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渋谷の街は分かりにくい。このことは、多くの人が共感するところだろう。その原因は、一言で言えば「街の形が複雑だから」で片付いてしまうのだが、ここではそれについてもう少し深く考察することを試みる。その結果、この街が持つ独特の構造をあぶり出すことができるのではないかと考える。
●Y字路
渋谷の道路パターンを抜き出してみた。非常に不整形な構造であることは一目瞭然である。方位とは全く無関係な構造をしており、とても分かりにくい。しかし、ここではこのような俯瞰的な視点からではなく、街を歩いている人の視点から考えてみたい。 まず、ポイントになるのはY字路だと考えられる。Y字路は直角の交差点とは違い、折れ曲がりの角度が曖昧で、進行方向を捉えにくいという性質に加え、道を行く人に必ず左右どちらかに進むかの選択を迫るという性質を持つ。図中の青い丸印に示すとおり、この街にはY字路が多い。場所によっては複数連なっていることもある。つまり、ある目的地に向かう際には次から次に右か左の選択を迫られるのである。このことは慣れない人にとっては、大変なストレスになると想像される。しかも、一度選択を間違えると、間違えた地点まで戻らない限りは正しく到達することは難しい。これは、グリッド状の構造を持つ街とは大きく異なる点である。 |
●ビジビリティ(Visibility)
Y字路の間に建つ建物はアイストップになるので、非常に目立つ。事実、道玄坂と文化村通りの分岐点に建つ「109」は、渋谷のランドマークとして広く認知されている。この他にも、写真に示すように、宇田川町交番やマルイシティなど渋谷の有名な建物はY字路の分岐点に建っているものが多い。ランドマークは街を把握するキーエレメントとして重要な役割を担う。しかし、渋谷では、その複雑な街路構造ゆえ、ランドマーク間の位置関係がうまく把握できず、必ずしも街全体の理解までには有効に作用していないようである。 |
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109、マルイ、宇田川町交番。言わずと知れた渋谷のランドマーク達。いずれもY字路の分岐点に位置する。 |
一方、Y字路の間に建つ建物が全てランドマークになっている訳ではない。それは、建物のデザインと密接に関係している。つまり、ランドマークとして機能するか否かは、建物の立地としての目に付きやすさ(Visibility)と、建物の形やデザインの個性が両立していることが条件となる。 |
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東急本店。大きな白い塊といった感じでこれといったデザイン的な特徴はなく、建物としてのイメージアビリティは低い。
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周囲に埋没している、というよりもむしろ存在感を消した、センター街の分岐点にある建物。目には入るが意識はされにくく、ランドマークとはならない。 |
●ランドマークが見えない
Y字路のもう一つの特徴として、行きと帰りで見える風景が大きく異なることが挙げられる。つまり、行きに見たランドマークが、視点が異なるため帰りには見えず、その結果、自分がどこにいるのかを見失う可能性がある。 |
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「109」の横を通り過ぎるところ。それをランドマークたらしめている特徴的な正面の丸いタワーが見えず、不慣れな人には、ここが「109」だということが分からない。 |
●イメージアビリティ(Imageability)
建物の形の思い出されやすさ、イメージされやすさのことを、イメージアビリティ(Imageability)と言う。実は、渋谷の街には先に述べたランドマークの例を除いて、イメージアビリティの低い、つまり、形を思い浮かべにくい建物が多いのではないかと考えている。例えば、渋谷の東急ハンズの建物を思い浮かべてくださいと言われて、その外形を明確に思い浮かべることのできる人は少ないのではないだろうか。そして、このようなことが街全体の分かりにくさを助長しているのではないだろうか。 |
●ロゴマーク
東急ハンズの建物は下の写真のような形をしている。白で看板がなければそれとは分からないようなデザインである。なるほど、色彩的にも形状的にも特徴のない建物で印象に残りにくい。その一方で、正面に回ると東急ハンズのロゴが大きく形取られている。これはつまり、建物自体の特徴を消し去り、ロゴマークをより際立たせるためのデザイン手法なのではないかと思われる。そのような目で街を眺めなおすと、実にロゴマークを前面に押し出した建物が実に多いことに気付いた。 |
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東急ハンズのロゴを押し出したファサード。実はY字路の分岐点にあるのだが、渋谷駅の反対側にあたるこちら側からアプローチする人は少なく、あまり知られていない。ビジビリティが低いということである。 |
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しかし、ロゴマークはその土地固有のものではない。看板にも包装紙にもTVCMにも使われるものである。ロゴマークとしてのイメージアビリティは非常に高いかもしれないが、それは逆に、建物としての固有性やアイデンティティ、その場所にしかないものという性質、を失わせているようである。 |
