345 ティウー運河の再生(フランス共和国)
ストーリー:
アヌシーはフランス東部にあるアヌシー湖岸に位置する人口12万4千人ほどの都市である。オート=サヴォワ県の県庁所在地でもある。
アヌシー湖は氷河湖であり、そこから流れ出る川はなかった。そのため、雪解け水や降雨が多い時は頻繁にアヌシーの市街地は水害に襲われた。そのような状況を改善するために、この湖とローヌ川の支流であるフィエア川とを結ぶ3.6キロメートルの長さのティウー運河が11世紀頃につくられた。運河には水車が取り付けられ、粉挽きや動力源として使用されることになる。19世紀の産業革命期には、この運河は水力発電によってエネルギーを提供し、また水運のネットワークとしても重要な役割を担い、アネシーの工業化に大きく貢献した。ティウー運河は12世紀から17世紀にかけて建てられた古い家並みの旧市街を通り抜け、現在ではアヌシーの絵葉書となるような美しい景観をつくりだしている。それは「アルプスのヴェニス」とのニックネームをこの都市にもたらした。
今でこそ美しい運河であるが、ちょっと前までは湖に建ち並ぶホテルやサマーハウスからの生活排水により、その水質は汚染されてしまう。現在のこの運河の美しさは、悪化した運河、そして水源であるアヌシー湖の水質を浄化したことで獲得されたものなのだ。
アヌシー湖の水質が悪化し始めたのは19世紀頃である。1860年にアヌシーのあるサヴォワ地方はフランスに属することになり、アヌシーはオート=サヴォワ県の県庁所在都市となる。そして、機械化された運河の水位調整技術と水力発電による動力で、この地に近代産業が興り、人口が増加していく。加えて、その頃からアネシー湖周辺では観光開発が進み始め、ホテルなどの宿泊施設が立地し始める。その結果、「サヴォワの宝石」とも称されていた美しい湖に、住宅や工場、ホテルなどの排水が流入し、水質は悪化していったのである。特に、ホテルのトイレ汚水が直接、湖に垂れ流されていることが問題であると、地元の医師であるポール・ルイ・セルヴェッタズが湖に潜るなどして解明し、その対策の必要性を1946年に主張する。彼は単独で汚水を出していたホテルの排水管にセメントを流し込むなどの実力行使をして、逮捕されたりもするが、そのことが、それまで関心の薄かった市民を動かし、結果、市議会も腰を上げることとなる。この運動は、1957年にはアヌシー湖市町村協議会(SILA)の設立につながり、アヌシー湖の浄化対策が展開することになる。その結果、湖周辺の地域に下水道網が整備され、汚水そして雑排水は湖に流れ込まないようになった。ティウー運河の下にもこの管路は設けられており、随時、水質管理が行われている。運河の水質が悪化するとポンプが作動し、水面下の取水口から浄水場にまで送られる。加えて、これらの浄化対策に合わせて、ティウー運河沿いの歩道も整備することにした(中野、2018)。1953年から既に旧市街地の歴史的建築物のリノベーションを開始し、旧市街地の魅力を高めるプロジェクトが開始されていた。旧市街地の高台にあった城もリノベーションされ、1956年に美術館として公開された。このような旧市街地の再生事業に呼応するように、ティウー運河の歩道が整備されたのである。そして、この歩道を軸とした歩行者ネットワークが旧市街地の広範囲に展開し、サヴォワ地方の特産物を販売する店やレストラン、カフェなどが立地し、これらの歩行者空間に彩りを添えている。
アヌシーは1967年に「国際環境美化賞」、1972年に「欧州自然保護賞」、1983年に「国際環境保護全欧州プログラム」賞を受賞した。
キーワード:
ランドマーク,運河再生,ウォーターフロント
ティウー運河の再生の基本情報:
- 国/地域:フランス共和国
- 州/県:オート・サヴォワ地域圏
- 市町村:アヌシー市
- 事業主体:アヌシー湖市町村協議会(SILA)
- 事業主体の分類:自治体 個人 その他
- デザイナー、プランナー:ポール・ルイ・セルヴェッタズ
- 開業年:1953年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ジャイメ・レルネルは『都市の鍼治療』にてアヌシー市を訪れ、大いに感銘を受けたことを記述している。
「10年ほど以前、ジャンヌ・モローの映画をみて、そこに映されたフランスのアネシーという街に感嘆させられた。アヌシーでは、運河は街の日々の生活そのもので、その運河はもう一つこの街の美しい風景、アヌシー湖に繋がっていた。この映画での街のシーンは私の記憶の中にとても強く残り、数年後にアル・ケ・スナンで開催された会議に出席するためにジュネーブ空港で降りて、空港から街までタクシーで向かっている途中で「アネシーまで32km」という標識をみると同時に私は即座に決断した。数分後には私は、アヌシーの運河に沿って歩いていたのだ。そして、私の記憶に残っている場所を探しながら、私はその街の小さなホテルに二日ほど滞在したのである。(中略)ここで述べたいのは都市の鍼治療のために水を使った都市についてである。それはアキュパンクチャーを文字ってアクアパンクチャーとでもいうべきか。」
都市の魅力を演出する舞台装置として水は極めて優れている。したがって、水を使った「都市の鍼治療」は、上手にすると極めて効果が大きい。アヌシーの場合は、その優れたポテンシャルがあったにも関わらず水質汚染によって、そのプラスの価値がマイナスになってしまっていた。このマイナスにしっかりと対処することで、それがプラスになるというトランプ・ゲームの大貧民でいうところの「革命」のようなドラスティックな変化を及ぼすことができる。
アヌシーはそもそもアヌシー湖という欧米でも最も透明度が高いことで知られていた。その湖が汚染され、ティウー運河の水質も悪化したというのは、そもそもの価値が高いことからダメージも甚大なものがあった。しかし、当時、そのダメージの大きさを深刻に受け止めた市民はほとんどいなかった。そのような状況を打破したのが、地元の医師のポール・ルイ・セルヴェッタズであった。自ら湖に潜り、原因を究明し、それを止めるために排水管にセメントを流し込んでしまう。それは犯罪行為であったために逮捕されてしまうのだが、そのニュースによって多くの市民の目が覚め、反対運動が展開する。結果的に、ポール・ルイ・セルヴェッタズ氏の法をも無視した蛮行ともいえる行動によってアヌシー湖、そしてティウー運河、アヌシー旧市街地は再生し、世界中の人が訪れ、感動するような街並み、自然美を維持することに繋がったのである。
ティウー運河沿いを歩くと、そこを流れる氷河湖からの美しい水の底に導水管の蓋を見ることができる。この美しい水、そして街並みが決して、それを保全しようとする市民の人達の努力なくしては存在しなかったことを知らしめる。ちょっと乱暴なツボ刺しであったかもしれないが、見事な「都市の鍼治療」的一撃であった。
【参考資料】
中野恒明(2018)『水辺の賑わいをとりもどす』花伝社
類似事例:
011 ライン・プロムナード
012 パセオ・デル・リオ
016 チョンゲチョン(清渓川)再生事業
117 街中がせせらぎ事業
205 柳川市の堀割の復活
222 リージェント運河の歩道整備
290 チングイ公園(Parque Tingui)
330 ドレーブリュッケン広場
336 バーミンガムの運河再生
・ シェフィールドの運河再生、シェフィールド(イングランド)
・ ロイヤル・ミル、マンチェスター(イングランド)
・ フライブルクのバックル・ネットワーク、フライブルク(ドイツ)
・ テロー広場、リヨン(フランス)
・ サン・マルティン運河の再生、パリ(フランス)