1.歩いた日:2007年2月2日金曜日、午後1時から午後4時
2. 渋谷とは 坩堝の街
渋谷は昭和初期からすでに国電や東横電鉄東横線・多摩川線、帝都電鉄井の頭線、地下鉄、市電、バスなどの路線が集中している発展した都市だった。1934年にはターミナルデパートである東横百貨店ができている。戦後もいちはやく商店が軒を並べ復興している。その意味では、新宿と同様、地の利、交通の利を得て都市となるべくしてなっている街だといえる。
しかし、渋谷の街を大きく特徴づけているのは、「谷底である」という点だろう。渋谷川によって浸食された谷筋に渋谷駅を置き、大山参りの道・大山道(道玄坂)、富士見坂(宮益坂)という要路が通る擂鉢状の街だ。街道であった時代は人々は渋谷を「通過地点」とすることもあっただろうが、電車の駅、バスのターミナルができることで、人々は駅に降り立ち、擂鉢のなかを対流するように動き、また駅から去っていく、という動きをするようになったのではないだろうか。いわば渋谷は「坩堝」なのである。
じっさい、渋谷に行くとき、周辺の街−−たとえば青山、代官山、原宿などにもついでに脚を伸ばそうと考えにくい。私の経験では、あえて歩いて原宿、代官山などに行こうとすると、「いったん渋谷という街から抜け出なければならない」ような心理的・感覚的な圧力を感じる。それは、道のつながり方であったり、面としての連続性のゆえではないだろうか。具体的には、松濤のはじまるあたり、駅の東側、道玄坂を登りきったあたりに、目に見えない壁があるように感じるのだ。銀座であれば、ぶらぶら歩いているあいだに新橋にたどり着く。東京駅、日本橋にも自然にたどり着く。面としての広がりがある。新宿ならどうだろう。新宿は広大であり、新宿のなかに副都心、歌舞伎町、西口付近、南口付近、新宿御苑付近といくつかの街を抱える。銀座の例と同じように、面として広がっていると言える。だが、渋谷は、渋谷というひとつの街でしかないにも関わらず、渋谷だけで閉じている。それが、擂鉢状の地形がもたらした性格だろう。
閉ざされた空間のなかに、大勢の人が集まり、さまざまな商業施設が流行を競う。閉ざされているからこそ、その密度とスピードに拍車がかかり、激しい入れ代わりがあるがゆえに逆にいつも同じ様相(=混沌)を呈している。これはかつて80年代に日本がポストモダンだと言われた要素と重なるし、80年代にこそ渋谷がクローズアップされたこともうなずける。渋谷のような街は、地形と日本そして東京という文化土壌が合わさってはじめて生まれる、ごく特殊な例なのではないだろうか。その特殊性が渋谷の魅力なのだ。
●評価1—駅に降り立つと街を魚眼する観がある
街はいろいろあるが、駅が核になっていることをこれほど実感させる街も少ないように思う。駅の北側、および宮益坂側ではなく、ハチ公口が核である。意識としては、駅を背に道玄坂を見ながら、右手に公園通りやセンター街が伸びていることを実感し、左に宮益坂が伸びていることをイメージする、という感覚か。いわば、駅に降り立ったとたん、街を(目で把握するわけでないが)一望することになるのだ。 そのときに、渋谷の初心者は四方に伸びる坂の入り口を見つつその先に何があるのかわくわくし、渋谷の熟練者は四方の坂の先にある目に見えない壁(境界)までを見通しながら今日はこの街でどのように遊ぼうか考えるのではないだろうか。
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ハチ公口を出て左手の東急東横店を見つつ、広場の雑踏越しに交差点の人ごみを見ると、正面にHMVとスターバックス、そしてその向かいに大画面広告が見える。つねに視野の下半分は人ごみという渋谷の特徴 |
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ハチ公前広場は、同時に巨大広告に見下ろされる場でもある。これは駅建物に掲げられたもの。商業と欲望の街であることを、人はすぐに実感する
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おそらく渋谷の第一印象がこれ。スクランブル交差点を無秩序な方向に歩く人の群れ
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参考までに、南口(東急プラザ付近)と東口(駅の北側)付近のパノラマもつけておく。どちらもバスターミナルを抱えているためか、人がここから渋谷の街中に行き交うというよりは、バスに乗ってまた出発していく中継地点としての位置づけになっている
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駅の北側は、「裏」的な雰囲気が強い。渋谷の裏が青山に通じる、という印象。現在、東急文化会館が取り壊され、銀座線などの再開発がはじまったところで、どのように「表」の顔を備えていくか、道玄坂付近のような徒歩圏の奥行きを作り出せるかが注目される
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南口はバスターミナルに流れる人々と、歩道橋に登っていく人(セルリアンタワーに行く人とばかりは限らない)に分かれる |
●評価2—対流のある街・対流を意識した街づくり
擂鉢上の底にある駅に人が降り立ち、そこから放射状に広がる道に出て街に広がり、また再び駅に戻ってくる、という人の動きが、渋谷の街に人の対流を作っている。そして、建築物は、この対流をどこかで意識したつくりになっている。
●評価3—大通りと小路との相補関係
駅を中心に放射状に広がる大通りと、その大通りの間をつなぐ小路の関係性が、渋谷の特徴だ。大通りから小路を覗き込む、という散策の楽しみとは違って、小路を通りつつ正面に見える大通りを行き交う人や車や大通りの建物を目当てにする、という使われ方をしているように見える。そしてまた、小路を通路として使いこなし、小路のなかに憩いの場を見つけられるようになると、渋谷の街の「住み手」となった、と言えるのではないだろうか