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建物はできるだけ無彩色の単一素材で仕上げ、ロゴマークを目立たせるという手法が近年流行りのやり方のようである。しかしこれは、ロゴマークがなければ、建物自体には何ら特徴がないということであるし、ロゴマークの意味を知らない人には、その建物が何の用途なのかさえ分からなくなる。 |
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●連続するファサード
もう一つの分かりにくい要因は、個々の建物が独立しておらず、連続していることである。建物の境界が曖昧なため、当然個々の建物のイメージアビリティなど高まるはずはない。 |
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もはやどこからどこまでがどちらの建物なのか一見しただけでは区別がつかない。 |
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歩道レベルで感じられる建物の分節(区切り)が必ずしも本当の建物の境界とは一致していない。間口の長い建物の1階部分はいくつかの店舗に分割される。 |
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●溢れる視覚情報
この街でお店を探すということは、壁のように連続した建物に付けられた無数の看板、サインの中から、自分の知っている「ロゴマーク」を探すということになる。まさに落ち葉の山から一枚の葉を見つけるがごとし。 |
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しかも探しているロゴマークのデザインが変わっていたりするので、ますます厄介だったりする。 |
●ノーコンテキスト
秋葉原や谷中と決定的に違うところは、渋谷にはコンテキストがないことである。電気店、飲食店、衣料品店、風俗店、書店、全てが脈絡なく混在している。建物同士のつながりがない。したがって、この街では、類推検索ができない。つまり、このお店だったら大体この辺りにあるだろうという予測が成り立たないのである(強いて言えば、それが成り立つのは円山町のホテル街ぐらいか)。したがって、このような街でお店にたどり着くためには、あらかじめ、その場所と道順を正確に知っている必要がある。 街を散策しながらの発見の楽しみは、街にある程度のコンテキストがあって初めて成立する。基本的な流れがある中で、そこから少し外れたものを発見した時に、意外性を感じるのだと思う。混沌とした流れの中では、何が現れても不思議ではなく、そのような喜びを得ることは難しいようである。 |
●2重のラビリンス
そして、建物の中も分かりにくい。そもそも、複合商業施設の中には何が入っているかが分からない。 |
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いくつかのビルがつながった商業コンプレックス。どこに何があるか把握しづらい。 |
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入り口に「無印良品」と出ているので、中に入ってみると、そこにあるのは「LOFT」のみ。じっくり目を凝らすと、奥に小さく誘導サインが・・・。したがって進んで行くと、実は隣のビルにあることを知らされる。 |
●分かりやすくする試み
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主要な通りには、その通りの名称と渋谷駅からの距離の目安を数字で示した照明塔が設置されている。
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ハチ公前広場にある。場所検索システム。携帯電話に目的地までの地図をダウンロードできる。 |
●結:たゆまぬ訓練を厭わない者が生き残る
以上のように、渋谷の街は分かりにくくなる要素が満載で、まさに現代のラビリンス状態である。では、この街の構造を変えることができたとして、渋谷を分かりやすくすることが、真に街の魅力を引き出すことにつながるのだろうか?それは少し違うのではないかと思う。 この街を使いこなすには、事前に情報を収集し、どういう店があるのかを知り、それがどこにあるのかを調べ、現地に赴き試行錯誤をし、自分なりのスキルを磨くという訓練が要求される。街にあるモノはどんどん変化するので、この訓練(情報収集作業)は常に続けなければならない。訓練なしには、目的地にたどり着けないので、それに耐えられない者は、おそらく、他の分かりやすい街(例えば、銀座など)に流れていくことになるだろう。 しかし、渋谷には今日も多くの人が集まっている。それは、きっとある人達にとって、このような状況こそが「刺激的」と捉えられるからであろう。そして、訓練した者だけが得られる、この街を使いこなすエキスパートという、達成感・優越感のようなものがあるからではないだろうか。まるでスキーでコブ斜面を攻略するようなものなのかもしれない。 東京という全体で捉えた場合には、このような「上級者コース」があることこそが、懐の深さであり、魅力につながってくるのだろう。初心者コースしかないスキー場は少し退屈なように。 |
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