031 剥皮寮(ボーピーリャウ)の歴史保全(台湾)

歴史保全 アイデンティティ 景観デザイン

台北市萬華区の路地裏に「剥皮寮(ボーピーリャウ)」と言う伝統的街並みを保全した地区がある。台北の観光名所である龍山寺のそばにある、数少ない清朝時代の面影を残す町並みが保存された地区だ。清朝時代の伝統的な店屋や、日本統治時代の建物などが再生されているのだが、この再生が非常に丁寧に行われている。

剥皮寮(ボーピーリャウ)の歴史保全の基本情報

国/地域
台湾
州/県
台北市
市町村
萬華区
事業主体
台北市
事業主体の分類
自治体 市民団体 
デザイナー、プランナー
Yu-chien Shu Architecture Firm
開業年
2009

ストーリー

 台北市萬華区の路地裏に「剥皮寮(ボーピーリャウ)」と言う伝統的街並みを保全した地区がある。台北の観光名所である龍山寺のそばにある、数少ない清朝時代の面影を残す町並みが保存された地区だ。清朝時代の伝統的な店屋や、日本統治時代の建物などが再生されているのだが、この再生が非常に丁寧に行われている。剥皮寮は、また清朝時代の街並みを保全した地区という点では最大規模のものである。
 さて、しかし、この歴史地区もご多分に漏れず、再開発の波が押し寄せることになった。その開発計画に周辺住民が反対したことで、この地区の歴史的建築物や街並みを保全し、さらに台北の歴史教育の中心として位置づけようと台北市が動く。その結果、再開発計画は頓挫し、現在の歴史溢れるような空間がつくられたのである。2002年に、Yu-chien Shu 建築事務所がその保全計画を策定し、事業の管理をすることになった。その計画は2段階で進められた。第一段階は2003年から2006年2月までで、Chin-Ren Construction Co.が改修工事を実施した。第二段階は2006年2月から2009年6月までで、これはChin-Lin Construction Co.が改修工事を実施した。改修工事において特に留意したのは、旧道に面する建物の修復であった。一般に、公開されたのは2009年8月である。
 この剥皮寮の一画には、1896年に創立された老松国小学校がある。この校舎に隣接して「台北市郷土教育センター」が設営されており、そこは日本の統治時代における台北での暮らしや様子も含めて、台北市の歴史が分かるような展示が為されている。
 剥皮寮は、文化観光としての目玉としてだけでなく、多くの映画のロケ地としても使われていたり、多くのアートや歴史に関する展示会などが開催されるイベント空間としても使われていたりするなど、積極的で能動的な歴史保全が行われている。

地図

都市の鍼治療としてのポイント

 台北は中華民国の首都である。グローバリゼーションが進む中、台北は台湾のアイデンティティをも体現させる世界都市であることが求められている。そして、中華民国にとって、このアイデンティティという観念は極めて重要な意味を持つ。中華民国の人々は自らを中国人と捉える人、台湾人と捉える人、台湾人でもあり中国人でもあると捉えている人と三分されると言われる。
 中国ではない。しかし、中国から完全に独立している一国家というほどのアイデンティティを九州と同程度の台湾が有しているのか。一方で、対外的には中華民国は中国ではなく、独立した国として認められることが国家的悲願であるともいえる。そのためには、中国とは違うアイデンティティを強烈に打ち出す必要がある。
 そのためだろうか、台北においては経済的興隆を体現するような都市開発が進められていると同時に、台北の歴史を次代に継承するような景観保全に対しても熱心である。どちらも台湾のアイデンティティを構成する重要な要素であり、台湾らしさを演出することが意図されている。
 剥皮寮はまさに、この後者の典型的な事例であり、都市開発という側面からも大きな成果が得られたものであると考えられる。リノベーションされた剥皮寮は、そこは、台北という都市が歩んできた歴史の流れを体感できるような空間が再現されているが、それに隣接して、しっかりとした知識、情報を得るための学習の場である「台北市郷土教育センター」を設けたことは、極めて有効なる相乗効果を発揮していると考えられる。
 剥皮寮を舞台にして、ここでロケした台湾映画は幾つかあるが、個人的によく空間表現がされているなと思うのは、「モンガに散る」というギャング映画である。しっかりと剥皮寮が保全されているために、ここは優れた映画撮影場所としても機能しているのだ。
 そこは、台北という都市の歴史、アイデンティティを保全すると同時に、それを映画等でさらに再編集する場としても機能している。

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