも知れない。