342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム(ドイツ連邦共和国)

342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム

342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム
342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム
342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム

342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム
342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム
342 ドイツ海洋博物館オツェアノイム

ストーリー:

 シュトラールズントはバルト海に面したハンザ都市である。歴史地区である旧市街地区は世界遺産にも登録されている。しかし、交通の便が悪いドイツ北東端の都市に観光客を呼び込むためには世界遺産登録されたとはいえ、旧市街地だけでは不十分であった。そこで、この旧市街地に隣接するウォーターフロントに人を呼び込むための集客施設を整備するプロジェクトを、旧市街地区が世界遺産に登録された2002年から開始することにした。
 それは東西ドイツ統一後、シュトラールズントでの最大の都市開発プロジェクトでもあった。そして、その目玉施設として、国際的にも知られるドイツ海洋学博物館の別館であるオツェアノイムをこのウォーターフロントに立地させることにした。その設計コンセプトに関しては建築コンペによって広くヨーロッパ中から募った。そして、400人近い応募者を募ったこの建築コンペの結果が2002年5月に発表された。一等はシュツットガルト出身のベーニッシュ・パートナー(Behnish + Partner)であった。
 そのデザインは現代建築と海洋的な文脈とを結合させることを意識したものとなっている。具体的には、建物の意匠は有機的な波を彷彿させる形状であり、海の精のような印象を与える。それと同時に、その主張が控えめなデザインは隣接する旧市街地とぶつかることなく、異質な要素であるにも関わらず、景観的にはしっかりと調和している。これは、旧市街地の建物がカクカクと幾何学的な形状をしているのに対して、オツェアノイムの形状は有機的で形が捉えにくいということが功を奏しているからであろう。オツェアノイムは5つの部分から構成され、それぞれの部分が異なるテーマを展示している。そして、それらの展示を観ることで来館者は海洋エコシステムと、その保全のあり方について学ぶことができる。
 加えて、周辺環境との調和によく配慮されている。オツェアノイムの周辺の広場的公共空間は、現代建築に合致するように、また滞在しやすいようにリデザインされた。これによって、オツェアノイムに入館しない人々も、ここでまったりと気持ち良いウォーターフロントの空間を楽しむことができる。また、旧市街地との境界は運河が流れているため、巨大な建物であるにも関わらず、圧迫感を周囲に与えない。そして、建物の高さはウォーターフロント沿いに建ち並ぶ倉庫群と合わせており、見事なスカイラインを形成させている。
 オツェアノイムは2008年の夏に開館した。オツェアノイムはこのような海洋博物館ではヨーロッパでも五本の指にはいる大規模なものである。基本的な展示内容は、バルト海および北海の海洋生物である。
 オツェアノイムは開館する以前から、相当の集客力を数えるだろうと期待され、その予測値は年間で55万人であった。しかし、開館するとこの予測値をすぐ上回り、初年度は90万人の入場者を数えた。シュトラールズントは世界遺産に登録されてから、それまでの宿泊観光客数が2倍ほど伸びたが、これには少なからずオツェアノイムも寄与していると推察される。2010年にはオツェアノイムはヨーロッパ博物館年間賞を受賞した。

キーワード:

シュトラールズント市

ドイツ海洋博物館オツェアノイムの基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:メクレンブルク・フォアポンメルン州
  • 市町村:シュトラールズント市
  • 事業主体:シュトラールズント市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Behnisch + Partner
  • 開業年:2008年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 シュトラールズントはドイツのメクレンブルク・フォアポンメルン州のバルト海岸沿いにある地方都市である。東西ドイツが再統一された後、ドイツ北東端の辺鄙な都市になってしまい、その後、人口減少等に悩まされる。
 東西ドイツの再統一後、シュトラールズントは都市再生事業を展開するが、北港島と呼ばれる旧市街地に隣接したウォーターフロントの場所は敢えて計画を策定することをしなかった。これは、この時点で開発計画どころか開発構想を考えることが時期尚早であると市役所の人達が理解したからである。これは、まさにジャイメ・レルネルが『都市の鍼治療』で記した「何もするな、慌てるな」というエッセイを彷彿させる。

「私がクリチバ市長になったばかりの頃である。市長として初めての決断を強いられたいくつかの書類の中に、大変奇妙な陳情書が住民の寄せ書きとともにあった。その陳情書の内容は、その住民の地区に関しては、市役所は何もしないでくれ、というものであった。
 すぐに、建設局長にこれはどういうことか、その背景を調べるように命令した。奇妙な要求ではあったが、その要求はある正当な理由があることがわかった。市役所は、その地区で工事を行なっていた、それは舗装されていない道路の補修工事であったのだが、住民は工事用機械が小さなわき水を土でふさいで消滅させてしまうことを心配していたのである。
 私は即断し、確固たる指示を建設局に与えた。「何もするな、慌てるな」。
 場合によっては、都市に害が与えられる可能性がある事業は、取り急ぎ何もしないことが必要である。」

 旧市街地区はその後、2002年にユネスコの世界遺産「シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区」として登録される。それは両地区ともハンザ都市として栄え、ともにスウェーデン領としての歴史を有しており、これらの歴史的経緯を反映した美しいゴシック様式の煉瓦建築群があることが評価されたからである。さて、しかし、同様の特性を有する港湾都市であるロストックは登録から外れた。これには幾つかの理由があり、特に第二次世界大戦の旧市街地のダメージが大きかったということもあるが、それは同じハンザ都市で世界遺産に登録されたリューベックでも言えることである。ロストックは、それに加えて、戦後の開発で旧市街地区において現代建築を多く建設してしまったため、その歴史的オーセンティシティを失ったということが大きい。
 オツェアノイムの建築コンペが開催されたのは2002年。すなわち、シュトラールズントの旧市街地、そしてオツェアノイムの立地サイトである北港島が世界遺産の登録地区となった年に行われたのである。この登録が確定する前に、北港島に下手なものをつくったら(当時、ブレーマーハーフェンにあるドイツ海洋博物館の別館をここにつくるというアイデアは出たりした)世界遺産登録に支障を来したかもしれない。それは、ロストックだけでなく、日本の夕張でもみられたことである。シュトラールズントの旧市街地に隣接した場所に集客装置をつくることで観光客は増え、旧市街地の魅力も向上できたかもしれない。しかし、世界遺産に登録されたことのブランディング効果による観光客増加に比べれば微々たるものであったろう。さらに、オツェアノイムの建築コンペにおいては、世界遺産の場所につくられることを設計条件として入れることができた。そして、結果的には、見事に世界遺産の価値を下げるどころか大きく上げるような現代建築の集客装置を実現させることに成功したのである。「果報は寝て待て」という格言を思わず、思い浮かべる。

【参考資料】
ユネスコのホームページ
https://whc.unesco.org/en/list/1067/

EUmies Awards のホームページ
https://eumiesawards.com/heritageobject/ozeaneum---german-oceanographic-museum/#work-details

ドイツ海洋博物館のホームページ
https://www.deutsches-meeresmuseum.de/museumsstandorte/ozeaneum/ihr-besuch

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