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高架となっているのはマークシティ。この写真では上に右から左への大きな人の流れがあり、その下写真手前から奥に向かう、宮益坂方向から道玄坂に行く抜け道がある。抜け道ではあるが、ひじょうに多くの人が通路として使っている
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左の写真のさらに咲き。正面に見える建物は道玄坂に面している
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道玄坂から小路を覗くと、井の頭線が見える |
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井の頭通りからセンター街に抜ける道を歩くと、センター街を行き交う人の先に、さらにその向こうの道玄坂に抜ける小路も垣間見える |
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●評価4−角は人を吸い込む入り口
谷底からの大通りがさらに細かく分かれていく構造の渋谷の道では、三叉路や変形の十字路が多い。街や道に正面がないために、商業施設は正面から「ここが入り口ですよ」と人を誘導するのではなく、道を歩く人の流れをそのまま流れとして呼び込む作りを取ることが多い。結果、建物に「角」がなく、角を入り口化している面白い作りがよく見られる。また、三叉路および十字路が、角で囲まれた場ではなく入り口に囲まれた場となるためなのか、道の交わるところが単なる交差点ではなく人の溜まり場・人が行き交う場となる場合も見られる。
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スペイン坂の上にある映画館。坂を上りきった角にぽっかりと暗い口を開けて、そこからまた階段を下らせる構造になっている
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左の映画館の向かいにあるファッションビル。やはり角を少し引き込んで入り口化している。この十字路にはたむろしている人も多い
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かの109の入り口も、三叉路の角にあたる。左右の道(道玄坂と文化村通り)に分かれていく人の流れと同じくらいのボリュームの人が、建物のなかに流れ込んでいく
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角のおもしろい使い方。三叉路の真ん中に大きな歩道があり、角の流れを分ける石ででもあるかのような交番がある。交番の後ろには、角の入り口だけでできている小さな中華料理店と台湾料理屋が並ぶ。ここで人の対流は小さな渦を巻く
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商業施設の角にさらに小さな道(真ん中の黄色い看板の下と、右側と)を作って、建物の地下と1階に人を分けて流れを作っている
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センター街。角がカフェの入り口
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ハチ公前のスクランブル交差点は、よく見ると角を入り口または正面とした建物が並ぶ。これは地下鉄への入り口と重なって見えにくいが、赤い看板の下がドラッグストアとなっている |
●評価5−入れ替わりが街の性格ではあるがランドマークもある
私見では、街そのものも、商店の品揃えも、8割がそのままで2割が新しい、という状態が「なんだかおもしろそうだ」「生き生きしている」という感覚をもたらすものだ。そしてその8割はいつのまにか入れ替わっている、という程度の流動性があると沈滞しない。さらにいえば、全体の2割程度はずっと昔からある、定番だ、と思えるもので固まっていると、リピートしたときの安心感、信頼感につながると思う。渋谷に関しては、4割がいつも新しく、4割がいつの間にか入れ替わっており(建物・外観はそのままで中身だけが入れ替わるのが、渋谷の路面店の特長だ)、残りの2割が百貨店をはじめとして「渋谷にあるに決まっているもの」となっているように見える。 路面店は多くの場合、入れ替わるけれども、そのなかでもわずかに「渋谷といえば」という店が残っている。戦後すぐの雰囲気を残すそれらの店を見つけることが、入れ替わりの激しいこの街では「ちょっと嬉しい」出来事になる
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両方とも百軒店の知る人ぞ知る有名店。左はカレー屋、右は名曲喫茶。
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桜ヶ丘の名所だった映画館・ユーロスペースは、道玄坂奥のラブホテル街に移動
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渋谷のバーといえば「門」
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宇田川町の交番じたいが道しるべ
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アンチ捕鯨ムーブメントのあいだも健在だった店。その横の恋文横丁はとうとう工事中に |
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